生星西に輝き、死星東へ落つ
お待たせしまして申し訳ありません。中天の章最後のお話です。
季節が廻り、再び春となっていた。常にヒマワリの揺れている白亜の太陽神殿は今、奇妙な静けさの中にある。コツコツと謁見の広間を行き来するファンオウの足音だけが、大きく響いている。侍女頭のヨナも神将軍エリックも、近衛のソテツとイファも、皆固唾をのんでそれを見つめている。
「殿、今少しの辛抱です。どうか、落ち着かれますように」
おずおずと、エリックがファンオウへ声をかける。
「ふむう、わしは、落ち着いては、おらぬように、見える、かのお?」
問いかけに、エリックが小さくうなずく。ソテツやヨナ、イファにレンガにランダとオウギ、広間に集った重臣たちの誰を見ても、答えは同じのようだった。
「そうか。じゃが、気ばかり、急いてしもうて、のお……白雪は、大丈夫で、あろうか、のお」
言いつつファンオウが見やるのは、愛妻白雪の篭る私室の扉である。腹の中の子が育ち、大きくなってきた頃合いに、白雪が扉を設えたのだ。
『妾はこれより、子を産む。妾一人で行うゆえ、誰も、ここへ立ち入ることも、覗き見ることも許さぬよう、差配せよ、夫殿』
そしてきつい口調で言われ、ファンオウはうなずいたのである。人の子の出産には、立ち会ったこともあった。鍼を用いて、妊婦の負担を軽くすることも、出来た。だが、白雪は龍である。さしものファンオウといえども、龍の出産の場に立ち会ったことは、かつて無いことである。
「奥方様が、問題無いと仰っているのでございます。今は、信じて待たれるより他は、ありますまいて」
オウギが皺だらけの顔で、深くうなずきつつ言った。博識な年長者の言葉はしかし、今のファンオウにはあまり気休めにもならない。
「そうは、言うがのお……オウギどのは、龍の、出産に、立ち会うたことが、おありかのお?」
問い返され、オウギが首を横へ振る。
「はて、そのような奇妙奇天烈な経験は、小生にもございませんな」
「ふむう……じゃろう、のお」
息を吐き、再びファンオウは広間の端から端までを、早足に歩き始める。
「お産のお手伝いが出来ないのでしたら、産後の疲労を取る薬湯を、煎じてみるのは如何でしょうか、ファンオウ様?」
イファの申し出に、ファンオウは首を横へ振る。
「それも、言うてみたのじゃが、のお……薬を飲めじゃと? 妾を病人とするつもりかっ、と、怒鳴られて、しもうて、のお」
「……結構、似てるねファンオウさん。やっぱり、一緒にいる時間が長いからかな?」
白雪の口調を真似るファンオウに、レンガがからかいの言葉をかける。
「余計なことは言わなくてもいいぞ、土ミミズ。お前は鉄でも弄っているのがお似合いだ」
エリックが、レンガを冷たく見下して言う。む、と構えるレンガであったが、エリックの表情に微かにうなずき、強気な笑みを作って見せる。
「言ってくれるね、戦バカのエルフ様。あたしの開発してる新兵器が完成したら、その長い耳の根元に、大穴開けてあげようか?」
愛用の武器であった白銀の槍斧の代わりに二本の鉄槌を振りかざし、レンガが言い返す。エリックに折られた槍斧の修復は、未だ済んではいない。それを措いてまで、開発を進めているものがあるのだ。
「ふん。それが出来る日を待っていれば、この俺が老衰で死ぬことだろうな」
対するエリックが鼻を鳴らし、強烈な皮肉を返す。長命なエルフが老衰を迎えるということは、気の遠くなるほどの遥かな未来を意味する。
「よさぬか、二人とも。産まれる子に、わしは、争いを、見せたくは、無いのじゃ。のお?」
ファンオウは二人の間に身を挟み、双方を手で制する。
「……殿が、仰るのであれば」
「わかったから、そんな心配そうな顔しないでよ、ファンオウさん」
ファンオウの言葉は方便であり、真意はエリックとレンガへの心配りに尽きるものだ。それを理解して、二人は大人しく引き下がる。それを見てファンオウはほっと息を吐き、豪奢な椅子へと腰を下ろす。
「……座して、待つ身は、辛いのお」
「今ひとたびの、我慢です、殿」
天を仰ぐファンオウに、エリックが言う。その光景を、鼻息荒く興奮の面持ちで見つめるランダの方へは、この場の誰も視線を合わせようとは、しなかった。
「……『我慢の先に、禁断の快楽があるのです、殿』……ああ、捗るわ……!」
漏れ聞こえる妄想に、エリックがあからさまに嫌な顔になる。敬愛する主君の第一子の誕生に際し、これほど不釣りあいなものも、そうないものだ。厳しく戒めるべく、エリックが口を開きかけた、その時のことだ。
「……お、おお? 今のは、もしや」
白雪の部屋へ顔を向け、ファンオウは耳を澄ませる。微かに、赤子の泣く声が、聞こえた気がしたのだ。
「赤ちゃん、泣いてマスカ?」
ヨナの声に、ファンオウは小刻みに何度もうなずく。
「う、うむむ」
「殿、まずは落ち着かれませ」
エリックが、ファンオウの肩に手を置いた。
「そ、そうじゃ、のお。まずは、わしが、落ち着かねば、ならぬ、のお」
椅子から飛び出さんばかりに身を乗り出していたファンオウが、腰を戻す。
「はい。聞き違いということも、ございますれば……おや?」
「ど、どうしたのじゃ、エリックよ」
ぴくり、と長い耳を動かすエリックに、ファンオウの頭に動揺が再び戻ってくる。
「いえ……赤子の声が、二つ、聞こえました。重なるように、しかし、これは……」
「白雪は、双子じゃと、言うておった、のお……じゃから、間違いでは、あるまいて」
「はい。間違いなく、これは……殿の御子の声です。この俺の、魂を捧げるべき、主の御子の……」
言ってエリックが、ファンオウの手を取り立たせて跪く。
「なれば、もう、良いじゃろうか、のお?」
扉を見やり、ファンオウは言う。直後、ゆっくりと扉が外へ向けて開いた。
『待たせたの、夫殿。そなただけで、入って来やれ』
白雪の声が、ファンオウの頭の中に響く。その言葉が終わらぬうちに、ファンオウの身体は自然と扉へ向けて動き出していた。
「おお、白雪や……今、行くで、のお」
白雪の念話は一同にも聞こえていたらしく、ファンオウを遮る者も、共に行こうとする者もいなかった。唯一立ち上がり、動き出そうとしたエリックも、聞こえてくる泣き声に額づくように、再び膝をつく。
「白雪や。よう、頑張った、のお」
扉をくぐり部屋に入ったファンオウは、まず白雪に労いの言葉をかけた。
「それは、この子らに言うてくれぬか、夫殿? 妾の狭い腹の中から、頑張って出て来やったのじゃからの」
白い肌に珠の汗を浮かべ、白雪がファンオウに微笑みかけている。その胸元には、双子の赤ん坊が抱かれ、競い合うように泣き声を上げていた。
「おお、おお、ようも、無事に、生まれてくれた、のお。元気の良い、ことじゃのお」
寄って触れれば、柔らかな赤子の感触にファンオウの頬は緩む。
「龍神と、現人神の間の子じゃ。運命の荒波にも負けぬ、強い子らじゃ。早速じゃが、名を、授けてやってはくれぬかの、夫殿」
胸の双子を愛おしそうに眺めつつ、白雪が言う。ファンオウはうなずき、双子の首筋に触れ、その気脈を順に探る。
「この子が、兄じゃのお。弟の為に、道を、開いて生まれてきた、弟想いの、子じゃのお。この子は、コウ、と名付けよう」
コウ、と口の中で繰り返す白雪に、ファンオウはゆっくりとうなずく。そしてもう一方の子の気脈を取り、微笑みかけた。
「この子は、兄の開いた道を行き、そして母者の身体を、慮って生まれてきた、弟じゃのお。この子は、テイ、と名付けようのお」
「コウに、テイとはの。そなたにしては、随分とまともな名付けじゃの。誰ぞの、入れ知恵かえ?」
名付けられた双子に交互に眼を向けて、白雪が言う。
「うむ。わしと、エリックと、オウギどので、知恵を、出し合うたのじゃ。無論、他の皆も、それとのう手伝ってくれてのお。じゃから、皆で、考えた名と、言えるじゃろうのお」
言ってファンオウは、ぽりぽりと頬を掻いた。国を挙げて出された命名候補から、エリックとオウギの二名が勝ち残った。古書を紐解き、故事逸話に肖った名をと白熱する議論が日夜交わされ続け、そして選ばれたのが双子に与えた名であった。
「そなたにも、随分と苦労があったようじゃの」
ファンオウの表情で全てを察した白雪が、悪戯っぽく微笑んで見せる。
「お主の苦労に、比べるものでは、ないがのお」
ファンオウは手を伸ばし、白雪の黒髪を撫でる。
「妾は、龍神ぞ。これしきのこと、労苦に入らぬわ」
嘯きつつ、白雪がファンオウの指に身を任せる。
「うむ。じゃが、それでも、よう、頑張ったのお、白雪や」
柔らかく笑むファンオウに、白雪もそっと微笑みを返してくる。コウとテイと名付けられた双子の赤ん坊の泣き声と一緒に、カラカラと朗らかな笑い声が響いてゆくのであった。
一方、ファンオウが扉の中へ入ってゆくのを見届けたオウギは一人、神殿の中庭へと足を向けた。狂喜乱舞、という言葉の似あう騒動の中から抜け出せば、皺だらけの顔にはほっとした色が浮かんでいる。
「双つの星が生まれ、輝きを始める……最早、何者にもそれを止めることは、出来ますまいて。宇宙の闇を照らす大いなる光。それを支える、英傑の輝き。全ては、西の地に集う宿命……なれど」
夜空の星を見上げ、オウギは呟く。その視線の先には、星の煌きと昏い空がある。
「強き輝きは、やがて強い闇を呼ぶ。人の身で、それに抗うは困難を極めましょうな……そして」
西の空を見つめていたオウギは、首を巡らせ東を見やる。
「暗き星が、堕ちてゆく……ついに、始められたのでございまするな、ジュンサイ様」
胸の裡だけに秘めた呟きは漏れることなく、オウギの中に消えてゆく。尾を引いて堕ちる一つの星が、東の夜空を一瞬だけ、彩った。そして後に残る輝きは、暗い一つの大きな星と、青白く真円を描く月のみとなる。
空を見つめるオウギが、視線を地上へと戻した。
「面白いものでも、見えるのか」
問いかけてくるのは、美貌のエルフである。この地における、いや、この大陸における、最強の武人といっても過言ではない男、エリックだ。
「はい。星々も、領主様の御子の誕生を寿いでおられるようで」
「それを、ただ眺めていたという訳か」
「年老いた小生の、わずかな楽しみでございまするよ、エリック様」
星々に再び眼を転じて、オウギが言う。
「星に邪悪な祈りでも捧げているのかと思ったが、オウギ?」
すらり、と鞘が鳴ったと思えば、エリックの剣の刃がオウギの咽喉元寸前にあった。
「お戯れを、エリック様。この老人の命を縮めたければ、日を選んでも問題はありますまい」
エリックの刃に、殺気は無い。だからこそ、オウギも平然と答えた。逆に、動揺を見せれば、斬られる。直観的に、そうも思えた。
「確かに、祝いの日だ。血で穢すのは、不吉を呼ぶことになるだろう。だが……戯れで、終わりはせん。貴様が、主を変えぬうちは、この刃は常に咽喉元にある」
突き付けられた時と同じように、前触れもなくエリックの剣が鞘に納まった。
「はて、小生の主は、領主様ただ一人、でございまするが」
「それを呑みこむほど、素直に見えるのか、俺が」
ふん、と鼻を鳴らし、エリックが歩み去ってゆく。その背が見えなくなってから、オウギは深く息を吐いた。年老いた身であればこそ、それだけで済んだといえる。もう少し若ければ、呼吸を荒げ、その場に蹲ってしまっていたかも知れない。そう考えて、オウギは薄く笑って首を横へ振る。
「……この身でなければ、とうに斬られておりましょうなあ」
気配を消し、行く先を悟られずに広間を出たつもりであった。だが、エリックは恐らく、真っすぐにオウギの元へと現れた。何をしようと、あの鋭い双眸からは、逃れられない。短いやり取りでそれを、思い知らされていた。
「だが、争乱の中にあって、その鋭さを保ち続けることはできましょうかな、エリック様……」
皺の中に埋もれた口角を吊り上げて、オウギは嗤う。青白い月の光の中、ヒマワリの群れの揺れる中庭の真ん中で、オウギはしばし、夜空を眺め続けていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。




