EP1:下働きの魔王
生きる上でどうしたって必要なものがある。
誰だってそうだろう?
不老不死だろうと同じだ。
だから俺はこの300年、太陽を追い求めてきた———
「あぁんのぉ、クソウサギめぇぇぇ!」
太陽なんて無縁の薄暗いダンジョン最下層。
松明を握りしめる俺の声が暗い洞窟に響きわたる。硬い岩に反響し、暗闇に吸い込まれていく。
元の静けさだけが残ると、ダンジョンの広さが肌につく。
坂を登って寝床に帰るのにあと数日。踏みしめる硬い岩の感触に何度も顔をしかめる。
それもこれも全部あのウサギのせいだ。あいつが手加減できずにこの首をへし折るから。
まったく、いつになったら理解できるんだ。
「頼むから精進してくれよ、クソったれ!」
思い出すのも嫌になる、太い脚が迫るコマ送りのフラッシュバック。
あの最後の一瞬、視界がブレた後に感じたのは肩と耳がぴったりくっつく感触。
まだ曲がっているような気がするのは、記憶の中の俺が痛がっているのだろう。
ああ過去の俺よ、かわいそうに。
こんな調子じゃダンジョン脱出なんていつになることやら……
結局、今回も三日歩きづめだった。やっとのことで最後の坂を上りきる。
呼吸を整えていると、視線の先にある岩場で何かが座っているのがうっすら見えた。
松明を向けたらボンヤリとしたシルエットが一つの影を作る。その影が俺に気づいて飛び出すようにズドンと降り立った。
「おーい、まーくーん」
着地の勢いにも負けない足音と声。
だんだんデカくなるシルエット。
圧迫感が無頓着に詰め寄ってくる。
お出ましだ。
朗らかに手を振ってニコニコしているピンクのムキムキウサギ。
ダンジョンが狭く感じる暑苦しさで息苦しい。
おかえりのハグといって襲い来る筋肉に松明を突きつけると、ウサギは小さく揺れる炎を見て測りかねてます、と首を傾げてみせた。
「おいウサギ、いつもいつも気安く殺すんじゃねーよ。最下層から毎回上がる身にもなりやがれ」
「運動不足の君にはちょうどいいでしょ?」
「いいわけあるかボケ!」
肩をすくめて首振るウサギに共感なんて期待できるわけもなし。
掴みかかろうとして伸ばした腕を戻す。戻って早々、湖にとんぼ返りなんてごめんだ。
「何日もかけてここまで戻るの大変なんだからな」
「数日歩き続けたくらいでわめくなよー。ほらほら。もっと鍛えたまえよ、魔王さまー」
「うっせ。力こぶ見せつけんな」
盛り上がるピンクの剛腕をさまざまな角度で見せつけてくる。
視界に入らんように松明を持ち替えて少し下げたら笑顔なウサギの顔に妙な迫力が出てしまった。
「お前ら魔物と一緒にすんな。ていうか殺していい理由になっとらん」
「いいじゃないかそのくらい。そもそも君が快くお手伝いしてくれれば死なずにすんだのだ」
どういう理屈だ。
「お前の趣味に俺を使うな。いいか、コレクションルームの整頓くらい自分でやれ。俺は地上へ戻るのに忙しいんだからな」
「今までまったく成功してないじゃん。そんなことはともかく、まーくんの整頓技術はすごいからお願いしたいんだよー」
褒め上手のウサギの後ろ、少し離れたところにどこかから拾った看板が突き立つ窪みがある。
こいつのお気に入りの品が収められたコレクションルームという名の部屋とも言えないただの空洞。
いや。
すごく綺麗に品が収められた空洞だ。
「フン。この魔王ゲマ様にかかれば整理整頓など容易いことだ」
「さっすがー。そんじゃいつものようによろしくね。ネズミが新しいの置いてってくれたからー」
「あっ、おい! 押し付けんな!」
「ばいびー」
ウサギがいなくなると日が沈んだように静かになった。
取り残されて手持ち無沙汰が嫌だから、仕方なく武器磨きをやってやることにする。
看板に近寄ると、まるで似てない愛らしいウサギの絵がウェルカムしている。ウサたんのコレクションルームと書かれた板の下に、青ネズミが持ってきた武器が転がっていた。
何がいいのかわからんが、ウサギが譲り受けてる人間からパチった戦利品の数々。
今回は三本か。
部屋の入口に置いた磨き用の布を取り上げる。
口の端がつり上がるのはただの癖。
コレクションルームの照明に火を灯したが、作業するには物足りなさを感じる。
奥に立てかけてある大剣がささやかに光を反射して、ちょっとレトロな風合いを出していた。
暗い地下暮らしにも慣れているがやっぱり太陽を見たいもんだ。せめて電気でも通ってればいいのにな。
「ったくよ、人間も攻めてくるならついでにインフラ整備してほしいもんだぜ———ん?」
たまに最下層から上がってくる湿気と風がダンジョンを静かに唸らせている。だが今、部屋の外で硬い音がした気がした。
ウサギを恐れてこの辺りにくる魔物は少ない。一応部屋から出て辺りを見たが、何もない。
気のせいだろうか。
気を取り直して掃除に戻る。地面に転がる入荷したての剣を手に取りじっくりと眺めた。
妙に軽い剣で全体的に汚れは少ない。赤いラインが引かれた剣の腹を小突くと、重い鐘のような低く澄んだ音が返ってきた。柄の底にはRFCと刻まれている。
ロイヤルファミリーカンパニーか。
ダンジョンに侵攻中の人間からパチった品ってわけだ。なんであれ、さっさと終わらせよう。
まずは部屋の整理からだな。
「どこに置こうかな、っと」
奥の方の重い武器を持ち上げてちょっと寄せて詰める。さながら魔王商店。剣に斧、化学兵器までよりどりみどり。お気に入りはこの球体、ポイズンミスト。
多分ウサギもイチコロの毒ガスだ。
あいつの苦しむ様を思い浮かべるだけで不思議と心が落ち着くものだ。
「へへっ。よーしこんなとこだな。さて、磨くか」
その時、目に映る光景に違和感があった。周囲は立てかけられた武器が静かに佇んでいるだけだし、手元にも変わった所はない。
だがどこかがさっきまでと違っているように感じる。しかし何もない。気のせいだろうか。
きっと武器の配置を変えたからだと結論づけて、すぐ横の大剣に目を向けた瞬間、ようやく気づいた。
さっきまで松明の光を反射していた刃に薄暗い影がさしている。
背中を向けた入口からかすかな物音がした。
誰かがいる。ウサギならこっそり近づくようなことはしない。
振り向こうとした俺を冷ややかな声が制した。
「物騒なもん眺めてずいぶんと楽しそうだな」
ぎこちなく振り向いた先に、入口に寄りかかる人相の悪い若い男がいた。
首にはとても似合わない赤い蝶ネクタイをつけている。
死ぬ時の恐怖とは違う戦慄が心臓を打ちつけた。
人間。
下層にいないはずの存在が腕を組んで部屋を眺めている。足音はしなかった。さっきの物音はわざとだろうか。
俺は素早く立ち上がろうとしたが、男の鋭い視線に縫い留められてしまった。
「人間か。その蝶ネクタイのことは聞いたことがある。てめぇ、さてはバトラーってやつだろ。なんでRFCの最上級戦士がこんなとこにいやがる」
「さあな」
相手は一人。武器さえない。まさか単身で下層まで降りてきたのか。
やれるか?
俺は武器をろくに使えない。ウサギが戻ってくることはまずないだろう。
つまり俺一人で乗り切るしかないわけだが、俺に出来ることといえば……交渉だ。
「人間、目的はなんだ」
「言うわけないだろ。ところでその剣、オレんだわ。返してほしいんだがなぁ」
俺の手元にある赤いラインが描かれた剣を顎で指し、断れば殺すと目が訴えている。
ということは、この剣は交渉材料として十分価値があるということだ。
さてどうしたものか。この状況で勝つにはどうしたらいい。
何をもって勝利とする?
「……いいぜ」
「いいのか? ははっ、魔物の割に物わかりいいじゃん」
これはチャンスだ。
人間に会う機会など滅多にない。ダンジョン最奥から地上を目指す俺にとってこの交渉は貴重な機会といえる。
人間の視線は剣に釘付け、頭の中が丸見えだ。あとは俺の安全をどう確保するかだな。
「おい魔物、さっさと返せ」
「まあ待てよ。情報と交換だ。地上への最短最善のルートを教えろ」
「へぇ、地上に出たいのか。あんなとこにね」
「言うのか言わねーのか、どっちなんだ」
「強く出たもんだな。別にオレは取っ組み合いしても構わないんだぜ? そうだ、好きな武器使っていいぞ。沢山あるみたいだからな。ていうかよくもまぁ、こんなに集めたもんだ」
「必要ならそうさせてもらうさ。だが戦う気は……ない。今のところは」
「口だけか、つまらん奴め。まっ、あんまり強くなさそうだからいいけどな」
「う、うるせーよ。何か、何か役に立てることがあるかもしれねーぞ」
「役にねぇ」
男は壁に寄りかかった。警戒がゆるんだと見るべきか。おどけてこれならちょろいかもな。
最下層付近まで連れていき、道中情報をもらって適当に魔物に襲われる道へ入る。
強者の油断を誘えるのが弱者の強み。
そんなことは下層で死にすぎて熟知してんだよ。
奴の余裕の源は蝶ネクタイといったところか。あれが戦闘力を向上させるとかなんとか。
俺の視線を察したのか、バトラーが小馬鹿にするように軽く笑った。
「ネクタイがそんなに気になるか? 安心しろ、雑魚に奥の手なんて使うかよ。雑魚と言やぁ、テメェは誰なんだ? 弱そうなのになんで下層にいる。それにその外見、人間か?」
「俺が何者か。フフフ、よくぞ聞いた。我が名は」
「待てよぉ。ふーん……下層にいる人間っぽい魔物か……以前見たデータベースにそれっぽい昔話もあったな」
目を閉じて考え込んでいる。隙だらけに見えるが下手に動けば殺されかねん。
男は静かに目を開いた。
俺の戸惑いなど気にもしていない。
だが、さっきまでとは違う真剣な顔つきだ。
「思い出したぞ。たしか……こんな昔話だった。むかーしむかし、不老不死を求めてダンジョン最奥まで潜った王様がいたそうな。んで部下は壊滅。結局その王は地上に戻ってこなかった。だが、生き残った部下が口にした言葉が残されている。曰く、王は堕ちた、人間の王は魔に堕ちた、と」
なぜかニヤリとする。
嫌な笑い方だ。
「なるほど。テメェが噂の魔王か」
「フン。妙な噂が立ったものだな」
「こいつはラッキーだぜ。思わぬ収穫ってやつだ。ってことは、このまますぐに見つかるかもな」
嫌な予感がする。
さらに目つきが剣呑さを秘め、バトラーはゆったりと構えて拳を固めた。
足が勝手に下がる。しかし壁に押し戻され、とっさに右手で赤いラインの剣を掴んだ。
「おい魔王」
「……なんだ」
バトラーは笑いながらヅカヅカと踏み込んできて、俺の目の前で止まった。
視界の端で松明がパチッと弾けた。
奴は言った。
「生命の湖はどこにある」
その瞬間、俺は剣を投げつけた。
バトラーは嬉しそうに自分の剣を掴む。その隙に俺は周りの武器を派手に押し倒し、転がるように走り抜けようとした。
だが奴の横から部屋を出ようとした時、脇腹に凄まじい衝撃が突き抜けた。
俺は倒れ込みそうになり、片膝をつく。痛みで脇腹どころか身体中が熱い。血は出ていないから強烈な一撃は拳だろうか。
汗ばむ俺の鼻先に、バトラーのつま先が見えた。
「やっぱ知ってやがるな。答えろ」
「し……しる、か……ばーか」
「そうか。なら地上の代わりに地獄へ送ってやろう」
見上げると、霞む視界の先でバトラーが剣を構えた。
ちっ……この状況、どうすべきか。
「さてどこから斬り落とすか。希望はあるか?」
「ひ、ひと思いに、殺せよ」
「長生きしすぎてボケたのか、魔王。この誰もが寿命以外じゃ死ねないステキな世の中なんだぜ? 嫌でも蘇生しちまうのに殺すだけじゃ意味ないだろ。だが再生はしない。だからバラバラにするのがいいんだ。そうだろ?」
「知る、か。クソガキ」
バトラーはケーキカットで悩むように刃の向きを変えながら俺を見る。剣を振り上げたままどこを斬るか迷っているらしく、すぐには振り下ろさない。まさか俺を生け捕りにするつもりだろうか。
いい加減意識が飛びそうになってきたが、視界の端に転がる武器を見て、うずくまる自分の顔が嬉しさで歪んだのがわかった。
調子に乗って余裕かましすぎなんだ。
隙ありだ、バカめ。
「今回は……これで終わりだ、人間!」
俺は立ち上がりながら地面に転がっていた球体をバトラーに投げつけようとした。
だが奴は冷静に俺の右腕ごと切り落とし、返す剣でこの胸を貫いた。
「ぐああぁぁぁっ」
どこが痛いのか、全身の感覚が狂ったみたいに熱を上げている。そもそも痛いのかさえわからないほどの激痛に意識が途切れそうになった。
剣を引き抜かれ、倒れ込みそうになる。
汗と痛みで目を開けていられない。
だが……だが俺の勝ちだ!
投げる直前に起動させた球体が、斬り離された俺の手から転がった。
バトラーはチカチカと点滅する球体に気づくが手遅れだ。逃げ出す間もなく勢いよくガスが噴出し、猛毒があっという間にコレクションルームを包みこんだ。
かすむ視界の端で、バトラーが口を覆っているのが見えた。
さすがのバケモンも防ぎようはないだろう。
ないよな……?
「くっ、これは……うぐっ、ぐあ……く、苦しい、テメェ、自分もろとも……やってくれるぜ」
「うっ、ぐへっ……ちゃんと、効いてんじゃねーか。は、ははは……あはははははははっ!」
俺の隣に崩れ落ちたバトラー。
その首へ手を伸ばす。
意識が途切れる前に俺が掴んだもの。
それは、太陽のように真っ赤な蝶ネクタイだった———




