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第十八話 光は与えられた


 こぽり。温かい水の中。

 私は呼吸をしていた。

 誰かがそばにいる。ロジオンだろうか。

 目を閉じているから、わからない。

 ここは、どこだろう?


『ねえ』


 誰かに話しかけられた。


『ねえ、おねがい』


 応えたいのに、目は開かない。

 声には、焦りのようなものを感じるのに。


『このままじゃ……ぼくたちは……』


 弱々しい声に、何とか目を開けようと奮闘したけれど。

 私の意識は急速に浮上した。



「アリシア!」


 見えたのは、ルビーのような輝く目と艷やかな黒い髪。

 何だか険しい顔をしたロジオンが、私の顔を覗き込んでいる。


「ロジ、オン……?」


 あれ? あの温かい水は?

 体を起こしても、見えるのはいつもの花畑だ。

 季節に関係なく咲き誇る不思議な場所。

 ここは、『乙女の園』だ。

 そう、私はロジオンと遊ぶ為に来て、待ち疲れて……。


「私……寝てた……?」

「凄くうなされてたよ!」


 顔色の悪いロジオンが、詰め寄ってくる。

 かなり心配させてしまったようだ。

 私は、へらりと笑う。


「夢、見てたみたい」

「怖い夢?」


 怖い? いや、あれはむしろ……。

 

「温かい、感じがしたよ」

「本当に?」


 寝ている間、私は相当苦しそうにしていたみたいだ。ロジオンが疑いの眼差しを向けてくる。


「うん。ただ……」


 夢のなかで聞いた声は、とても弱かった。

 それが気にかかる。

 何か、嫌な感じだ。

 ロジオンが思わしげに、私の顔を覗き込む。


「もうすぐ、エティア母さまが赤ちゃん生むから、不安なんだよ」

「そう、なのかな……」


 お母さまは、今はお家で出産の準備に入っている。

 バタバタしているから、お父さまが私を『乙女の園』に連れてきたのだ。

 当のお父さまは、お母さまのそばにいるべくお家に帰っている。

 いきなり生まれることはないけど、一週間の間には生まれるのだと言われていた。

 だから、今日ロジオンに会った後は私もお母さまのそばにいるつもりだ。


「アリシア」


 ロジオンがきゅっと手を握る。温かい。


「大丈夫だよ。アリシアはお姉さんになるんだ」


 微笑むロジオンに、先ほど感じた嫌な予感が消えていく。

 そうだ。私はお姉ちゃんになるんだ!

 勇気が湧いてきた。

 ロジオンは、本当に凄い! 私の心をこんなにも明るくできるのだから。


「ロジオン、大好きー!」


 私はロジオンに思いっきり抱きついた。

 その拍子に、花畑に転がってしまう。


「あぶっ、危ないよ、アリシア!」

「えへへー」


 私、ロジオンが居てくれて良かったって、本当に思うよ!

 そんな楽しい気持ちでロジオンと過ごし、帰宅した私を待っていたのは、お母さまの陣痛が始まったという青い顔をしたお父さまの言葉だった。


 忙しなく、目の前を女の人が通り過ぎて行く。

 私はとある部屋の前で、長椅子に座り呆然としていた。

 女の人……乙女の園の癒し手とお産婆さんたちの励ますような声が部屋のなかから聞こえてくる。

 癒し手が必要なほどの、緊迫した状態だということなんだ。

 お母さまは、部屋のなかで出産に挑んでいる。

 お父さまはお母さまのそばにいる為、部屋のなかへと入って行ったまま。

 私のそばには、一人のメイドさんがいた。


「お嬢様、大丈夫です。奥様を信じましょう」

「うん……」


 でも、手の震えは止まらない。

 一週間以内とはいえ、直ぐには生まれないんじゃなかったの?

 お父さまは、何故あんなにも真っ青になって、震えていたの?

 何も教えてもらえないのは、私が子供だから?

 何もわからないまま、私はただただ祈っていた。

 お母さまが無事でありますように。赤ちゃんが元気に生まれますように。

 出入りする女の人たちは、真剣な表情だ。

 今、命がかかったお産をしているのだ。お母さまは。それが痛いほどわかる。


『……ねえ』


 誰かの声がした。

 私に話しかけるのはそばにいるメイドさんだけだけど、メイドさんは目を閉じて祈っている。

 彼女では、なさそうだ。


『もう……きみに、託すしか、ないんだ……』


 なおも声は聞こえる。

 周りを見ても、声の主は見えない。


『僕たちを……お母さまを、助けてね……』


 ふと頭上が明るくなる。

 もう夕方を過ぎたというのに。

 ひらり、ひらり、見上げれば光が私に降り注いでいた。


「え……?」


 困惑の声が口から出た。

 光は全て私のなかへと入っていく。


『不完全だった、きみは、もう、大丈夫だね』


 弱々しくなる声に焦りが生まれる。

 何だろう。

 嫌な予感が、どんどん強くなっていく。


「待って!」

「お嬢様?」


 椅子から立ち上がり叫んだ私に、メイドさんが不思議そうに声をかけた。

 その時だった。

 世界を震わすかのような、産声が響いたのは。


「お嬢様! お生まれになられました! おめでとうございます!」

「う、うん……」


 感動に声を震わすメイドさんに、私はぎこちなく頷く。

 嫌だ。

 嫌な感じが、じわじわと胸を満たしていく。

 無事に赤ちゃんは生まれた。嬉しいはずなのに、不安が大きくなるのだ。


「あああああ……っ!!」


 幸福で満ちているはずの部屋のなかから、慟哭が聞こえた。

 お父さまの声。

 胸が引き裂かれるかのような、悲痛な悲鳴。

 静かに部屋の扉が開かれる。


「……娘さんを、部屋に」


 沈痛な表情のお産婆さんが、メイドさんに言う。

 メイドさんの体が震えた。


「まさか……奥様は……っ」

「旦那様が、お呼びするようにと……」


 それだけで、わかった。

 わかってしまった。

 赤ちゃんは生まれた。

 でも、それは……。


「お、お嬢様……」

「いきます。お母さまに、会います」


 お産婆さんとメイドさんから息を呑む声がした。

 私は、静かだった。幼い子供にしては、不気味なほどに。

 ただ、お母さまのそばに行かなくてはならない。

 それだけは、はっきりとわかっていた。


 部屋のなかは、静まり返っていた。

 お父さまは呆然としていて、空を見つめている。

 赤ちゃんは産湯から出され、おくるみのなか。癒し手が抱っこしている。

 ようやく会えた、赤ちゃん。

 でも、今はお母さまが先だ。

 私はベッドの上で、身動き一つしないお母さまのもとへ向かう。

 周りから戸惑う空気を感じた。

 でも、私は冷静だ。不思議なほどに心は落ち着いている。

 だらんとベッドの上に伸ばされたお母さまの手を取る。ちょっと背伸びしながら。


「アリシアちゃん……」


 顔見知りの癒し手の女の人が涙声で私を呼んだ。

 母親の死をわかっていないと思われているのだろう。

 大丈夫。私はわかっている。わかった上で、お母さまを取り戻すのだ。

 だって、お母さまの体、淡く光っている。

 まだ間に合うのだ。


「アリシア、エティアは……」


 声を震わすお父さま。

 だから、私はお父さまを見た。


「大丈夫だよ、お父さま」

「アリシア?」


 私は絶望しているお父さまに微笑んだ。

 どうしてだか、私は何をすればいいのかわかっていた。

 今まで、見えなかった光が今は皆に見える。

 体の中心に集まるそれは、お母さまにもあるのだ。

 私は、お母さまの手から先ほど体に入った光を意識して、光と光を結ぶイメージを持つ。

 私の光とお母さまの光が繋がる。

 ゆっくりと、光はお母さまの体全体へと向かっていった。


「これは……」

「癒やしの光が……」


 癒し手たちが驚きの声を上げた。

 きらきらと、光が私とお母さまを包む。

 そして……。


「ごほっ、ごほ……っ」


 それまでピクリともしなかったお母さまが、激しく咳き込む。呼吸が戻ったんだ。


「息を吹き返したわ!」

「皆、エティアの容体確認を!」


 閉じられていたお母さまの空色の目が開かれた。


「ああ……エティア!」


 お父さまがお母さまに駆け寄るのを見届けたら、気が抜けたのか。

 私はふらりと体が傾いてしまった。


『ありがとう。姉さま』


 そんな声が聞こえた気がしたけど。

 私はメイドさんの腕の感触を最後に目を閉じた。

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