第1話 歌わないギター担当、吟遊詩人になる
白い石の洞窟に、ギターの音が跳ね返る。
制服の上に、指先しか出ないぶかぶかのえんじのカーディガンを着た女の子。首から下げていたピックを外して弦をかき鳴らし、低い声で歌っている。
女の子の歌声に応えるように、翼を広げたまま止まったモンスターの胸で、魔石が光り、同じ低い音で鳴った。
低い歌声がまっすぐ伸びたところで、魔石にひびが入り、割れる。
これはあたしの話だ。人前で歌えないあたしが、いつか必ずこうして歌う。
◇
金曜の放課後、西日の入る軽音部の部室で、あたしはアンプに腰かけて前奏を弾いている。
人前で歌った回数、ゼロ。ギター担当の三浦心音とはそういう女だ。穴をあけて紐を通し、首から下げているピックは、一度も弦に当てたことがない。
前奏の最後の音を鳴らして、歌の入りで手を止める。
窓の前のマイクスタンドで、幼なじみの有村海歌が口を開けて――マイクは鳴らなかった。
床に長く伸びたマイクスタンドの影も、足元の黄色いテープに油性ペンで書いた「うみか」の字も、いつもと同じだ。
海歌が窓の前に立ち、あたしはその1歩半後ろで弾く。幼稚園のころから、この並びは変わらない。変わったのは声が出ないことだけだった。
海歌がくるりと振り向いて、スマートフォンを親指で叩く。
打った文を、海歌のスマートフォンの読み上げのアプリが、甲高いロボットの声でしゃべった。
[声が出ないので、ボーカルはただいま宇宙と交信中です]
「いや、交信してるならマイクに出してよ」
[声の電波が悪くてぇ。なんちゃって]
「ロボの声でなんちゃってって言われても。その声、何種類の中から選んだの」
[48種類。いちばん宇宙っぽいやつ]
海歌はけらけら笑ってから、もう一度マイクに向き直った。
歌い出しの前に小さく息を吸う、いつもの癖。唇が歌の形に動いて、スピーカーからはアンプの小さなノイズだけが返ってくる。
海歌はまた振り向いて、肩をすくめた。朝からずっとこの調子で、一度も「困った」と打っていない。
それがいちばん困る。困ったと言わない子の隣で、あたしだけが困っているのは、なんだか損だ。
[代わりに心音が歌ってよぉ]
「無理。あたしギター担当だし」
袖で口元を隠して笑う。ぶかぶかのえんじのカーディガンは指先しか出ないので、こういうときに便利だ。あたしの声は低くてかすれていて、人に聞かせるものじゃない。
海歌がマイクのほうへ戻ったとき、長い髪の間で、小さな銀色の金具が光った。
チョーカーの留め金だ。昨日までは、首に何もつけていなかったはずなのに。
「海歌、それどうしたの」
海歌が首を回して、前を見せてくれる。細いチョーカーの真ん中に、白い真珠が1粒ついていた。
[昨日ね、ライブハウスの楽屋で、よくしてくれる年上のミュージシャンにもらったの。つけてから、声が出なくてさぁ]
「プレゼントのセンスはいいじゃん、その人」
[でしょ? 似合うって言ってくれたんだよぉ]
風邪なら、一晩でこんなに急には来ない。たぶん、これのせいだ。
苦しくないかと聞くと、海歌は首を横に振った。締めつけられてもいないのに、声だけが出ない。
2人がかりで留め金を引っぱった。爪が白くなるまでやっても、金具はびくともしない。小さな留め金1つが外れないなんて、どう考えてもおかしい。
「冒険者協会、行こ。持ちこんだ物が魔法の品かどうか、鑑定してくれるって」
灰色をした冒険者協会の建物は、海歌が昨日歌ったライブハウスの真向かいにある。海歌はそっちを一度も見ないで、協会の自動ドアをくぐった。
協会の鑑定窓口は、冒険者でなくても使える。お代は1品につき数千円。
あたしの財布から5千円札が出ていった。弦が3セット買える額だ。
チョーカーは外れないので、職員さんが鑑定機を海歌の首元に向けた。
画面に文字が並ぶ。品の名前は『沈黙の真珠』。
等級はレアで、その下に赤い字で、呪いの品と出ていた。効果の欄には『身につけた人の声が出なくなる』とある。
「は?」
思わず声が出た。呪いなんて、ゲームの中の言葉だと思っていた。
海歌が歌えなくなる話を、この画面はたった1行で済ませている。海歌の顔を見ると、真珠より白かった。
「外す方法は、ないんですか」
「呪いの品は、つけた人からは外れません。チョーカーごと壊すしかないんです」
いちばん下にある壊す条件の欄を見る。そこには『この鑑定機では読み取れません』と出ている。
職員さんは一度その欄を見て、海歌の首元を見ないようにして言った。
「呪いの品を壊す品は、たいていダンジョンの深い所で出ます」
それだけだった。何を探せばいいのかも、何層なのかも、画面には1文字も出ていない。読み取れません、で済ませないでほしい。
「深い所って、どこ」
職員さんは、申し訳なさそうに首を横に振るだけだった。
[深い所って、エレベーターある?]
「ないし。たぶん階段だし」
[レアだって。当たりじゃん?]
「当たってない。1個も当たってない」
海歌は窓口を出てからも、帰り道でも、ずっとボケて笑っていた。
◇
夜の8時半。あたしは2階の自分の部屋で、ギターを抱えたまま弾けずにいた。
スマートフォンには、帰ってすぐ海歌から届いた、今日はありがとね、のメッセージが残っている。最後には笑った顔の絵文字まで付いていた。
路地を挟んだ向かいの窓に、海歌の部屋の明かりがついている。閉めたカーテンに、ベッドの端に座った海歌の影が映っていた。
向かいのカーテンで、海歌の影の肩が、震えている。
泣いていた。
音は、しない。
この路地は狭くて、いつもなら海歌の鼻歌まで窓越しに聞こえてくる。書きかけの歌詞を、何度も同じところでつっかえながら口ずさむのが海歌の夜だ。
今夜は何も聞こえない。しゃくり上げる肩だけが、カーテンの向こうで何度も上下していた。
高校に入った春、軽音部に誘ってきたのは海歌のほうだった。あなたのギターでないと歌えない、と言って。
海歌は、人前では絶対に泣かない。中学のころから、ずっとそうだ。
窓を開けて名前を呼べば、海歌はすぐに笑顔を作って、カーテンを開けるだろう。
自分の部屋で窓の鍵に手をかけ、「海歌」と言いかけて、その手を離した。
首のピックをつまむ。角が指の腹に食いこむまで、強く。
チョーカーを壊せる何かは、ダンジョンの深い所にある。協会の地下なら、ここから歩いて3分だ。
だったら、探しに行けばいい。あたしが。
冒険者証なら、今夜でも取れる。
ギターをスタンドに戻して、階段を駆け下りた。台所の母は冒険者証の同意書に何も聞かずに署名して、気をつけて、とだけ言った。
協会の受付に滑りこんだのは、締めの21時の1分前。2時間ほどの講習は、窓の明かりのことばかり考えているうちに少し早めに終わって、Fランクと印字されたカードが手に残った。
講習室の時計は、22時52分。18歳未満がゲートを通れるのは、23時までだ。
あと8分。2階から階段を駆け下りる。
1階の鑑定窓口の隣、協会の売店の前を走り抜けるとき、ガラスケースのナイフが一瞬だけ目に入った。夕方、海歌の首に呪いと出た画面の、すぐ横だ。
走りながら、左手の指先を見る。弦を押さえる指だ。ここを切ったら、しばらくギターが弾けない。
モンスターより先に、自分の指の心配をしている。冒険者、向いてないのかもしれない。
足は止めなかった。止まっても、どうせ手は伸びない。
地下の階に、改札のようなゲートが並んでいる。人の姿は、もうほとんどない。
22時56分。冒険者証を当てて、ゲートを抜ける。石の下り坂の先は、白い洞窟だった。
天井から、つららのような白い石がいくつも下がっていて、その先がほのかに光っている。下北沢の地下に、こんな白い場所があったなんて知らなかった。
【ステータスが与えられました。「ステータス」と唱えると開きます】
耳ではなく、頭の内側で声が鳴った。
【職業が、吟遊詩人に決まりました】
【《歌魔法》を取得しました】
「吟遊詩人って、あの、歌う人? スキルまで歌なの」
ネットでは、弱い職業の代表みたいに言われている。剣士でも魔法使いでもなく、よりによって、人前で歌わないあたしに。
「……ステータス」
目の前に、半透明の画面が開いた。
名前:三浦心音
Lv:1
職業:吟遊詩人
HP:40/40
MP:12/12
筋力:5 耐久:6 敏捷:8 器用:10 魔力:9
スキル:《歌魔法》 Lv1
スキルpt:0
取得可能なスキル:0件
器用だけ2桁ある。ギターで鍛えた指だ。
海歌に、器用10だった、と打ちかけて、消した。ナイフ1本つかめなかった指の自慢なんて、送れない。
スキルの名前を念じると、その下に、説明の2行が開いた。
歌に魔法を乗せて、聞いた相手に効かせる。歌っている間だけ効く。《歌魔法:眠り》/《歌魔法:拡声》
《歌魔法》を Lv2 に:スキルpt 5(はい/いいえ)
眠りは、聞かせた相手を眠らせる歌。拡声は、声を大きくして相手にぶつける技。
「いや、歌ってる間だけ効くって。どっちも、ずっと歌ってなきゃいけないってこと?」
海歌みたいな高い声だったら、話はもっと早かったのに。誰もいない洞窟で、あたしは口を結んだ。
人前で歌った回数、ゼロ。
強くなるには、歌うしかない。
本日(10/18 (日)) 10話まで一時間ごとに投稿予定です。
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