第4話「解けぬ想い」
これならば――
呪われた方が、マシだった――
男がクリックしたのは、お薦めに上がってきた何の変哲もない動画だった。
少なくとも、サムネイルを見る限りは。
勝手に全画面表示になったため、ウィルスなのかと疑いもした。
そこには暗い墓地が映っている。
夜なのか、夕暮れなのか、それすら判然としない。
画面の奥には印象的な墓石があり、風が吹いているのか、手前の地面に生えている雑草が少しだけ揺れている。
動画のタイトルは、意味をなさない文字列だった。
男は眉を顰めた。
「……なんだ、これ」
こんな怪しげな動画、普段なら再生をすぐに中止してブラウザバックする。
しかし、男が動画を閉じようとマウスへ手を伸ばそうとしても、動かなかった。
墓地。
それだけの画面だった。
十数秒ほど過ぎたが、何も動かない。
何を見せたいんだ、そう思って男が首を傾げたときだった。
画面の奥の墓石が、わずかに揺れた。
「……?」
地面が少し盛り上がって、土が崩れた。
続けて墓の下から、白いものが出てくる。
よく見ると、腕だった。
手がかりを探す細い指が、地面を何度も掻いた。
続いて肘、肩が現れた。
そして、長い黒髪を垂らした女が、ゆっくりと這い出してきたのだった。
男は息を呑んだ。
――これ、噂の呪いのチャンネル……
呪いの動画じゃないのか。
全身を現した女は、キャミソール風のワンピースを着ていた。
泥にまみれているが、元の色は清潔な白だったのだろう。
腰まで届く長い髪も泥で汚れて無惨さを物語っている。
女は立ち上がり、顔を上げて周囲を見回した。
そして、男のいる正面を向いた。
表情は髪に隠されてまったく窺えないが、男にはぼんやりとこちらを標的にしたことがわかった。
恐怖に駆られた男は、椅子から立ち上がった。
「う、わ……」
先ほどまでのゆったりした動作そのままで女が稲妻のような速さで寄ってくる。
墓地から。
こちらへ。
画面の中を、まっすぐに。
距離があっという間に縮まって女の姿がアップになってくる。
そして、女の手が画面の淵に掛かった。
――モニターの淵から指が見えてないか?
男は後ずさった。
「な、なんだよ……」
女の顔が、モニターいっぱいに近づく。
そして――
ぬるり、と。
画面から出てきた。
「わ、わわ……」
咄嗟に男の手が反応した。
自分で意識した動きではなかった。
男が伸ばした手が、女の髪をむんずと掴む。
「え?」
男自身が驚いた。
――何をしているんだ、俺。
手を離せ。
逃げるんだよ。
だが、手は男の言うことを聞かない。
それどころか、逆に力がこもる。
手首を返して、女の髪を巻き取った。
髪を掴んで捩じられた女は、苦しげに悶えている。
「……?」
――掴める?
幽霊?
違うの?
何でもいいから、放せよ、俺。
手に髪を巻き付けた男は、力任せに手元に引き込んで女を部屋の中に投げ落としたのだった。
モニターの中から、女の全身がずるりと。
「やめろ!」
叫んだのは、男の方だった。
だが、その声を発した身体の方は止まらない。
投げ落とされ、怯えた女が四つん這いで逃げようとする。
壁に突き当たり、男から逃れようと必死に這う。
男の体は逃げ道を塞ぎ、再び女の髪を掴んで壁に叩きつけた。
女が顔を庇ったところ、男の拳が横からコンパクトな独特のフォームで飛んだ。
ロシアンフックと称される危険なパンチ。
一発。
二発。
三発。
――何してんの、俺。
鈍い音が部屋中に響く。
「やめろ! やめろ、俺は――!」
――そりゃ、気味悪いけど、殴りたいわけじゃない。
止めたい。
本当に止めたい。
だが腕は止まらない。
そして、何十発とパンチを浴びた女が床へ崩れかける。
男の手が、またしても髪を掴んで女を引き起こす。
そのまま、男は女の背後へ回った。
太い腕が女の首へ巻きついた。
チョークスリーパーで喉笛を締め上げられた女の身体がビクンビクンと跳ねた。
男はどうにか自分の腕を女の首から外そうとした。
指だけでも動かそうと試みた。
女の危険な痙攣が続いている。
だが、男は力を抜くことすらままならない。
やがて、女の動きが止まった。
そこでようやく、男の身体から力が抜けたのだった。
「……はっ」
ようやく、自分の身体が自分の思う通りに動かせる。
しかし、もう男にできることは床へ座り込んで、頭を抱えることくらいだった。
目の前には、女が倒れている。
男の暴行に抵抗したせいか、顔を覆っていた長い髪が解けている。
謎の女の顔が露わになっていた。
若い。
そして、とても美しかった。
だが、その瞳にもう命の灯はない。
「……俺が……」
男の手が震える。
「俺が、殺した……?」
女の身体が、ぼんやりと薄れていく霧のようになり、モニターの中へ戻っていった。
画面には、何事もなかったかのように墓地だけが残っていた。
男はその場を動けなかった。
やがて動画は終わり、誰も触れていないのに勝手に端末がシャットダウンした。
女がいた気配は、部屋に何も残っていなかった。
――『呪いのチャンネル』あるいは『呪いの動画』として知られる怪談。
現代日本の動画配信サイトには、奇妙なチャンネルが存在する。
いつからあるのか判らない。
誰が投稿したのかも判らない。
ただ一つ、共通していることがある。
その呪いの動画はお薦め欄に突然現れる。
そして、そのお薦め欄を観た者は強制的に呪いの動画を再生させられてしまう。
呪いの動画は勝手に全画面表示に切り替えられてしまう。
墓地の映像が映る。
墓地から女が這い出して、画面から抜け出してくる。
その女の名は、峰子というらしい。
視聴者自身の身体が何者かに乗っ取られて、峰子に暴力を振るった挙句、殺してしまう。
意識だけは視聴者のままで。
殺された峰子は、やがて動画の中へ戻る。
峰子は何度も何度も殺されている。
「……なぜ、何度も繰り返すのです?」
壱与は尋ねた。
此度、卑弥呼に謁見を求めた男は、平伏したまましばらく答えなかった。
山星堂ルヴァンカップ。
今では珍しくもない、現代日本からの来訪者だ。
日仏の血を引く端正な顔立ちの男であった。
邪馬台国人から見れば、病人のような真っ白い肌だった。
彼が持参した、邪馬台国への貢物は絹十反。
何とも豪勢なものだ。
個人で用意したのであれば、かなり破格のものである。
それだけのものを積んででも、卑弥呼へ助力を願いたいのだという。
「僕は、怖いのです」
ルヴァンカップは顔を上げた。
「……でしょうね」
壱与は男を観察して、肌がここまで白くなるほど恐怖で病んでいるのだなと思った。
気の毒には感じているのだ。
ただ、ここまでの貢物を差し出しながら煮え切らない態度をとることに壱与は苛立ちを覚えてしまう。
「とても怖いです」
「観なければ済む呪いなのでしょう?」
そのとおり、とルヴァンカップは大きく俯いた。
「……それが、できないんです」
「ですから、なぜ?」
しばらく沈黙してから、ルヴァンカップが意を決して告白した。
「僕は……その、峰子さんを愛してしまいました」
呆気にとられた壱与は、思わず立ち上がってしまった。
ただ、殺し続ける殺され続ける間柄で、なぜ愛情を覚えてしまうのか。
感情の経路がまったくわからない。
「僕も、自分で何を言っているのか分かりません」
ルヴァンカップは苦しそうな様子で、それでも笑顔を浮かべるのだった。
「だから、もっと、会いたいと思ってしまうのです」
呪いを愛し、もっと近づきたいのだとこの男は望んでいる。
愛は盲目とはいえ、少しは相手を選べと壱与は呆れてしまった。
「会えば、殺してしまうのでしょう?
それでもですか?」
ルヴァンカップは再び平伏した。
「峰子さんを殺したくはない。でも、これからも会いたいのです」
壱与は頭を抱えた。
訴状を読んだところでは、怪異、呪いの相談だと思って構えていた。
ところが、どうだ。
まるで恋愛相談の様相ではないか。
「これ以上、峰子さんを殺したくありません。
でも……会いたくて、呪いのチャンネル、呪いの動画を観てしまうんです」
峰子に会いたい。
動画を探し出して、再生する。
呪いが発動して峰子が現れる。
その呪いによって、自分の身体が操られてその峰子を殺す。
既に死んだ者を殺して、死にたくなるくらいに後悔してしまう。
それでも、また会いたくなる。
そしてまた、観てしまう。
呪いを起点とした、愛による救いのない循環だった。
「それで、何か策はないか。
どこかに手がかりはないかと思って、峰子さんのことを調べました。
ええ、徹底的に……」
ルヴァンカップは一冊のノートを取り出した。
そして、ノートを開くと壱与に差し出すのだった。
そのノートには、偏執的なまでにびっしりと峰子の情報が並んでいた。
『氏名は、藤村峰子。
生前の住所や勤め先、交友関係。
好きだったもの。
苦手だったもの。
生活習慣……』
――気持ち悪い。
呪いよりも、こっちの方が気持ち悪い。
壱与の素直な感想であった。
幸いなことに、それをこの場で口にしない自制心が、壱与にはあった。
「愛する人のことなら、知りたくなるでしょう」
呪いを解くための手がかりじゃなかったのかよ、と壱与は心の中で突っ込んだ。
「卵焼きは、焼く前に醤油を混ぜたもの、それも甘い味付けが好きだったそうです」
「……その情報、呪いと関係ありますかね?」
ここで声が冷たくなった壱与を責めるのも酷である。
「ありません」
清々しいほど即答だった。
壱与はノートを閉じたくなった。
しかし、その中に、重要な情報があるかもしれない。
黙って壱与は読み進めた。
『峰子は生前、近所でも評判のよい女性だった。
気立てがよく、知り合いの誰からも好かれていた。
そんな峰子はある日、暴漢に襲われたのだ。
峰子の自宅に盗みに入った暴漢は、
見目麗しい新たな獲物を前にして、獣の本性を剥き出しにしたのだった』
壱与は露骨に顔を顰めた。
だが、仕事だと思い直してページをめくった。
『峰子は何度も殴られ、抵抗する力を奪われた。
その後、暴行を受け、あまつさえ興奮した男によって首を絞められたのだ。
それが彼女の最期だった』
読み終えた壱与はノートを閉じて、卑弥呼の方へ差し出した。
御簾の向こうでノートをめくる音が聞こえてくる。
「だから……
呪いの中身が、犯行と同じなんです」
殴られ、首を絞められ、そして最後には殺される。
「峰子さんは、毎回、自分が殺されたときを繰り返している」
壱与は資料の中身を元に、この案件を再考した。
これは単純な怨霊ではないようだ。
呪いは人間を襲っている。
しかし、直接に害を及ぼしていない。
無理やりになすりつけられた罪悪感を除いて。
どちらかというと、呪い本体の峰子自身の方が襲われている。
呪いが繰り返されるたび、視聴者は加害者役を演じさせられ、峰子は永遠に被害者であり続ける。
これは、悪夢の回想が近いのだろうか。
「……これは、いかがいたしましょうか。卑弥呼様」
壱与は御簾の先にいる卑弥呼に振り返った。
「山星堂ルヴァンカップよ」
話を聞き終え、ノートも読み終えた卑弥呼が言葉を発した。
「この娘が人を呪いつつも、害しておるのではないのだな」
ルヴァンカップは卑弥呼の声のする方へ向き直った。
「仰せのとおりです」
自分の無事な体をご覧ください、とルヴァンカップが両腕を広げた。
「だが、強い呪いに括られておるの」
御簾の向こうで人影が動いた。
卑弥呼は脚を組み替えたようだ。
ルヴァンカップは広げた腕を戻し、右腕を左手で掴んだ。
「僕の手は……
峰子さんを何度も殺してきました」
卑弥呼のため息が漏れた。
「それは呪いによるもので、そなたの意思ではなかったのであろう?」
「それでも、僕の手です」
卑弥呼はルヴァンカップを観察しているようだった。
「……そうか。
ならば、まずこの目で確かめてみんとな」
唐突に、するすると御簾が巻き上げられた。
壱与が慌てて卑弥呼を庇うように前に立ちはだかった。
「確かめる、ですか?」
卑弥呼は背後から優しく壱与の肩に手を置いて、退くように伝えるのだった。
「どんなものか判らぬままに祓うほど、我も粗忽ではない」
ルヴァンカップは深く頷くと、脇に置いてあった鞄からノート端末を取り出した。
起動して、すぐに動画配信サイトを開いた。
すると、ルヴァンカップを待っていたかのように、お薦め欄に問題のチャンネルの動画のサムネイルが現れたのだった。
壱与が目を剥いて息を呑んだ。
「これは……」
さすが卑弥呼は落ち着いたものだ。
「すでに、お主と濃い縁ができてしまっておるのう」
扇で口元を隠した卑弥呼がそう平然と言い放ったとき、動画が勝手に再生され始めた。
情報では、視聴者が再生するよう操られるはずだが……
静かな墓地。
墓の下から女が這い出す。
長い髪。
白いワンピース。
これが、藤村峰子。
その峰子はゆっくりとこちらへ……
いや、突如、稲妻のような素早さで近づいてくる。
見守るルヴァンカップの肩に力が入る。
「峰子さん……」
峰子が画面へ手を掛ける。
顔が、肩が出てくる。
そして胸元までこちら側へ出てきた、そのときだった。
「待てぃ、そこの娘!」
普段が鈴なら、今は鐘を鳴らすような声、とでも言おうか。
卑弥呼の怒声に、なんと峰子が止まったのだ。
「……何ですか?」
峰子が喋ったことにルヴァンカップが驚いていたが、それどころではなかった。
卑弥呼は端末に近づくと、峰子と画面の境目を指差した。
「そなた、腰から下がまったくの無防備ではないか!」
壱与が固まった。
ルヴァンカップも固まった。
峰子も固まった。
「生前、男に襲われて命を落としたのであろうが」
「……え、ええ。その通りです?」
「それなのに、入口も出口も確認せず、
能天気に顔を出しよってからに。
尻を向こうへ晒したままとは、何事じゃ!」
卑弥呼にいきなり非難された峰子の顔に、ただ困惑が浮かんだ。
「……あ、脚から来いってことです?」
「同じことじゃ、莫迦者!」
卑弥呼はまたも鐘のような大声を張り上げた。
「こちら側に暴漢がおれば、どのみち尻が無防備ではないか。
今の今まで、いったい何を学習したのじゃ!」
「どうしろっていうのよ!」
突然の、いわれなき非難である。
峰子は卑弥呼に抗議した。
「頭だの脚だのではない。発想の根本を変えるのじゃ」
峰子はキツネにつままれたような表情を浮かべた。
卑弥呼は顎をくいっと上げた。
「そなたは、こちらへ『来る』のであろう?」
峰子は卑弥呼の言葉の意味をじっくりと考えて頷いた。
「……そうですね。そう歌っていますし」
歌って何だ、と壱与は疑問に思ったが、話の腰を折りそうなので黙っていることにした。
――歌については、後でルヴァンカップにでも訊けばいいだろう。
「ならば――」
卑弥呼は言った。
「『行く』にするがよい」
真面目に聞いていた峰子の顔が引きつった。
「……え?」
「そなたが『来る』からいかんのじゃ。
来るのではない。『行く』のじゃ」
卑弥呼はどんどん話題のアクセルを踏み、カーブを切っていく。
壱与もルヴァンカップも、この会話にまるでついていけない。
「いや、その……」
峰子が何かしらの意味で頭を抱えた。
「この文脈で『イク』とか言わないで」
峰子の声が、心なしかか細くなる。
まるで幽霊だ。
「そなた、何を言っておる?」
「そんな、『イク、イク、きっとイク』なんて、
歌えるはずないでしょう」
「歌?」
「そう!」
歌が何かはわからぬが、と卑弥呼は呟いた。
「……何がまずいのじゃ?」
それまで大人しかった峰子が声を荒げた。
「それを説明させないで!」
顔を紅潮させた壱与が、恐る恐る口を挟んだ。
「卑弥呼様……」
「なんじゃ」
「たぶん、今の問題はそこではありません」
「そうかの?」
峰子が額を押さえて、画面の向こうへ体を戻していく。
「もういいわよ……」
「うむ。これからは、『行く』のじゃぞ」
卑弥呼は満足そうに頷いた。
「では、帰れ」
峰子が不服そうに姿を消すと、動画を再生し終えた画面だけが残った。
ルヴァンカップはただ、呆然と画面を見つめていた。
「……祓ったんですか?」
「そんなわけ、なかろうが」
卑弥呼は否定するように手を振った。
「あやつを煙に巻いて、帰らせただけじゃ。
下手に呪いが展開されてからでは、祓うしかなくなるでな。
言霊に霊気を乗せたゆえ、通じたようじゃ。
……生憎じゃが、
おぬしではあやつと会話もままならぬよ。
さて……」
卑弥呼はその場に座り直した。
元の場所に戻ってくださいと卑弥呼に懇願する壱与が哀れである。
「本題に入るぞ。
一見したところ、あやつは邪気が薄くて怨霊ではない」
卑弥呼は言い切った。
「しかし、あやつが抱えている怨念は相当に強いものだ」
ルヴァンカップは黙って聞いていた。
「邪気が薄いから、害がないとは言うておらぬぞ。
あやつは自身の呪いに縛られておる。
人を害するために現れているわけではないようじゃがな。
呪い自体はこの5年間で見た中で一、二を争うほどに強いものじゃ」
「では……」
ルヴァンカップの表情が曇る。
卑弥呼でさえ無理なのかと。
「心配には及ばん。
あやつを祓うことは、できる。
そこは約束しよう」
ルヴァンカップが顔を上げた。
「本当に?」
「消し飛ばすもよし。成仏させるもよしじゃ」
扇をクルクル回して、それくらいはお茶の子さいさいじゃ、と卑弥呼は言う。
「……どうにか、呪いだけ、消せませんか?」
ルヴァンカップの要望を聞いた卑弥呼は唇を曲げた。
「莫迦をいうでない。
魚の心臓だけ取り出せませんかと訊くようなものじゃ。
魚は、死ぬ」
にべもなく断る卑弥呼にルヴァンカップが鼻白んだ。
「……つまり」
「今のあやつと呪いは分けられぬ」
卑弥呼は淡々と続けた。
「呪いによって、あやつは現世に縛られておる。
祓うか。
放置するか。
呪いを消して幽霊だけ残すという、第三の選択肢はない」
ルヴァンカップの顔が曇る。
「呪いを消せば……」
「呪いで縛られておると言うたじゃろが。
あやつはそのまま消えるか、成仏じゃ」
「成仏したら、峰子さんは……」
ルヴァンカップは天国に行けるのですか、と聞きたかった。
「成仏とは言ったが、行った先を我が見たわけではない」
卑弥呼はどこまでも誠実だった。
「どこかへ行く。
判るのはそれだけじゃ。
あやつが極楽へ行けるのかまでは、まったく保証できぬ」
二人は、同じ話をしているようで、すれ違っている。
「そうそう……」
卑弥呼はさらに続けた。
「先ほども申したが、あやつの怨念は相当に強い。
このまま放置していれば、いずれ人ならざるほどの悪霊……
神に近しい力を持つ悪霊に変化するやもしれぬ」
卑弥呼は、冗談でも言うように。
さほど重大事でもないと。
しかし、事態を理解させられたルヴァンカップから一気に血の気が引いた。
項垂れるルヴァンカップを見て、卑弥呼は慈悲深い微笑みを浮かべた。
「もっとも……
悪霊になることが、あやつにとって不幸であるとも限らぬ」
ルヴァンカップの目が点になった。
悪霊になることが、不幸でないことなどあるのか。
ルヴァンカップが戸惑っていることに気づいた壱与が口を挟んだ。
「彼女の本当の望みなど、私たちには判らない。
彼女の意識がどこまで生前のものなのか。
何を望んでいるのか。
あれは生前の鏡、名残のようなものなのです」
あの峰子は人ではないのだぞ、と壱与は代弁したいようだ。
「邪馬台国に害をなすようでもなし。
遠くで勝手に悪霊になっておるだけなら、我にはさして関係ない」
卑弥呼は平然と言った。
「ただ、あやつが邪馬台国に害をなすのであれば、そのときは我が祓うだけじゃ」
自信に満ちたその言葉は、誰にも根拠を疑わせなかった。
できるかどうかではなく、為政者としても巫女としても、卑弥呼は自分が邪馬台国最後の防壁だと確信しているのだった。
「話が脱線したな。
では、戻すぞ。
あやつを祓うのかどうか、決めるのはおぬしじゃ」
ルヴァンカップは顔を上げて、卑弥呼の微笑みを見つめた。
「僕が?」
「依頼したのは、おぬしじゃろうが」
卑弥呼はそう言い放つと、元いた御簾の奥まで引き返したのだった。
「望みを、述べよ」
ルヴァンカップの手がぶるぶると震えた。
掠れた声で望みを口にする。
「峰子さんには、傍に居て……」
「叶わぬと申した。三度は言わぬ」
卑弥呼の声は変わらない。
清淑な仮面を脱ぎ捨てた卑弥呼は、ただただ力強く頼もしい。
ルヴァンカップは俯いた。
そして、拳が真っ白になるほどにきつく握り締めた。
「……分かっています。
分かっています……」
涙がとめどなく零れ落ちた。
「ずっと会いたくて……
でも、会うたびに、僕の身体が……」
ルヴァンカップの慟哭。
卑弥呼は何も言わない。
壱与も口を挟まない。
しばらくして、ルヴァンカップが顔を上げた。
「僕は、わがままなんです。
峰子さんが何を望んでいるのか、判らないのに」
それでも。
「成仏して幸せになれるのかも、判らないのに」
それでも。
「悪霊になった方が、峰子さんにとって幸せかもしれないのに」
それでも。
「でも……」
ルヴァンカップは震える声で、しかし言い切らねばならなかった。
「僕は、これ以上、峰子さんを殴るのも……
首を絞めるのも……辛い」
ルヴァンカップは自分の胸を強く押さえた。
「ごめんなさい、峰子さん」
ルヴァンカップは、床に伏して泣き崩れた。
卑弥呼は静かに目を閉じた。
「では……
責任をもって、祓う。
おぬしは、あやつが極楽に行くと……願え」
ルヴァンカップは身を起こすと頷き、今一度、ノート端末を開いた。
「縁の濃いお主にならば、すぐに現れよう」
その通り、お薦め欄の一番上に呪いの動画が表示された。
またもルヴァンカップが再生ボタンを押す前に動画が再生され始めた。
寂しい墓地が映る。
「壱与。
そなたは、山星堂ルヴァンカップを護れ」
「承知」
壱与が端末からルヴァンカップを遮るように立った。
「では、行くぞ」
呪いのチャンネルから、藤村峰子は消えた。
呪いの動画だったものは、残っている。
しかし、もう墓の下から誰も這い出してくることはない。
誰が、何度、再生しても。
そこには、ただ静かな墓地が映るだけとなったのだ。
伝え聞くところによると、ルヴァンカップは今も、誰も居なくなったチャンネルを眺める日々を送っているという……
愛は惜しみなく奪うもの。
しかし、惜しみなく奪っていくものも、愛と呼ぶ――




