第十七話 空の色
きゃーと歓声を上げて、私は草地に転がった。
すぐ目の前にはいつもの花畑。
息を切らして、ロジオンが追いついてくる。
「アリシア! そんなことしたら、危ないよ!」
「ロジオンも転がろうよー!」
「駄目だよ! 忘れたの? 母さまたちから、大人しく遊びなさいって言われたでしょう」
「そうだった!」
がばっと、私は体を起こした。
今日も今日とて、ロジオン訪ねて『乙女の園』に来ているのだが。
今日はちょっと事情が違うのだ。
「アリシアの母さまの検診が終わるまで、ちゃんと待たないとでしょう?」
「わかった! 私、良い子にするー!」
「うん」
ロジオンがとことこ歩き、私の隣に座る。
花畑を見ながら、息をつく。
「アリシア、お姉さんになるんだから……」
「ふへへー」
そうなのだ。
いよいよ、私はお姉ちゃんになるのだ!
お母さまのお腹はとても大きい。
お産婆さんの話だと、いつ生まれてもおかしくないらしい。
なので、お父さまが念の為にとお母さまを『乙女の園』に連れてきたのだ。
体調を診てもらうのだって。
お産婆さんは順調ですよ、と言ってたけど。
お父さまは心配なんだよね。
私も心配だけど、お母さまは大丈夫と言っていたから信じたい。
「アリシア、お姉さんになったら。しっかりするよー!」
「本当かなあ……」
ロジオンは呆れ顔だ。
「ふっふっふ。ロジオンくん!」
「急にどうしたの」
「アリシアちゃんは、今までのアリシアちゃんじゃないのだ!」
「そ、そうなんだ」
私の気迫に圧されたロジオンが息を呑む。
「なぜならば!」
「う、うん」
「今日の髪の毛は、アリシアちゃんが自分で! やったのだ!」
ばばーんと、ツインテールにした髪の毛を指差した。
ちっちゃな手で頑張ったんだよ!
「あ、だから高さが……」
「何か言ったー?」
「ううん! 何も! 言ってないよ!」
ロジオンは私から目を逸らした。
怪しいよ、ロジオン。
分かってるもん。高さが不揃いなことぐらい。
でも、自分でやりたかったんだ。
もうすぐ、お姉さんだから!
お姉さん! 響きがもう良いよね!
「……嬉しそうだね、アリシア」
「ん?」
ロジオンが複雑そうな表情を浮かべている。
そして、俯いた。
「ロジオン?」
「アリシアが、お姉さんになったら……あんまり遊べなくなるのかな……?」
しゅんと、項垂れるロジオン。
おや?
おやおや?
おやおやおや?
私はロジオンのそばに走り寄る。
そして、ロジオンの手をぎゅっと握った。
「私、ロジオン大好きだよ?」
「……知ってる」
「知ってらしたかー」
ロジオンが私の手を握り返してくる。
少し震えているみたいだ。
「知ってる、けど。さびしい……」
きゅっと唇を噛むロジオン。
私は驚いてしまう。
ロジオンがこうやって、感情を現すのは珍しいのだ。
彼は我慢強いから。
ロジオン自身はたくさんの愛情を与えられているのに、それをありのまま受け入れていない。
本当に自分は愛される存在なのかと、疑っているのかもしれない。
今のロジオンになる前の、愛情に飢えた状態があったからかもしれない。
だから、ロジオンは辛いことがあっても我慢をしてしまう。自分だけで抱えるのだ。
そこに孤独だった頃の面影を見てしまい、心臓がぎゅうっとなってしまう。
「ロジオン!」
「わ、わっ!」
私はロジオンに抱きついた。
一緒に花畑に転がる。
「アリシア……?」
戸惑うロジオンに、私は笑いかけた。
頭や服に花びらが付いたままだが、気にしない。
「私、ロジオン大好きだよ!」
「え、え……!」
顔が真っ赤になるロジオン、可愛い。
私はぎゅうぎゅう抱きしめて、精一杯の気持ちを伝える。
「お姉さんになっても、変わらないよ! たくさん遊ぼう! たくさん、一緒にいようね!」
「アリシア……」
ロジオンは言葉を詰まらせた。
だけど、くしゃりと顔を歪ませる。
いつも見せてくれる笑顔とは違う、苦しそうな微笑みだ。
「……俺、幸せだよ」
六歳になった子供が言うには、重さのある言葉。
深い深い孤独の底に生きていた過去のロジオンが再び重なる。
「ロジオン! 皆、ロジオンが大好きだよ!」
「うん、うん……っ」
『乙女の園』の母さまや父さまたちだって、ロジオンを愛しているのだから。
ロジオンは頬を赤く染めて、もじもじしていた。
「俺も……好き、だから」
「ロジオン!」
感激のあまり、私はまたロジオンに抱きついた。
それを受け入れてくれるロジオンに、愛しさがこみ上げる。
ロジオン、ロジオン。
貴方はもう、独りじゃないんだよ。
私たちがいるんだから。
「あらあら、二人とも。お花まみれよ」
と、お母さまの声がした。
振り向けば、お父さまと腕を組んだお母さまがにこやかに微笑んでいたのである。
空いた手は、膨らんだ腹部に添えられていた。
「ロジオンまで、珍しいね」
お父さまが苦笑している。
私たちは、慌てて体を起こした。
「終わったの? お母さま! お父さま!」
「ええ。産まれるまで、あとひと月もないそうよ」
「ほあー!」
私はロジオンを見た。
「もうすぐお姉さんだ!」
「そう、だね」
「そうしたら、ロジオンはお兄さんだね!」
「え……」
目を丸くするロジオン。やはり可愛い。
小さく笑うお父さまが、お母さまから離れてしゃがむ。ロジオンと目線を合わせたのだ。
「アリシアはお転婆だからね。ロジオン、君が良き兄となってほしいな」
「そうね。アリシアと一緒に、この子と仲良くしてくれるかしら」
お母さまも優しく微笑む。
これは、ロジオンを我が家に引き取るとかいう話ではないのはニュアンスで分かった。
そんなことしたら、ロジオンの母さまや父さまに恨まれてしまう。皆、ロジオン大好きだから。
あと、『乙女の園』以上に安全な場所はないというのもある。
でも、それはそれとして。
私たちは、共に暮らせなくとも親しい存在であるとロジオンに伝えたのだ。
ロジオンは、俯いていた。
「俺が……お兄さん」
ぽつりと呟いた時、雫が一滴地面に染みた。
でも、顔を上げたロジオンは笑顔だ。
目を輝かせて、私たちを見ていた。
「うん! 立派なお兄さんになる!」
まだ見ぬ妹か弟よ。
君には、頼もしい兄姉がいるからね!
安心して生まれてきてね!
ロジオンの手を握り、見上げた空はとても澄んでいた。
『誰も、誰も、俺を愛さない!』
うん。
『皆、憎んでいるんだ! 悪意しか、俺にはないんだ!』
そうだったね。
でも、もう大丈夫だよ。
皆、皆、貴方を愛している。
この空ように澄んだ貴方という存在を。
だから。
「ロジオン、大好き」
何度だって、伝えるからね!




