泥棒によるカーチェイス
西湖を囲む山を切り拓き、掘り返し、平らにした。閑散とした空き地を、離れた丘の上からアナログな双眼鏡で確認すると、ヘルデンテノール号で見た通りの家屋が立ち並んでいる。
その最奥にある、どことなく生活感のある家屋。あそこに、ニオ・フィクナーが捕えられているのだろう。
「準備は済んだか」
フォードの中で着替えていたアーニャは、これで大丈夫かと不安に思いながらも出てきた。
「似合っているじゃないか」
あの集落で暮らすアンドロイドたちの服装は、一般的な警備員と変わらない。アンドロイドだと露顕すれば、ライアード、ひいては斎賀アキムにも火の粉がかかるからだろうか。だというのに、近くの丘の上から見ても明らかな程に、銃器で武装している。ネットでは一応、重要研究室が地下にあるとなっているので、誰も不思議には思わない。正面突破は無理なように見えるが、ベルカントとアーニャの姿なら問題ない。
数えきれないほどのアンドロイドを、変装で騙してきたのだ。ミハイルから送られてきたデータにもあったが、人間と遜色ないアンドロイドは、まだ試作段階のようで、脳内のチップに最高セキュリティは積んでいない。むしろ人間に近いので、普通のアンドロイドよりも、両目にあるスキャナーは旧式と大差ないらしい。
なので、二人とも追加のアンドロイドだと変装して、偽装データのつまったディスクを渡し、念のため中央サーバーを無力化したら、ニオ・フィクナーを助け出して、また偽装データにより、運び出す。
簡単な仕事だ。メインイベントの前座には丁度いいかもしれないが。
「車はここに置いておく。あとでアリアが戻してくれるだろう」
そんな余裕で大丈夫なのか。アーニャは心配していたが、やはり場数が違うようだ。アメリカ特殊部隊並みの能力を持っていても、実際に使わなくては意味がない。
「いいか? アンドロイドを騙す時は黙っているんだ。それと、無駄な動きをするな。奴らは人間に忠実だが、命じられたこと以外には、ヒステリーを起こした女みたいに豹変する。黙って俺についてこい。お前は、万が一ドンパチすることになったら戦ってもらう」
そんなことは御免だが、二人はアンドロイドに似た合成皮膚で作られたような顔で歩きだした。事前に入手した服装と、ベルカントの不気味の谷を越えた人間と機械が混ぜ合わさった変装により、切り立った崖に面する場所でアサルトライフルを装備しているアンドロイドへ機械的に頭をさげると、偽装データの詰まったディスクを読み取らせる。そうしただけで、集落へと足を踏み入れられた。
辺りには、刑務所以上に厳重な警備が広がっており、ばれたら蜂の巣だ。アーニャは動揺を隠せないでいるが、なんとか及第点だ。
しかし、自然破壊とはこういうものを指すのだろう。抉られた山肌と土砂で汚れた湖を見て思う。かつては湖畔に観光客を狙った飲食店があり、それらは自然を極力破壊しないように、ひっそりと佇んでいた。それが今や、無理やり山も湖も奪われ、ニオ・フィクナー一人を隠すための隔離施設になっている。
なんともやりきれない気持ちで、慎重に進んでいく。目指すは、最奥にいるニオ・フィクナーがいる家屋と、そこから離れた中央サーバーのあるあばら家だ。
怪しまれないようにゆっくりと、そしてアンドロイドらしく決まった歩幅で近寄る。小高い山になりつつある道を登れば、中央サーバーがある倉庫とニオ・フィクナーのいる家屋に道が分かれた。事前の打ち合わせ通り、アーニャにはニオ・フィクナーの方へ向かってもらう。
ここからは、それぞれが一人で仕事をこなす必要がある。とはいっても、相手はアンドロイドだ。いくら人間に近づけようと、所詮は機械。自然ではなく人間が作りだした産物だ。だとするならば、同じ人間に突破できないはずはない。
斎賀アキムの作ったアンドロイドをここまで観察して分かったことだが、非情に人間に似ているも、事前情報通り、機能はそこまで完璧ではない。これだけで、自らのスキャンダルを隠しつづけるつもりだったのだろうか。
疑問は後だ。今は、アリアからのバックアップを遮るジャミングを解かなくてはならない。それさえ完了すれば、ここにいるアンドロイドたちは動けなくなる。帰る際の偽装データは必要ないかもしれない。
そう、楽観的にこの先のことを捉えた時だった。アラームが鳴り響き、アンドロイドたちの両目のカメラが赤く点灯したのは。
何かがあった。おそらく、アーニャかニオがドジを踏んだのだろう。開けている草木の生えていない丘の上に、アンドロイドたちは集結しつつある。その手に人を殺せるアサルトライフルを持って。
面倒なことになった。ベルカントは舌打ちをうちつつ丘を駆け上がると、ギリギリ人が住める程度の家の中へ向けて、アサルトライフルが向けられている。その数は四十を超え、虐殺が起こせる程のアンドロイドが立ちふさがっている。
どうするか。ベルカントは早急に答えを導き出すと、メインサーバーへと全力で走って向かった。向こうにアンドロイドが集中しているので、怪しまれない。
しかし、時間は限られている。事前にアリアから言われていた全機能の停止は無理でも、一部なら可能なはずだ。念のため、高高度からドローンでこちらを見ているだろうアリアに、知らせる必要がある。車が必要だと。
コンバットマグナムを構えて中央サーバーのある家屋の扉を蹴破ると、こちらに反応した三体のアンドロイドへ寸分たがわず弾丸を二発ずつ撃ちこむ。おじいさんからの教えだ。一発で仕留めようとするなとしつこく言われた。撃つときは必ず、体の中央を狙って二発撃ちこむ。そうすれば、仮に死にはしなくても、動けなくなる。
ベルカントの射撃は見事にアンドロイドを破壊したが、銃声が聞こえているだろう。即座に慣れないリロードをして、あばら家の中を見回す。
すぐにアリアと通信ができる程度にジャミングを消すために、あばら家の中にある青く輝く中央サーバーのコンソールを叩く。アリアには太刀打ちできないが、ベルカントでも直接なら機械類をいじれる。
アリアの指示通りに行えば、いつものピアスから聞こえてきた。なにが起こっているのかと。
「話は後だ。今すぐ車をアンドロイドたちが集まっているところに突っ込ませてくれ」
「なんでそんなことするのか知らないけれど、壊さないでよね」
そればかりは保証しかねる。一応黙っておくと、アリアが遠くに停めた車を外部から操っている。こちらも丘の上へ目指せば、走行音が聞こえてくる。アンドロイドたちはそちらを向いたが、一歩遅く、半分はフォードに轢かれて飛んでいった。
ベルカントは、警戒モードとなり目が赤く点灯しているアンドロイドからの射撃を車の中でやりすごし、ドアを開くと、そのまま車ごとニオ・フィクナーのいる家屋の中に突入した。
「迎えに来た。早く乗れ」
中には震える手でデザートイーグルを構えていたアーニャと、その傍らにいる金髪のボブカットの女性がいる。あれが、ニオ・フィクナーだろう。
震えながらもニオを支えてなんとか乗った二人だが、背後からはアサルトライフルから弾丸の雨が降っている。この車なら大丈夫だが、いつまでもじっとしていてはいられない。
「あんたがニオ・フィクナー。間違いないな」
補助席に乗ったアーニャと、後部座席に座ったニオ・フィクナーは、突然のことに動揺し、事態を掴めずにいる。
「しっかりしてくれ! モタモタしていると、増援が来てもおかしくない」
ベルカントの声に冷静さを取り戻してきたニオは、自分こそがニオ・フィクナーで間違いないと、中性的な声で言う。アーニャにも確認を取れば、間違いないようだ。
「悪いが少々荒っぽいやり方で逃げる。アーニャ、車の運転はできるか」
「その……ごめんなさい。住民票もない私には、教習所へ行くこともできなかったので……」
自動運転が当たり前な世の中で、教習所へ行く人は少ない。それでは、逃がしてくれないだろう。追手の車が来るのは火を見るより明らかだ。そちらへの攻撃が必要になる。アリアの運転に任せるかと一考した時、後部座席のニオが乗り出してきた。運転なら任せてくれと。
「伊達に五十年生きていないからね。それに、ボクが若いころは、自動運転なんてなかったから、免許もあるよ。もう、長らく更新に行っていないけれど」
「助かる。変わってくれ」
背後から激しい射撃がとめどなく続きながらも、ニオはバックしてアンドロイドを蹴散らし、車体を前に向けた。
「行先は?」
「河口湖のインターチェンジに向かってくれ。東京に戻ったら、横浜まで頼む」
「まさか、泳いで逃げるとかじゃないよね」
「大事な宝を塩水には浸せない。すぐに潜水艇が来る」
なら、長年の鬱憤を晴らそうか。ニオは年の割には若々しい見た目で気合を入れると、アクセルを全開で、ガタガタ道を突っ走る。
すぐに道路へ出たが、やはり追手の車はやってきた。乗っているのはアンドロイドだろう。見やれば、六代の黒塗りの車から、アサルトライフルを構えたアンドロイドが乗り出している。その目は赤く光り、目的が警戒ではなく危険物の排除を意味する。つまり、こちらを殺す気なのだ。
「多勢に無勢だよ。どうするのさ」
「泥棒にとっての、オーバーワークだよ」
まだ震えているアーニャからデザートイーグルを奪い、弾丸を確認すると、天井を開けた。そこから顔を出せば、赤い閃光が眩い。だが逆に言えば、アンドロイドにとっての心臓である頭部パーツが、離れていてもしっかり確認できるのだ。
両手で構え、アサルトライフルの銃弾が空を切る中、狙いをつけて一体へ向けて放つ。だが、フロントガラスにヒビが入る程度だ。デザートイーグルで割れないということは、もはや防弾ガラスの域を超えている。
ならば、こちらへ向かって撃っている奴から狙おうかとも思ったが、デザートイーグルのマガジンは一つしかなく、もう九発しか撃てないのだ。慣れないコンバットマグナムでやる事になる。六発の制限つきで。
「ベルカント、聞こえる?」
アリアから通信が入った。今は忙しいので後にしてもらいたかったが、車の動きさえ止めるか減速させれば、空を飛ぶドローンからハッキングをかけて走行不能に出来るという。
そうなると、狙うはタイヤだ。どこまで防弾性能が付与されているか知れたことではないが、狙いをつけてデザートイーグルを放てば、一台がタイヤのパンクで走行を止めた。即座にアリアがハッキングをかけたのか、アンドロイドたちは行動を停止する。
「左からくるよ」
ニオの声がすると、崖際の真横に一台つかれていた。タイヤを狙おうにも、こう近づかれては狙えない。しかし、ニオは笑っていた。
「仕返しだよ!」
タイヤを左へ一気に回し、フォードの車体がアンドロイドの乗る車に激突すると、崖へと落ちていく。
「あんた、やるな。どこでそんな術を習った」
「年の功ってやつだよ。敢えて言うのなら、ミハイルが秘密でゲームを送ってくれたからかな」
ゲームの没入感は凄まじいものへと進化を続けているが、それだけでこうもできる物なのか。流石は斎賀アキムの妻だと再認識した。
「あと四台来るけれど、もう高速だよ」
「インターチェンジは突っ切ってくれ。命とルールなら、どっちが重要かは分かるだろ」
了解。鼻歌混じりにインターチェンジを破壊して高速に乗りこむと、後ろからも追手が来る。
「もっとスピード出ないのかい」
「色々と秘密道具を積んでいるからな。それに、防弾性能ばかり重視したから、スピードはこれが限界だ」
「なら、その秘密道具を使ってよ」
あまり悪目立ちするのは避けたかったのでとっておいたが、すでに背後からは撃たれまくっている。間違いなくニュースになり、SNSで騒がれるだろう。こうなっては、もうどうなってもいい。いったん車内に戻ると、後部座席を取り外して、いくつかのドローンを取り出す。
「少し減速してくれ。こいつが追いつけない」
「なにをするのか知らないけれど、君に賭けるよ。ボクを奪った泥棒さん」
ベルカントだ。そう名乗って天井から出ると、減速したことにより追いつかれたが、ドローンを手裏剣のように投げた。それは投げた先にある身近な鉄に向かって飛び、爆発する。アリアの支援があれば狙うこともなく飛んでいくが、百キロ以上で走っている高速道路で、支援を求めるのは無理がある。目視でやるのだ。
「残りは四台――日本では、嫌な数字らしいな」
白人のベルカントは知ったことかと投げると、追いついてきた四台中、三台に突撃し、爆発した。視界不良で止まった三台は、アリアにより無力化される。
残るは、一台だ。特別仕様なのか、他の車よりも速く、乗っているアンドロイドも、人間に模しているのではなく、機械部分が丸出しの個体だ。
斎賀アキムが残していたのだろう。こういう事態のために。
真横につかれると、無反動砲を構えていた。一瞬生きた心地がしなかったが、ここまで蚊帳の外だったアーニャが車内へと引きずりおろしてくれた。おかげで無反動砲にやられることはなくなったが、ここまでのドンパチを嗅ぎつけて、警察たちも追ってくる。
暇な警察だな、なんて悪態をつきつつ、人間相手では撃ちまくるわけにはいかない。それに、まだ一台残っている。タイヤを狙おうにも、真横にいるのだ。さっきのように、崖に落とすような荒業は使えない。
銃もダメ、ぶつけるのもダメ、他の秘密道具は盗むときに使うものばかり。背後には警察が迫り、真横のアンドロイドは、無反動砲を装填している。
やるしかない。ベルカントは酷く分の悪い賭けに出ることにした。ギリギリ無謀な行いではないそれは、直接車内に乗り込んで、アンドロイドを片づけるのだ。
そこのところをニオとアーニャに伝えると、いくらなんでも無茶だと止められる。しかし、ベルカントの刺激欲求は高鳴り、冷や汗を流しながらも、ぶつけてくれとニオに頼む。
「どうなっても、知らないからね」
その言葉を皮切りに、車体がアンドロイドの乗る車に激突すると、身を乗り出していた一体の顔面にデザートイーグルを放つ。頭部が吹き飛んで力なく倒れたアンドロイドを引っ張り出し、車内に乗り込む。しかし衝撃でデザートイーグルを道路に落としてしまった。それでも当然、アサルトライフルが向けられていた。瞬時にベルトのホルスターからコンバットマグナムを取り出し、前の座席に座る二人の頭部と胸を撃ちぬけば、ガクリと倒れた。
「クラシックが一番だ」
ベルカントも前の座席に移動すると、ドアを蹴って開けて、壊れたアンドロイドを道に捨てる。自動運転だったようだが、この車の管理者であるアンドロイドが機能を停止したため、急ブレーキがかかる。時速百キロで走る車の急ブレーキをエアバックが受けとめてくれると、鼻血を出しながら手動運転に切り替える。
「追っ手は始末した。ドアを開けてくれ」
ベルカントのIドロイドを中継地点として電波の送られた車はアリアが操っており、徐々に寄せると、思い切って飛び乗った。
「上手くいった、か?」
「少なくとも生きているよ」
なんとか、無事に戻ることができたようだ。残るは警察だが、こいつらに追われるのは慣れっこだ。
「煙幕と爆竹を撒く。威力が増加しているから、タイヤもパンクするだろうから、気にせずに逃げてくれ」
「分かったけれど、さっきから凄いね。ミハイルから助けが来るとは聞いていたけれど、泥棒じゃなかったかな」
「さっきも言ったが、オーバーワークだ。もうやらないからな」
煙幕と爆竹をばら撒いて走り去れば、煙の向こうでは警察車両がクラッシュしていた。死んでいないことを祈りつつ、とにかく横浜――海へ急いだ。
追加の警官たちをやりすごして、かなり無茶をして逃げ切った三人は、海岸沿いに追い詰められたが、背後にはヘルデンテノール号が浮上している。
「今日の講演は終わりだ。疲れたからな。代わりに、こいつを売って酒でも飲んでくれ」
オペラ座の双子のプラスチックカードを投げると、浮上したままのヘルデンテノール号に飛び乗る。あのカードは、マニアの間で意外と高値が付くらしい。そんなプレゼントを与えてから、ヘルデンテノール号はしばらく進み、警官たちの声が聞こえなくなると、三人とも船内へ入り、潜水した。
「おかえり」
アリアは欠片も疲れた顔をしていないが、ベルカントは泥棒にしてはやりすぎた。あれではアクション映画だ。もっと、007の様なスマートに事を進めたかったが、しょうがないと割り切る。
「それで、そこにいるのが、ニオ・フィクナーなのね。ミハイルとアーニャの親だって聞いていたけれど、若いわね」
「こればかりは遺伝かな。ボクの姉さんも……いや、なんでもない」
歯切れの悪い回答だったが、これで斎賀アキムを引っ張り出す材料は揃っただろう。アリアがミハイルに連絡すると、またしても地図が送られてきた。
「南アメリカから五十キロの地点ね。太平洋の真ん中だわ。最近秘密で造った海中施設で落ち合うそうよ」
「勝手にやっておいてくれ。俺はシャワーを浴びて少し休む」
今回ばかりは、アーニャも先を譲ってくれた。一本のアクション映画が作れる程の潜入に始まり、人質を救出して、アンドロイドと警官を相手にカーチェイスをして、高速道路で他の車に乗り移って戻った。いつ死んでもおかしくない一日だったと、脱衣所でスーツを脱ぎながら思い耽っていた。