三十二、金印の歴史を学ぶために
三十二、金印の歴史を学ぶために
金印公園の石段の最後の一段を降り切った時、是非とも、もう一度、志賀海神社を尋ねて、金印と志賀海神社の因縁と阿曇族のその後に起こった歴史について、神官でもある先日の女性に会って詳しく聞き質したいと心から思った。
「さあ、帰りますよ、早く乗って」
私の姿を見つけた妻は車の窓を開けて、少しイラついた様子で叫んだ。
「ねえ、これから志賀海神社に、ちょッとだけ、寄って、それから、神社の近くの、ほら、N食堂で評判のサザエ丼を食べて帰ろうよ」
助手席に乗り込みながら猫なで声で話す私に妻はきっぱりと言った。
「何を言っているの、もう夕方よ。夕食と明日の朝食の準備をしなくちゃいけないでしょ、さっさとシートベルトをして」
妻の言葉には叱責の響きがあった。
「ねえ、歴史に興味を持つのは悪くないわ。でも生活のことも考えて欲しいのよ。夢ばかり食べたって、おなかは満たされないでしょ」
と彼女は続けた。
その時、私は密かな企みに気づかれたのかもしれないと思い、はっとした。
数年前から、通勤の行き帰りのバスと電車の中で日本史の教科書を読むようになっていた。
日本の古代史を本格的に学びたいという思いが私の中でくすぶり始めていたのである。
その火はいつか草原の野焼きのように燃え広がり、枯れ草を悉く焼き尽くすまで制御できないほどに燃え上がっていた。
最近、英語の勉強を始めた。
漢文や古文については、どうやら若者よりも馴染んでいることが分かった。
現代文については日ごろから起案文書を作成し、上司から表現や漢字の間違いについていじめの様に指摘されているので、ある程度の自信はある。
大学で本格的に日本の歴史を学びたいと思い始めたのである。
その上で、歴史の教科書に載っている蛇印が日本の古代史上、どのような立ち位置にあるのか眺めた時、如何なる景色が見えるのか大いに興味が湧くのだ。
井の中の蛙とか、独りよがりだとか、偏見だとか言われないためには、博多から離れたところで客観的に学ぶことが必要ではないか。
その上で、蛇印と阿曇族を研究のテーマに選ぼうと思うのだが、場合によっては、新たな地平が見えることもあり得る。
だが、それには少しばかり、金がかかることが問題ではある。
いずれ、妻には相談しなければならないが、今話せば、彼女の逆鱗に触れることは明らかだ。
車が全長二百メートルほどの志賀島橋を過ぎると、そこからは海の中道と呼ばれる砂嘴である。
海の中道を通るたびに白砂青松の明媚に魅入られて私は夢中になる。
海の青、空の青が互いに溶け合って輝き、清々しく澄んだ空気に心は洗濯されて弾む。
「自然の力は想像を超えている。この美しい砂洲が志賀島まで繋がったとき、海を二つに、玄界灘と博多湾に、切り分けたのだ。その瞬間、それぞれの海は全く性格が異なってしまった。白波の立つ玄界灘、対照的に一枚の鏡を張ったような博多湾、いいね」
子供のように興奮して喋る私に、妻は冷たく言い放った。
「あなた、ここを通る度に、毎回、同じことを言っているわ」
「もう、聞き飽きたわよ」
と、吐き捨てるように付け加えなかった分、まあ良し、とするかと私は思う。
「愛してるよ」
と、言い訳のように言う私に、
「馬鹿じゃないの」
と、妻は応じた。




