おまけ(前魔王視点)
前後編を書いてから約四年後におまけを書いたので、文体や登場人物の性格、口調が少し変わっています。
本編と矛盾があったらすみません。
魔族が新たなる王を迎えて一月。
勇者だった人間を魔王とすることに異を唱える者も出るかと思っていたが、この男の力が圧倒的であることは、我々魔族は身を以て知っている。力ある者に本能的に従う魔族は元勇者に反発するどころか、最強の指導者をすぐに受け入れた。一部には熱狂的な支持者もいるらしい。俺が討たれた直後は荒れていたこの国も、今や平穏そのものだ。
一方、勇者が魔王となったという事実は人の世を震撼させ、人間どもは未だに混乱の中にいるらしい。自分たちを守るために魔王を倒した者が次の魔王になった、それは人間にとっては酷い裏切りにも思えたのだろう。全く愉快なことだ。先に裏切ったのは人間の方だとも知らずに。
「何ニヤニヤしてるんだ。早く次の書類よこせ」
「……そう急くな。ほら」
元勇者の声に思考を遮られ、今が執務の途中だったことを思い出す。新しい書類を渡してやれば、新王はすぐにそれに目を通し始めた。
半ば俺に唆される形で即位したにもかかわらず、こいつは魔王としての執務を全て行っている。新王曰く「成り行きとはいえ責任は持つ」らしいが、奴の本心がそれだけではないことは明らかだった。
以前、聞いてみたことがある。人間に復讐するつもりはないのかと。勇者を使い捨てようとした人間に、その報いを受けさせてやればいいと。
魔王としての権力、そして元勇者としての力があれば、それは非常に容易いことだ。だが新王は、
「俺はやっぱり、人間を恨むことは出来ない」
と、どこか寂しげに笑っただけだった。
勇者に選ばれただけあって、新王は人間を、世界を深く愛していた。護りたいと心から願っていた。あれほど手酷く裏切られても、まだその気持ちは残っているらしい。
魔王になり人から恐れられる存在になった今、新王が人間のために出来ることは限られている。魔族が人間に危害を加えないように監視すること、そして、そのような状況が次の魔王の代になっても続くよう環境を整えることだ。
今、新王はこの国を、世界を変えようとしている。魔族と人間との長年に渡る確執をなくし、互いが互いに悪感情を募らせないように。
途方もない道程だが、それでも新王はやるつもりなのだろう。自分を切り捨てようとした人間のために。俺には理解できない思考だが、それが人間というものなのだろうか。
そのまま黙々と執務を続けていると、不意に新王が顔を上げた。
「そういえば、そろそろ他の国にも会見を申し込もうと思ってたんだ。いくつか候補はあるんだが、どこがいいと思う?」
「……好きにすればいい。俺は貴様の命に従って動くのみだ」
それは考えるのが面倒なだけだろう、と文句を言う新王の顔を見下ろす。
二度目の会見など、本当はどこでもいいのだろう。最初の会見で、まず新王の当初の目的は果たされたのだから。
即位してすぐ、新王は人間の王との会見を行った。相手は、新王が勇者だった頃仕えていた……勇者を殺そうとした、あの王だ。この会見で初めて勇者が魔王となったという事実を人の世に知らしめたのだが、若き王は新しい魔王を見ても顔色一つ変えず、堂々とした態度で新王と握手を交わした。まるで、こうなることが分かっていたかのように。
――――これは俺の憶測に過ぎないのだが。勇者が魔王となったのは、全てこの若き王の目論見だったのではないだろうか。
一国を治める王が、たった一人で魔王を倒せるほどの力を持つ勇者を殺すために、実力行使という最も非現実的な行動を取るのは不自然だ。正面からぶつかれば甚大な被害が出ることなど、誰でも分かる。本当に殺すつもりならば、より確実な方法はいくらでもあったはず。敢えてそれをしなかったのは……かの王が、本当は勇者が生き延びることを望んでいたからだとしたら。
勇者があのまま英雄として祭り上げられていれば、かの王の言った通り、強すぎる力を異端と見なされて人間から迫害されていたかもしれない。あるいは、次は人間同士の戦争に駆り出されていたかもしれない。そうなれば、結局勇者は人間に殺されていただろう。
かの王は追っ手を放つことで勇者が人の世から逃れるように仕向け、魔王という確固たる地位が勇者の身を守るような状況を作り上げた。
果たしてそれは、かの王の人としての情ゆえの行動か。それとも、魔王になったとしても勇者が人間を攻撃することは出来ないと見越した上で、より人間にとって安全な都合のいい魔王を作っただけなのか。いずれにしても……
「……難儀だな、人間というものは」
「なんだ、急に」
「いや……」
「……変な奴だな」
怪訝そうな顔をしながらも、新王は再び書類に目を落とす。傍らには聖剣が置かれているが、彼が魔王となってからは一度もそれが使われたことはない。
世界は今、ただ平和だった。
拙い作品をここまで読んでいただき、ありがとうございました。