第1話 鉱山の首輪
「立て」
兵士が、若い狼族の背へ槍の石突を押し当てた。
若い狼族は鉱石を抱えたまま、片膝をついている。立ち上がろうとしているが、細い腕に力が入っていなかった。
「休むな。日が落ちるまでに、あと二往復だ」
「そいつはもう限界だ」
ルナは抱えていた鉱石を下ろし、一歩踏み出した。
直後、首にはめられた鉄の輪が喉へ食い込んだ。
「ぐっ……」
息が止まり、膝から力が抜ける。
隷属の首輪。
ニンゲンの命令へ逆らい、逃げようとし、危害を加えようとすれば、装着者の喉を締める王国認可の魔術具だった。
ルナは首輪へ指をかけた。
外れない。
指先を差し込む隙間さえない。
「ルナ、動くな」
片耳の裂けた老狼、ラウガの声だった。
かつてルナの父を支え、同じ戦場を走った狼族である。今は古傷の残る脚で荷車を押していた。
「そいつを助ければ、お前も倒れる。今は耐えろ」
ルナは兵士から目を離さなかった。
若い狼族の背へ、槍の石突が押しつけられる。
身体は動かない。
自分だけでなく、ラウガも、周囲の狼族も首輪をつけられている。誰かが反抗すれば、その者の喉が締まる。
「そいつの荷は俺が運ぶ」
低い声とともに、背の広い狼族が前へ出た。
ボルグだった。
兵士はボルグを見上げ、槍を構え直す。
「勝手に持ち場を離れるな」
「荷が運ばれれば問題はないはずだ」
ボルグは若い狼族の前に立った。
兵士に飛びかかるつもりはない。ただ、これ以上は近づかせないと、その大きな身体で示していた。
監督官が坑道の入口から下りてくる。
「いいだろう。そいつの分も運べ」
監督官はボルグの背へ、若い狼族の鉱石まで載せた。
「途中で落とせば、二頭とも罰する」
ボルグは答えず、二頭分の鉱石を担いだ。
若い狼族が立ち上がるまで、ラウガがさりげなく身体を支える。
それ以上、ルナには何もできなかった。
監督官を倒すことも、仲間の荷を奪うこともできない。
族長の娘でありながら、目の前の仲間一頭すら守れない。
ルナが動くのをやめると、首輪がようやく緩んだ。
空気が喉を通る。
湿った石と煤、鉄、それに疲れ切った狼族たちの匂いが肺へ入った。
「よく効いているな」
監督官がルナを見下ろした。
「族長の娘なら、もう少し働け。お前が役に立たなければ、死んだ父親も浮かばれんぞ」
ルナは返事をしなかった。
何か言えば、また首輪が締まる。
父は狼族の族長だった。
ニンゲンが群れを捕らえようとした時、仲間を逃がすために戦った。そして、戻らなかった。
族長を失った狼族は追い立てられ、負傷した者から捕らえられた。
ルナも、ラウガも、ボルグも同じだった。
首輪をつけられ、鎖につながれ、この鉱山まで運ばれた。
それ以来、狼族は石を掘っている。
朝から夜まで。
倒れれば食事を減らされ、逆らえば首輪で喉を締められる。
死ねば、別の狼族が連れてこられる。
文官が坑道の壁際で羽根ペンを動かしていた。
「午前の稼働数、二十三。軽傷三、重傷一。死亡なし」
名は呼ばれない。
誰の子かも、どのように生きてきたかも、紙には残らない。
生きているか。
働けるか。
ニンゲンが記録するのは、それだけだった。
「午後は上の坑道へ回します」
文官は書類から顔を上げずに続けた。
「鉱石の質が上がっています。夜まで延長すれば、予定量を超えられるかと」
「食料はどうする」
「今日の分は減らせます。首輪がある限り、反抗はできません」
監督官が満足そうにうなずいた。
ルナは拳を握った。
首輪がなければ。
その考えを抱くたび、喉へ残った痛みが現実を突きつける。
ルナ一頭の首輪が外れても、群れは動けない。
父なら、誰を先に助けるべきか判断できただろう。
誰を前へ出し、どこから逃がすのか決められただろう。
だが、今のルナには方法がなかった。
「何を止まっている。運べ」
兵士が槍で岩壁を叩いた。
ルナは鉱石を抱え直した。
ボルグは二頭分の荷を運んでいる。
ラウガも、古傷の残る脚で荷車を押していた。
若い狼族は何も持っていない。それでも、立って歩くだけで苦しそうだった。
今は耐えるしかない。
だが、このまま終わるつもりはなかった。
ルナが歩き出そうとした時、横穴の奥で白い光が瞬いた。
全員の動きが止まる。
「何だ?」
兵士が槍を向けた。
煤と泥に覆われていた石床へ、いくつもの線が浮かんでいる。
線は円を作り、その内側から白い光があふれた。
坑道の風が乱れる。
ここにはない空気が、横穴の奥から流れてきた。
ルナは鉱石を下ろした。
監督官も、文官も、何が起きているのか分からないらしい。
兵士たちは槍を構えているが、誰も光へ近づこうとしなかった。
やがて光が弱まった。
円の中央に、ひとりの者が膝をついていた。
姿はニンゲンに見える。
だが、服も靴も、この鉱山では見たことのないものだった。武器も持っていない。
その者は石床へ手をつき、ゆっくりと顔を上げた。
最初に監督官を見た。
次に兵士と文官を見る。
どれにも、ほとんど興味を示さなかった。
そして、首輪をつけられた狼族たちへ視線を移した。
ラウガ。
ボルグ。
倒れかけた若い狼族。
最後に、ルナを見る。
その目が大きく開かれた。
口元には、場違いなほど明るい笑みが浮かぶ。
ニンゲンの形をしたその者は、嬉しそうに呟いた。
「……ガチケモ」




