第13話 灯は雷馬と共に
赤色灯を回転させた、白黒の特徴的な車体が団地から遠ざかっていった。サイレンがドップラー効果で異様な音程の歪みを発生させている。
灯と雷馬は、団地の立つ丘の上から、その車が街中へと消えていくのを、静かに、最後まで見守っていた。
「あれでよかったのか?」
雷馬の問いに、灯は強く頷きを返した。
「うん、私、決めたの。許したいって」
彼女はそこで一拍置いて、自分の気持ちを整理した。
「お母さん、自分は母親失格、なんて言ってたけど、やっぱり私にとってみたら、たった一人の、血の繋がったかけがえのないお母さんだもの。呪ったり祟ったりなんてできないよ。なんて、ちょっと甘いかな?」
冗談めいた調子で小さくぎこちなく笑う灯に、雷馬はあくまで真面目に取り合った。
「いいや、君の言う通りだよ。復讐なんて悲しみしか生まない。復讐される側にも、する側にもね。だからどこかで誰かが煮え湯を飲んで許さなくちゃいけないんだ。でも、心の底から許すことは簡単じゃないし、勇気のいることだよ」
それだけの強い意志が、君にはあるのか。
そう問いたげな雷馬を見て、灯の顔から、作り笑いが消えた。
「うん……。わかってる。まだ完全に許せたわけじゃないし、でもいつか、もしかしたらいつか、そんな日が来ればいいなって思うの」
それが、灯の本心だった。許せる時が来たらでいい。母はきっと刑期を終えて出所してくるだろう。
その時に、また前のような関係に修復できるのなら、それでいいと思った。時間はかかるだろう。それでも、灯にとってみれば、母との関係が過去の遺物となってしまうよりも、恒久に継続する進行形の存在として、あって欲しかった。
それに、自分の中にある母との思い出も大切だったからだ。
母に復讐を誓えば、これまでの十七年の記憶そのものを否定して、その存在を頭の中から死滅させることになる。
死ぬのは私だけで十分だ。もうこれ以上、何物も死なせたくない。
「そうだな……。それで、これからどうするんだ? 事件は解決したけど、まだ幽霊のままだし……。それに住む場所とか。やっぱりあの部屋に残るのか?」
それについても、灯はもう既に決心をつけていた。
「ううん、あの部屋にいると、生きてた時のこととか思い出しちゃって、辛くなるから。それに、いつかは新しい人が来て、あそこは私の部屋じゃなくなるし」
「じゃあ、どうするんだよ」
再度雷馬が訊き直すと、灯は少し躊躇いを見せた。
「それなんだけど……、あのさ」
「何?」
勇気を出して、しかし彼女は明瞭に、その意志を告げた。
「探偵助手って、幽霊でも役に立てますか?」
ぽかんと口を開ける雷馬。
灯にしてみれば、彼のこんな間抜けな顔を見たのは、最初に会ったとき以来だった。
ようやくその意図を把握した彼は、素っ頓狂な声を上げた。
「……って、おいおい、それって俺の家に来るってことか!?」
予期していなかった事態に、さしもの雷馬も慌てて視線が泳いでいる。
「ダメかな?」
灯が上目遣いに詰め寄ると、雷馬は照れ隠しに髪をぼりぼりと掻いて、曖昧に答えた。
「いや、ダメってこたあ……ないけど……」
しかし、はっきりと否定しなかったのが、運の尽き。
灯はその隙に乗じて、強気に攻めいった。
「じゃあ、決まり! ね、せっかくだから、今からその家、連れてってよ!」
「仕方ねえなあ~。その代わり、俺の邪魔だけはするなよ」
当惑しながらも、雷馬は拒絶を示さなかった。
二人は黄昏の街中を、並んで歩き始めた。周りの目も気にせず、これまでの湿っぽさを吹き飛ばすような、馬鹿な話で盛り上がって。
灯には何故だかその瞬間が、これまでの人生の中でも、五指に入る楽しいひと時に思えた。既に人生は終えているのだが。
雷馬といると、陰気で弱気な自分を、ほんの少しだけ忘れることができたのだ。
ちょっとした強気の自分。これまで隠れていた自分。
それを見つけることができたのだ。
これも切っても切れない母との繋がり――母の血の為すものなのだろうか。
灯はやはり、母を許そうと決断したことに、後悔はしていなかった。
笑い声を出しながら、灯と雷馬は共に歩いた。
斜陽を浴びた雷馬の影だけが、尾を引きながら雑踏の中に掻き消えて行った。




