勘違い受付嬢はナンパされる
道具屋を後にしたセインは冒険者ギルドに来ていた。
昨日角ウサギで稼いだ金は先程使い果たした。
仕事をしないと今日の宿すら取れないのだ。
「色んな依頼があるなぁ。どんな依頼を受けるべきなんだろう」
そう思って来たは良いが自分に適した依頼が分からず掲示板の前で悩んでいた。
だが、いつまでも悩んでいたって仕方ない。
こういう時は人に聞くのが1番だ。
そう決断したセインは受付嬢に相談することにした。
ちょうど昨日と同じ受付嬢がカウンターに立っていた。
そこでセインは気が付いた。
(そういえばこの人の名前知らない)
冒険者ギルドの受付嬢ともなれば冒険者とは関わる機会は多いだろう。冒険者としても永くお世話になる筈だ。
そんな人の名前を知らないというのは些か失礼ではないか?
それは不味い、とセインは早速名前を聞くことにした。
「すみません、ちょっと良いですか?」
「あら、セイン様。どうなさいましたか?」
「貴女のお名前を聞かせていただけませんか?」
ナンパだろうか?
本人にその気は無かったが、言われた側としてはそうとしか感じられなかった。
「え、えっと、それは構いませんが……」
「な、何か問題でしたか!?」
突然のナンパ――もう一度言うがナンパではない――に驚き口籠った受付嬢に対し、名前を教えてもらえないのかと危機感を覚えたセインが語気を強めて問い詰める。
誤解が加速した。
「い、いえ、そういうわけではないんですけれど、あまりそういうのは困ると言いますか。こちらとしても仕事とプライベートは分けているので、お応え出来ないと言いますか」
セインの勢いに慌てる余り口調が少し崩れてしまう受付嬢。
そんな受付嬢の様子に、流石のセインも何か誤解されていると気が付いた。
「あ、あの誤解させてすみません。そういうわけではなくてですね、その、これから仕事をしていく上で関わる相手の名前を知らないのは失礼かと思いまして」
「あ、ああ。そういうことでしたか、早とちりしていしまい申し訳ありません。私の名前はリーンと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそすみません。これからよろしくお願いします。リーンさん」
誤解が解け、申し訳なさそうに眉を下げるリーン。
それを見て、誤解が解けたことに胸を撫で下ろすセイン。
「それで、セイン様。ご用件は名前だけでしょうか?」
まさか名前を聞くためだけにギルドに来たわけではあるまいと、リーンが尋ねる。
「あぁ、忘れてました。依頼を受けようかと思うんですが、どんな依頼が良いのか悩んでまして、オススメなどはありますか?」
「そうですね……セイン様は戦闘経験はございますか?」
ちらりとリーンはセインの見た。
セインの装備は街に入った時と同様に、石の棍棒と石の籠を持っている。
今はそこにベルトとベルトに下げられた三つの袋が増えていた。
一般的な冒険者の様な剣や弓は持っておらず、歩き方も素人のソレだ。
戦闘経験は無さそうに見えるが、手に持つ石棍棒がそれを否定するかの様に存在感を示していた。
「戦闘経験はほとんど無いですね。昨日初めて角ウサギを狩ったばかりでして、そういえばホーンラビット?という魔獣も混じっていたらしいです」
「魔獣を気付かずに倒したと……?」
「まあ、そうですね」
信じられないものを見るようにセインを見つめるリーン。
そんなリーンの様子には気付かず、セインは恥ずかしそうに答えた。
そもそも魔獣とは戦闘経験の無い一般人が戦えるような相手ではない。
ホーンラビットは魔獣の中でも最弱と言われるほどの強さしかないが、それでも普通のウサギの10倍の筋力を持ち、その素早さを持ってして額の角で獲物を貫くのだ。
最弱と言われるホーンラビットですらその強さを持っている。決してただの角ウサギと勘違いしたまま狩れるような獲物ではないのだ。
もし気付かずに近付けば、想像以上の素早さに反応すら出来ず体に穴を開けることになるだろう。
それが魔獣という生き物なのだ。
「そ、そうですか……では魔獣とは戦えると言うことでよろしいでしょうか?」
「そうなるんですかね?実感が余りなくて」
そう言って苦笑するセイン。
知らぬ間に倒していたのだ、実感など湧くはずもない。
「では、そうですね。倒した経験もあるようですし、ホーンラビットの討伐依頼はどうでしょう?」
「良いですね。詳細を聞いても良いですか?」
「もちろんです。依頼内容は角ウサギの森でホーンラビット5匹の討伐です。報酬は1000ルニ、素材は不要とのことで、討伐したホーンラビットはセイン様の物となります。期限は10日、可能であれば10匹以上討伐して欲しいそうです。その場合は1匹につき200ルニで2000ルニまでは追加出来るとのことです」
「最大報酬は3000ルニってことですか?」
「そうなります。いかがいたしますか?」
単純に考えて30000円だ。それに加えてホーンラビットは1匹500ルニで売れる。つまり15匹狩れば合わせて105000円となる。
これは良い依頼ではなかろうか?
「結構良い条件に思うんですが、なぜ誰も受けないのでしょう?」
「そういえばセイン様は冒険者になられたばかりでしたね。もちろん、この報酬には理由があります。そもそも、魔獣を狩れる人が少ないというのが一点。それから、ホーンラビットを見つけるにも角ウサギの森を数日探し回って数匹の群れを見かける程度です。それにホーンラビットは角ウサギとよく似ていますから遠くから見ただけでは分かりません。おかげで余分に狩りをしてしまい荷物が溢れて探索中断、なんて事がよく起きるのです」
「え、えーっと、つまり?」
あまり理解していなさそうなセインに、リーンは少し呆れたように苦笑しながら答える。
「……つまり、探索に時間がかかる上に荷物も嵩張る為、時間に対する利益が少ないのです。しかし、戦闘や探索の訓練にはちょうど良いですから、こうしてオススメしているのです」
「なるほど、冒険者なりたての俺にちょうどいい依頼ってことですね!受けます!受けさせてください!」
(会ったばかりの自分に対して、これほど真剣に考え依頼を勧めてくれるなんて、なんて良い人なんだろう!)
などと、セインは感激しているが、普通にリーンは仕事をしただけである。
それが冒険者ギルド受付嬢の通常業務なのだから。
「では、依頼受理の手続きをします。ところで、セイン様は角ウサギとホーンラビットの違いはご存知でしょうか?」
「角ウサギは動物で、ホーンラビットは魔獣なんですよね?」
「それもそうですが、外見的相違点についてです。ご存知……無いようですね」
受付嬢の質問にポカーンとした顔をしていたセインを見て、察したリーンが言葉を続ける。
「通常の角ウサギは目が赤いのですが、ホーンラビットは目がより深い紅色となっています。それから角も角ウサギは薄い黄色ですが、ホーンラビットは濃い黄色です」
「……それだけですか?」
まさかのほとんど見た目が変わらないということにセインは驚愕した。
「はい。見た目の違いは以上です。あとは近づいた時逃げるのが角ウサギで、襲ってくるのがホーンラビットというところでしょうか。本当に見分けづらいので気をつけてくださいね」
リーンはそう言って微笑む。
結局は近付かないとほぼ分からないようだ。
なにはともあれ、セインは依頼を選び終えた。
後は依頼を達成するだけだ。
「それでは、お気をつけて行ってらっしゃませ、セイン様」
「っはい!行ってきます、リーンさん」
受付嬢リーンに見送られ、セインは冒険者ギルドを後にする。
向かう先は角ウサギの森。昨日セインが街に来る最中に立ち寄った森だ。
街を囲う門を出て街道を歩く。
今日の門番は昨日とは違う人だった。日替わりなのだろうか。
森までは街道がまっすぐ通っているので特に迷うこともなく2時間程で辿り着いた。
(森に入る前に、この石籠は置いて行こう。棍棒振るのに邪魔だし)
森には昨日セインが刺した石杭が残っていた。
わざわざ別の道を通る理由も無いため、セインは石杭に沿って歩くことにした。
それから10分程歩いた時、前方に小さな生き物の気配がした。
セインはゆっくりと近づき様子を見る。
(……目が赤い。でも、よく見てもどっちか分からないなぁ)
やはりセインには角ウサギとホーンラビットの違いは分からなかった為、正面から戦うことにした。
セインが近づくとそのウサギは警戒する様に耳を立てた。
互いの距離は10メートル。
棍棒の射程には程遠いが、逃げられてもある程度ならセインが走るだけで追いつけることは昨日の戦いで分かっている。
セインはグッと脚に力を込めると、一気に飛び出した。
ウサギはセインの射程に入るまで逃げなかった。
セインが棍棒を振り下ろすと、ウサギに当たる直前、ウサギは木に向かって跳躍した。
そしてそのまま木に着地すると今度はセインの心臓に向かって飛び込んできた。
(攻撃を躱した上に反撃!?ホーンラビットだったか!)
「くっ!」
セインは咄嗟に身を逸らして躱すが、思考に気を取られていた為か少し遅れた。
ホーンラビットの角がセインの左腕を掠める。
鮮血が舞う。
この世界に来て初めての怪我。
「っっ!!いってぇ!!」
セインは痛みに顔を顰めるが、ホーンラビットは待ってはくれない。
森の木を利用して縦横無尽に駆け回りセインを攻め立てる。
セインも応戦するが、左腕の痛みに集中を乱されて反撃に出れない。
(昨日は簡単に躱せたのに……!)
たった一瞬、気を緩めた瞬間攻撃を食らった。
たった一撃、それだけで劣勢に追い込まれた。
こうしている間にもホーンラビットの攻撃は続く。
フェインラミナスから与えられた反射神経と筋力を用いてなんとか躱し続けているが、それだけで精一杯だった。
だがそんな状況も長くは続かない。
5分ほど躱し続けたのち、また一瞬集中が途切れる。
「ぐあっ!」
今度は右脚を角が掠める。
身がえぐれるほどでは無いがかなり深い裂傷を食らった。
(脚の痛みで、力が入らない……)
そこからは一方的だった。
痛みで集中が途切れ、力も存分に入らないセインに、五体満足のホーンラビットが攻め続ける。
セインはなんとか致命傷は避けていたが、次第に体の傷は増えていき、気付けば全身傷だらけになっていた。
戦闘が始まって15分。
たった15分。それとも15分もと言うべきか、セインにとっては長い15分だった。
だがそれはホーンラビットに取っても同じことのようだった。
ほんの一瞬、攻撃の手が緩む。
地面に降り立ち、息を整えているようだ。
(今しか……ない!!!)
ホーンラビットが休んだのは1秒にも満たないほんの一瞬。だがセインはその一瞬を見逃さなかった。
体のあちこちに傷が入り、上手く力が入らないが、全身の力を使い棍棒を振り抜く。
まさか今まで1度も反撃せず、全身傷だらけになって満身創痍の敵が急に反撃してくるとは思ってもいなかったのだろう。
ホーンラビットは驚きに体を硬直させ、回避行動を取る前にセインの棍棒に吹き飛ばされた。
森が静寂に包まれる。
数メートル地面を転がったホーンラビットはピクリとも動かなくなっていた。
ドサッ
セインは緊張の糸が切れたのか、膝から崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……死ぬかと、思った……」
仰向けになりながら、先ほどの戦いを思い出す。
ほんの少しでも回避を失敗していれば、恐らく、死んでいただろう。
昨日、たった1度勝っただけの相手に、油断していた。
昨日勝てたから今日も余裕だろうと、反撃の可能性を考えずまっすぐに突っ込んだ。
その結果がこれだ。
「これじゃあ、強いなんて言えないな」
家族に会う為、聖奈に会う為、強くならなきゃいけないのだ。
ここで死ぬわけにはいかないのだ。
呼吸を整え、一頻り反省したセインはゆっくりと立ち上がる。
いつまでも寝転がっては居られない。依頼があるのだ。
遠くに転がって行ったホーンラビットの死体を革袋に入れながら索敵を行う。
(近くに敵はいないみたいだ)
そう考えるセインの顔に油断の色はもう無かった。
だが、このときのセインはまだ知らない。この先、自分に降りかかる悲劇を。
少しでも面白いと思っていただけたら幸いです。
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※2020年6月16日
末文に1文追加しました。