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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
斜陽の章
100/103

去る者、そして悼む者

遅くなって申し訳ありません。新章開幕でございます。

 朝だというのに、東の空は暗く、手元を見ることさえ覚束ない。闇に覆われた天には分厚い雲が垂れ込め、薄日すらも差さない。民衆は誰しも家屋に身を潜め、思い思いの方法で神に祈りを捧げている。だから、王都には、静寂が訪れていた。

 王都中央にある王宮にもまた、静寂はあった。玉座の置かれた謁見の間では群臣らが集い、身じろぎもせずに祈りの形に両手を組み合わせている。そして座する王もまた瞑目し、臣らの祈りに心を合わせているかのように見えた。

「報告いたします。ただいま、前国王陛下が崩御なされました」

 王宮の作法に従いすり足でやって来た宦官が、王の膝下に跪いて告げる。

「そうか。ご苦労であった、ウーハン」

 労いの言葉を与える王の口調はどこか機械的であり、それは予定されていたことを消化した、というだけの意味しか持たぬような印象を与える。

「聞け、皆の者。前国王、余の父は死んだ。これより、余が正式な国王となり、この国を導いてゆく。そなたらも、永の平和を続かせるために、一層尽力せよ」

 立ち上がることなく、王が群臣に告げる。

「新たな王の為に、我ら重臣一同、心を一つに励む所存にございます!」

 群臣の列の中から進み出て王へ言上するのは、新宰相となった男である。前の宰相ジュンサイとは違い、重みの無い男ではあるが、代わりに若さと情熱はあった。額に浮かんだ汗を拭きつつ、その表情には晴れがましさのようなものも見える。

「うむ。新たな治世を、そなたらの手で支えてゆくのだ」

 謁見の間のあちこちに焚かれた灯りに照らされて、王の表情は歪んだ笑みに見えた。重い先代の枷を外され、いよいよ己の時代がやって来た、というところなのだろうか。下がれ、とも命じられぬまま、最早捨て置かれているのだろう。宦官のウーハンは、無音のまま謁見の間の闇に身を退いた。この場所には、もう旧い臣の居場所は、どこにも無い。

 新宰相の秘書を務めるジュンスイが、新宰相へと竹簡を捧げ渡す。死んでいった王を悼むといった感傷は、もうこの場には残ってはいない。数日前から、危篤であったのだ。一通りの騒ぎは、すでに済ませてある、といったところなのかも知れない。

「我が世の栄達も、これまで、か……眠る怪物の蒔いた種が、芽を出すであろう。長居は、無用だ」

 前宰相の二人の息子、ジュンシン将軍とジュンスイに眼をちらと向けて、ウーハンは呟く。すでに現国王のための後宮は整えられ始めており、そこに旧い宦官であるウーハンの席は無い。何も手を打っていなければ、自室にある財貨の全ては次の宦官長のものとなり、ウーハンは身ひとつで王都の貧民窟へと追い出されることとなる。いや、王宮の闇に通じる者を生かしておくような常識外れの豪胆さを、今の王に求めることは出来はしないだろう。となれば、傍観をしているほどウーハンとて愚かな宦官ではない。

「次の、王の為に……いや、王者の為に……動かなければ、生きてはいられぬ、か」

 呟き、謁見の間の隠し通路からそっと立ち去る。王にも群臣にも見えてはいないような存在ではあるが、目ざとい者に見つかるわけにもいかない。王宮に張り巡らされた、細い通路を進み、いくつか角を曲がる。前国王の眠る寝室へ通じる扉の前に立ち、ウーハンは深く礼を捧げた。

「おさらばでございます、国王陛下。陛下と過ごした日々は、楽しゅうございました。どうか天に参られましても、ご壮健で」

 長らく後宮に君臨し、全てを差配してきたウーハンのそれは、短くも渾心の別れの言葉だった。部屋の中の気配は静かで、すすり泣く女の声が響いてくる。一切に背を向けて、ウーハンは再び歩き出す。

「……かの老人とは、仲良くやれる気がしませんのでな。ここからは、私も、好きにさせていただきます」

 苦笑して、ウーハンは王宮の外へ通じる扉をくぐる。王宮に与えられた私室には、もう戻るつもりは無い。戻らなくとも、それを気にする者も、すぐにいなくなる。国王が死に、枷の外れた者は、新たな王と新宰相の男だけでは、ないのだから。

「アルシェに、繋ぎをつけなければ」

 闇に覆われた王都の中へ、ウーハンは呟きとともに消えていった。



 国王崩御の報せを、ファンオウは即日に受けることが出来た。王都から遠く離れた聖都ファンオウの太陽神殿でそれを可能とするのは、他でもない重臣であり親友であるエルフのエリックが作った、魔道具のお陰である。王都に駐留させている家令のフェイが、通信魔道具を使って報せてきたのだ。

「ま、まことに、陛下が……?」

 乳飲み子を抱いたファンオウは、豪奢な椅子から立ち上がろうとして留まる。腕の中ですやすやと寝息を立てるいとし子は、たった今眠ったばかりであった。

「はい。王都周辺には暗雲が立ち込め、夜と変わらぬ闇に覆われているとか。そんな日に、あの男は死んだようです」

 すまし顔でファンオウに言うのは、エリックである。その美貌から放たれる辛辣な言葉を咎めることも忘れ、ファンオウはぽかんと口を開けて座り直した。

「よう持ったほうじゃの、そやつも、国も」

 ファンオウの隣で、同じく冷淡な物言いをするのは妻の白雪である。童女が赤子を抱えている、といった絵面にしか見えないが、白雪はれっきとした母親であった。

「エリック、白雪、それは、あまりでないか、のお」

 眉根を寄せて、ファンオウは二人に言った。

「俺にとって、殿以外の扱いはそんなものです、殿」

「妾も、エリックと同意見じゃのう。少なくとも、夫と認めた男以外は、どうでも良いのじゃ。の、テイや」

 身もふたもない物言いではあるが、いつものことでもある。公の場でもなく、余人を交えてのことでもない。己の感傷の、問題である。だから、ファンオウは軽く息を吐くだけにしておいて、腕の中の我が子に眼を落とす。

「ついに、陛下が、のお……おいたわしい限りじゃ、のお。半生を、共に、過ごさせて、いただいた、陛下が、のお……」

 ファンオウの脳裏に廻るのは、まだ壮健だった頃の国王の笑顔である。鍼医として、色々なことを語った。細かなことは思い出せないが、それでもしばしの間浸るには、充分な思い出があった。

「して、葬儀はどう執り行うのじゃ? 人間の王が死んだのじゃ、派手なことをするのであろう?」

 傍らで双子の片割れをあやしつつ、白雪がエリックに訊いた。

「それが、遺体は吉日をもって密やかに陵墓へ運び込まれるとのことで」

「何じゃと? それは、どういうことなのかのお?」

 エリックの言葉に、眼を真ん丸にしたファンオウが食いついた。

「葬儀を執り行えば、それだけ民の労力が割かれることになる。今は土を作る大事な時期ゆえに、そんな暇は無い、という方針らしいですな。人間にしては、中々合理的な考え方です」

「何と、無体な……そういうことでは、無いじゃろうに、のお」

 首を振り、ファンオウは白雪を見やる。うむ、と白雪が同意を示すようにうなずいた。

「人間の祭りは、趣旨はどうあれ面白きものじゃ。時には龍をも驚かせるようなものを、見せてくれよる。それをせぬというのは、何ともつまらんものじゃ。かの王国も、やはり千年が潮時じゃったかのう」

 軽い口調で国の滅びを語ろうとする白雪に、ファンオウは少し苦い顔を見せる。

「むう……それも、違うのじゃが。ともあれ、密葬というのは、確かな、ことなのかのお、エリック?」

「はい。数日前に国王の意識が無くなってから、決まったことです。満場一致で、可決されたようですな」

「莫迦な……死を、悼むことが、出来ぬなど」

「少なくとも、現国王はそのようです。ですが」

 肩を落とすファンオウの前で、エリックが手を二度打ち鳴らす。侍女のヨナの手によって運ばれてくるのは、酒杯の乗った膳であった。

「これは?」

「この場であの男の死を悼むことは、出来ましょう。殿のお望みの全ては、叶えられるべきなのですから」

 にこりと微かに魅力的な笑みを浮かべ、エリックが酒杯に酒を注ぐ。横から片手を伸ばした白雪が、ファンオウの腕の中から赤子をそっと取り上げ双子を胸に抱いた。

「……陛下は、酒が、お好きじゃったから、のお」

 満たした酒杯を、ファンオウは東北東、王都のある方面へひとつ置く。

「妾も、酒は好物じゃぞ、夫殿。あとで、そなたの手で呑ませてくりゃれ」

 両手に赤子を抱いた白雪が、明るい顔で言う。ファンオウはうなずいて、エリックの差し出すもう一つの酒杯を手に取った。

「陛下、わしの所は、こういう感じでございます。皆素直で、飾らぬ者ばかりで、それが、わしは、誇らしく、思うのです。ここは、王都では、ないですが、天へ行く、その前に、せめて、一献、干して、ゆかれませぬかのお」

 のんびりとした声音で、ファンオウはここにはいない国王に言葉を贈る。姿無き者に捧げられた酒杯の表面が、わずかに波打ったように感じられた。それで、満足だった。

「……ファにも、報せねば、ならぬのお」

 己の酒杯を干して、ファンオウが口にするのは養子となった国王の娘の名である。

「大聖堂にて、快癒の祈りを捧げているようです。ソテツに、呼びにやらせましょう」

 笑みを消したエリックが、やや憮然とした声を出す。

「実の父の、病の快癒を、祈ってのことじゃ。それを許したのは、わしの、望みでもあるのじゃがのお、エリックや」

「殿の、一族になったのです。なれば、潔く全てを忘れて殿のみを唯一の父と仰ぐべきかと、俺は思うのです」

「簡単には、割り切れぬのが、人間なのじゃ、エリック。そして、わしも、人間じゃ」

 諭すようにファンオウが言えば、エリックはそれ以上は何も言わずに自分の影をコツコツと指で叩く動作を見せた。黒の悪鬼の息子として生まれたソテツは、影を操る術を身に付けつつあるようで、それで恐らく指示を出しているのだろう。

「夫殿。妾にも、一献注いでたもれ」

 横合いから、白雪が暢気な声をかけてくる。難しくなりつつあった空気が、それで少しだけ和らいだ。

「これは、陛下を、悼む酒、なのじゃがのお、白雪や」

 困った顔を見せつつも、ファンオウは酒杯に酒を注ぐ。

「解っておる。妾とて、龍神の位を戴くものじゃ。一人の人間の王の死を、存分に悼んでやるゆえ、さあ」

 両手に赤子を抱いたまま、白雪が赤い唇を尖らせて催促する。

「まことかのお? まあ、良いかのお」

 愛妻の可愛らしい仕草に、ファンオウはふわりと微笑み酒杯をその口へと当てる。龍神の称号は伊達ではなく、酒は瞬く間にその小さな口の中へ消えてゆく。

「中々、良き酒じゃの。北の領の友から、贈られたものであったか」

 ぺろりと唇を舐めて言う白雪に、ファンオウはうなずいた。

「うむ。イグルが、寄越して、くれたものじゃ。ようやく、澄んだ酒が呑めると、大喜びでのお」

「持つべきものは、心の友よの。しかし、これではまだ足りぬ。そこの酒も、呑んでしもうては如何じゃ、夫殿?」

 白雪が顎で指すのは、国王に向けて捧げた酒杯である。

「あれは、まだあのままに、しておいてくれぬかのお。新しいものは、用意するゆえ、のお?」

 言ったそばから、ヨナが新たな徳利を持ってやってきた。

「なれば、そちらも戴くとしようかの。どれ、コウとテイも、呑まぬか?」

「赤子に、酒を勧めるものでは、ないと思うのじゃがのお」

「なに、妾とそなた、二人の子なれば、龍神と神の子じゃ。酒くらい、呑めぬ道理はあるまいて……冗談じゃ。あまり、困った顔をするでない。可愛がりたくなってしまうじゃろう?」

 呆れた顔をするファンオウに、白雪がくっくと小さく笑う。

「ほどなく、養女様も来られます。お戯れは、その辺りでお納めください」

「う、うむ。そうじゃった、のお」

 妖しくなりかけた空気を、エリックの冷たい声が破った。ファンオウは苦笑して、亡き国王に捧げた酒杯を見つめる。

「どうも、締まらぬようで、恐縮ですが、これが、わしの、大事な家族でしてのお、陛下」

 酒杯の表面に、再びさざ波が立つ。風の仕業か、王の想念なのか、それはファンオウには、判らない。だが、酒杯の向こうに、懐かしい笑顔を見たような思いを感じて、ファンオウは柔らかな笑みを投げる。糸のように細められたその眼の端から、滴が一条、零れ落ちてゆく。白雪もエリックも、しばし黙したままそれを見守っていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次の投稿はまた間隔が空いてしまうかも知れませんが、きちんと書き続けていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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