家出の理由
ベンノが退出した後、今度はエルネスティーネを呼ぶことにした。早速セラフィに改めて呼びに行ってもらうと、すぐに執務室の扉がノックされた。
「主様、エルネスティーネを連れて参りました」
「入ってください」
そう言うと扉を開き、セラフィの後ろに続いてエルネスティーネが入ってきた。俺はソファーから立ち上がり、先ほどまでベンノが座っていた正面のソファーに腰を掛けるように促した。
「さて、エルネスティーネさん。貴方の雇用条件について話し合いたいのですが、先に確認させて頂けますか。なぜ貴族の身分を偽ってこのようなことを? 一応、ハーゲンさんにも確認したのですが、念の為ご本人にもお話を伺っておこうと思いまして」
すると、眉がピクリと動いたが、それだけで表情を変えずに堂々とした様子で俺の目を見つめ返した。
「あら、ご存知でしたの。もう、ハーゲンも口が軽いわね。えぇ、その通りです。私の名はエルネスティーネ・フォン・ヒルデブラント。ヒルデブラント子爵家の三女ですわ。お見知り置きを。……って、こういう言葉遣い苦手なのよねぇ。名前も長いし、私のことは『ティニ』で構わないわ。別に不敬だなんて言わないわよ。それで、なんでこんなことをしてるかだけど、家にいてもやれ『結婚しろ』『お見合いしろ』って五月蝿くてねぇ。それでハーゲンのところに匿ってもらってたんだけど、魔導具店の店員を探してるってハーゲンが忙しそうに言うもんだから、ちょっと気になって。それに、何だか楽しそうじゃない? それなら、私も応募するわって、それでこういうことになったわけ。でも、採用されて凄く嬉しいし、これからの生活も凄く楽しみ! だってあの魔導具が一杯の部屋に住むことができて、ここのお店で働けるんでしょ? それって最高じゃない! あぁ、早くここでの生活が始まらないかなぁ。それに働くってことは勿論対価としてお金も頂けるのよね? 私、お金って好きなのよねぇ。特に金貨の輝きってもう言葉に表せない位に最高で……」
最初はお淑やかな、いかにも貴族のお嬢様という話し方だったのに、途中から何だか残念な感じになったような……。それに愛称は『エル』ではなく『ティニ』らしい。少し不思議な愛称だと思う。いや、そんなことはどうでもいい。というか、まだ喋り続けてるんですけど……。
「……それでここの近くには良「はい、ストップ!」」
ひとまず、このままだとこちらが口を開くターンが回ってこないと判断し強制的に止めることにした。
「エルネスティーネさん、いや『ティニ』さんの事情は分かりました。それにしても、結婚やお見合いから逃れる為に家出とは、こういうことは貴族の間ではよくあることなのでしょうか?」
「さぁ? でも、普通に考えると前代未聞よねぇ?」
何とも気の抜けた他人事のようにティニが答える。もう何だか、俺のほうまで気が抜けてきた……。
「はぁ……。もういいです。もし、ご実家関係で何かあった場合はご自身で解決頂きたいところですが……。貴女を雇う以上、無関係というわけにもいかないでしょうから、必ず報告をお願いしますね」
「分かったわ!」
「では、本題に入りますが、ティニさんはご実家では何かお仕事をされていましたか?」
「いいえ、特には。家って子爵家だけど王都住まいでしょ? 領地持ちでもないから特に家族に仕事が回ってくるなんてこと無かったのよね。だから、つまらなくてつまらなくて……。お父様が財務局に勤める法衣貴族じゃなくて田舎でも領地を持ってたら良かったのになぁ」
なるほど、家事手伝いってところか。
「ふむ。では続いてティニさんが得意なことを教えてもらえますか? 別にお仕事の内容に関わらないものでも結構ですよ」
「それなら、算術かしら。一応これでも王立貴族学園では基本学科の中でも算術は得意なほうだったんだから。それから商業科も受けていたのよね。正直、役に立つのか当時は分からなかったけれど、世の中分からないものよね!」
ティニの言った王立貴族学園というのは、この国の貴族の子息が領地経営や政治、行政に携わるに当たって必要な知識を得るための学校だ。成人する前の十歳で入学し、成人する十五歳で卒業となるらしい。
一応、相応にお金を積めば、勿論学力も必要だが平民でも入学できるらしいが、そのほとんどは貴族と繋がりを持ちたい富豪や商人の子息らしい。
因みに、平民向けには国立職業学校という、この王国に存在する様々な職業の知識を得られる職業訓練校があるんだそうな。しかも、王立貴族学園のように入学出来る年齢に制限も無いし、広く人材を集めることに特化している学校のようだ。こちらは三年制で、卒業後は職人に弟子入りするか、商店に就職することが多いらしい。
また、冒険者は十歳を超えていれば誰でもなれるのだが、一応冒険者ギルドにも剣技や魔法の訓練、野営や採取に魔物の捌き方など、冒険者に必要な知識を一年掛けて教えるコースがあるそうだ。これは、一度受けてみたいなぁと思う。時間が取れるか分からないけど……。
アメリアとカミラは早くから冒険者を目指していたそうだし、ヘルミーナもアレクシス氏から錬金術の何たるかを学ぶ予定だったからだと思うが、俺の周りには学園や学校に縁のある人が今までいなかったので、王都の教育制度について今日初めて知ることが多くあった。
おっと、随分と思考が横道にそれてしまった。
つまり何が言いたいかというと、このエルネスティーネは王立貴族学園で貴族として学問を学んだ貴重な存在だということだ。
「なるほど、ティニさんは算術が得意なのでしたら、アサヒナ魔導具店の財務、経理、会計の全ての実務を任せようと思います」
「ちょっと待ってよ!? 普通それって店主や店長がやることじゃないの? 私みたいな従業員に任される仕事内容じゃ無いはずだわ!」
「いいえ、アサヒナ魔導具店の実質的なトップは店長代理のベンノさんになる予定です。私やヘルミーナさんはお店から離れていることが多くなりそうでしたので。ただ、店長代理も店舗の運営や店員のマネジメントに多くの時間を割かなければならない状況になりそうですので、我々の金庫、財政を預かる人は別に立てたいと考えていたのです。いやぁ、本当にティニさんのような人材がよくうちに来てくれたものだと、本当に嬉しく思ってますよ!」
「むぅ、何だか担がれているだけに聞こえるんだけど……」
「そんなことはありませんよ。そもそも店の財政を預かってもらえるような人材は貴重ですからね、これぐらい敬っていても不思議ではないってことですよ!」
「まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、そうは言ってももらうものをもらえないと、そうも言っていられなくなるからねぇ?」
ティニは左手の人差し指と親指で輪っかを作ってそんなことを言い出した。うーん、確実に金銭を要求されてるのだが、こちらとしても無い袖は振れない状況なのだ……。
「ティニさんの仰ることは良く分かります……。ですが、アサヒナ魔導具店もこれから開店するという状況で、売り上げの多くは新しい魔導具に頼ろうとしています。これがヒットすれば何の問題もありませんが、そうならなかった場合は、皆さんのお給料も残念ながら低い水準に抑える他ありません」
「なるほどね、アサヒナ様はあのカードが売れない場合を懸念されているのかぁ。でも、多分そんな心配することないと思うけどねぇ? 初めて見た私やベンノにビアンカたちだけでなく、ハーゲンやリーンハルト王子たちですら絶賛したんでしょ? それなら確実に売れるわよ!」
そんな風にティニは言ってくれるのだが、恐らくそれは無理だろう。
回復薬の価格ですら圧力を掛けてくるような連中を相手にしながら、新たな魔導具をこの世界に広めるのは容易なことではないだろう。そもそも、どうやって広めるのか? この世界には広告を打とうにもそれを載せる媒体、つまりテレビもラジオもインターネットも雑誌すらもない。つまり、一般的には口伝、そうクチコミで広がるのを待つしかないのだ。
そんな中で考えられる手としては、看板を出すか、チラシを配るか……。チラシか……うん、一つ手を思いついたので試してみよう。
とはいえ、ティニの言うように順風満帆に進むかどうかは、今のところ分からないというのが正直な感想だろう。
「はぁ、ティニさんの仰ることも良く分かりますが、新規事業どころか新規商会の立ち上げですからね。ここはもう少し慎重にならないと」
「まぁ、アサヒナ様がそう仰るなら。でも、私はあれは売れると確信してるからね」
そんな話の後、ティニにはベンノと取りまとめたお店の営業日と時間について説明し、改めて給料の話に戻す。
「さて、お話が長くなってしまいましたが、ティニさんのお給料は毎月金貨三枚でお願いしたいと思います。事業が上手く軌道に乗って利益が出るようになれば昇給も検討しますので」
何やら考えを巡らせている様子だったが、納得したのか一人頷いて俺に顔を向けた。
「つまり、金貨三枚からスタート、ということよね。この寮に住めてその条件なら平民だとかなり良い条件だと思うし、問題ないわ」
「承諾して頂きありがとうございます。これからよろしくお願いしますね」
俺はそう言いながらベンノにしたように右手を彼女の前に差し出した。ティニは何も言わず手を出して、強く握りしめた。
「絶対にあの魔導具『神の試練』を王都中に売り込んでみせるわ。そして、絶対に昇給してもらうんだから!」
そんな心強い言葉によって、ティニとの話し合いは終了した。
いつもお読み頂き、ありがとうございます!




