第47話 黒炎の騎士
第47話 黒炎の騎士
黒炎と銀色の冷気が、二人の間で激しくぶつかり合った。
《黒炎闘気》の発動から十五秒。
残された時間は、四十五秒。
「リベンジマッチといきましょうか、ジン」
シルフがレイピアの切っ先を向ける。
「望むところだ」
ジンは黒炎を纏う刀を構え、大地を蹴った。
一瞬で間合いが消える。
漆黒の刀と銀色のレイピアが正面から激突し、黒炎と氷の粒子が弾け飛んだ。
シルフは正面から押し合おうとはしない。細身の剣を滑らせるように刀を受け流し、その勢いを利用してジンの側面へ回り込む。
鋭い切っ先が脇腹へ迫った。
神眼が、肩から腕へ流れる魔力を捉える。
ジンは身体を捻って刺突を躱し、返す刀でシルフの胴を薙いだ。
だが、刃が触れる直前、シルフの身体が白い霧へ変わる。
斬り裂かれたのは、人の形をした氷像だった。
「また、これか」
「同じ手に何度も引っ掛かるつもり?」
声と同時に、地面から氷柱が突き出した。
ジンは後方へ跳ぶ。
足元を掠めた氷柱が次々と連なり、逃げ道を塞ぐ巨大な氷壁へ変わった。
周囲には、十人を超えるシルフが立っていた。
木の陰。
氷壁の上。
砕けた石畳の向こう。
すべてが同じ顔でレイピアを構え、一斉にジンを見つめている。
「その力が何なのかは知らないわ」
幾つもの口が同時に動く。
「でも、それほどの力を長く保てるはずがない。無理に追えば、先に倒れるのはあなたよ」
「そうかもしれないな」
ジンの胸の奥では、《双環炉》が凄まじい速度で回転していた。
通常の魔力と、ジョーカーから漏れ出す邪悪な力。
二つを重ねて練り上げるたび、炉の内側へ熱が蓄積していく。
すでに胸は焼けるように痛い。
それでも、ジンは刀を下ろさなかった。
「なら、倒れる前に決める」
「やってみなさい」
無数のシルフが同時に地面を蹴った。
四方から銀色の刺突が迫る。
ジンの神眼が黄金色に輝いた。
氷の分身体にも、シルフと同じ魔力が込められている。外見も、気配も、動きも見分けがつかない。
しかし、生きた人間の身体には、絶えず循環する魔力の流れがある。
心臓。
肺。
手足。
そして、下腹部でオーラを練り上げる丹田。
「そこだ」
ジンは背後へ振り返り、刀を振り上げた。
「――っ!」
本物のシルフが目を見開く。
刀とレイピアが再び激突した。
黒炎が銀色のオーラへ食らいつき、刀身から冷気を削り取っていく。
シルフは即座にレイピアを引き、間合いを離した。
「氷像の中から、どうして私を……」
「魔力の流れまでは同じにできないらしいな」
「本当に厄介な眼ね」
シルフが左手を掲げる。
周囲の氷像が一斉に砕け、その破片が無数の刃へ変わった。
「だったら、見えても避けられない数を撃ち込むまでよ」
氷刃が降り注ぐ。
ジンは刀を振るい、正面の氷を斬り払った。
黒炎に触れた氷刃が、蒸発するより早く魔力ごと喰われて消滅する。
一歩。
二歩。
ジンは氷の嵐を切り開きながら前へ進む。
腕や頬を、避け切れなかった破片が切り裂いた。
それでも足を止めない。
「そこまでして、勝ちたいの?」
「俺だけなら、ここまで無茶はしない」
ジンの視界の端には、倒れた仲間たちが映っていた。
魔力を使い果たしながらも、二丁の魔銃を握っているクロエ。
氷の中で悔しそうにこちらを見ているアグニス。
凍結した大木のそばで、立ち上がろうともがくニーニャ。
サーシャの膝元で幸せそうに気絶しているイアン。
誰か一人でも欠けていれば、ここまで辿り着けなかった。
「みんなが、俺をここまで残した」
ジンの刀が氷の嵐を切り裂く。
「だから、俺が勝って終わらせる」
残り三十秒。
ジンが踏み込んだ。
黒炎を纏う刃が、シルフのレイピアへ襲いかかる。
シルフは氷を何層も刃へ重ね、刀を受け止めた。氷が砕けるたびに新たな層を作り、黒炎が本体へ届くまでの時間を稼ぐ。
刃がぶつかる。
火花が散る。
黒炎と冷気が絡み合い、周囲の空気が悲鳴を上げた。
「この数日で、オーラを身につけたの?」
「ああ」
「どうやって?」
「ジルベスター先生の魔力を見て、真似した」
「見ただけで……?」
シルフの表情が僅かに引きつった。
「それで、自分のサークルを作り替えた」
「あなた、本当に馬鹿なのね!」
シルフは呆れながらも、楽しそうに笑っていた。
レイピアの連続突きが、ジンの胸、肩、喉元を狙う。
ジンは神眼で切っ先を追い、刀で一つずつ逸らしていく。
入学試験で剣を交えたときとは違う。
あのときのジンは、黒騎士の力に頼っていた。ジョーカーに身体を動かされ、その力の本質すら理解していなかった。
今は違う。
握る刀も、纏う黒炎も、自分の意思で動かしている。
「強くなったわね、ジン」
「お前に言われると、悪い気はしない」
「でも、勝つのは私よ」
シルフが後方へ跳んだ。
森林区画を覆っていた氷が、一斉に砕ける。
氷壁。
氷像。
凍結した地面。
それらに込められていた魔力が銀色の奔流となり、シルフの身体へ集まった。
背中から、巨大な氷の翼が広がる。
残り十五秒。
レイピアの切っ先へ、鋭く研ぎ澄まされたオーラが収束する。
触れただけで、肉体の内側まで凍結させる極寒の刺突。
「これで終わりよ」
ジンは刀を鞘へ納めた。
全身を覆っていた黒炎が急速に消えていく。
逃げたのではない。
残された力のすべてが、右腕と鞘の内側へ集められている。
「最後の一撃ということね」
「ああ」
シルフがレイピアを正面へ向ける。
ジンも腰を落とし、刀の柄へ右手を添えた。
「受けて立つわ」
残り五秒。
「《零点穿華》!」
氷の翼が弾けた。
シルフの姿が、銀色の閃光となって消える。
一直線に見えた刺突は、空中へ展開された氷の鏡へ吸い込まれた。
右。
左。
頭上。
レイピアの切っ先が鏡を渡り、軌道を変えながらジンの死角へ迫る。
だが、神眼は魔力の道筋を捉えていた。
ジンは振り返らない。
半歩だけ身体をずらし、背後から迫る切っ先へ鞘を滑り込ませた。
氷の刺突が僅かに逸れる。
「《黒炎抜刀》」
漆黒の閃光が走った。
音が消える。
次の瞬間。
漆黒の抜刀が、レイピアを根元から断ち切った。
だが、黒炎を纏った刃はシルフへ届く寸前で止まる。
代わりにジンは踏み込み、左手に握った鞘をシルフの胸当てへ打ち込んだ。
二人の姿が交差する。
次の瞬間、森林区画を覆っていた氷が、中央から一斉に砕け散った。
ジンの頬を一筋の血が流れる。
シルフの手から、折れたレイピアが落ちた。
「どうして……斬らなかったの?」
「新人戦の前に、仲間を斬るわけにはいかないだろう」
「仲間……」
シルフは目を細めた。
「随分と変わったのね」
小さく微笑み、その場へ膝をつく。
同時に、一分が経過した。
黒炎が消える。
限界へ達した《双環炉》が軋み、ジンの胸へ灼熱の痛みが走った。
膝が折れかける。
それでも刀を石畳へ突き立て、辛うじて立ち続けた。
「そこまで!」
ジルベスターの声が演習場へ響き渡る。
「決勝戦、勝者――ジンチーム!」
観覧席から、割れんばかりの歓声が上がった。
その宣言を聞いた瞬間、ジンの身体から力が抜けた。
「ジン!」
倒れる寸前、クロエがその身体を支えた。
「最後まで無茶ばかりするのね」
「勝ったのか……?」
「ええ。私たちの勝ちよ」
「やったニャ!」
ニーニャが地面へ座り込んだまま、尻尾を大きく振る。
「うちらが新人戦の代表ニャ!」
「当然よ」
氷から解放されたアグニスが、腕を組んで顔を背けた。
「私があれだけ相手を消耗させたのだから、勝ってもらわなければ困るわ」
「アグニスはシルフに負けたニャ」
「うるさいわね!」
少し離れた場所では、イアンがサーシャの膝を枕にして眠っていた。
「ええ夢や……」
「ど、どうしてまだ起きないんですか……?」
顔を赤くするサーシャの声に、疲れ切った笑いが広がる。
シルフが仲間の肩を借りながら立ち上がり、ジンの前へ歩いてきた。
「今回は、あなたの勝ちね」
「違う」
ジンは仲間たちを見回した。
誰もが傷だらけだった。
それでも、全員がここにいる。
「俺たち五人の勝ちだ」
クロエが僅かに目を見開き、やがて静かに微笑んだ。
「そうね」
夕暮れを告げる鐘が、騎士学園に鳴り響く。
一か月後には、王国中から選ばれた一年生が集う学園対抗新人戦が待っている。
黒騎士の力は、まだ戻らない。
《双環炉》も《黒炎闘気》も、完成には程遠い。
それでも、ジンはもう一人ではなかった。
復讐だけを胸に歩いてきた少年は、この日初めて、仲間とともに勝利を掴んだ。
その意識の奥深く。
眠り続ける悪魔の仮面へ、小さな亀裂が走る。
『……やっと、喰い終わったぜ』
誰にも届かない声とともに、赤紫色の眼光が灯った。
――第一章 完
ここまで『黒騎士物語』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回の第47話をもちまして、物語の第一章は完結となります。
復讐のために一人で戦ってきたジンは、クロエ、ニーニャ、アグニス、イアンと出会い、少しずつ仲間とともに戦うことを知りました。最後の「俺たち五人の勝ちだ」という言葉に、第一章で描きたかったジンの成長を込めています。
しかし、彼らの物語はまだ始まったばかりです。
王国中の強者が集う学園対抗新人戦。眠りから目覚めようとしているジョーカー。そして、ジンが胸に抱き続ける復讐の行方。
第二章では、さらに大きな戦いと新たな出会いが彼らを待っています。
これからもジンたち五人の物語を見守っていただけましたら幸いです。
第一章の最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
それでは、第二章でまたお会いしましょう。




