3.傷つきました。
『笑天』を一通り楽しんだ後はもう良い時間だった。本当は夕食までお世話になる予定では無かったのだが、ついつい長居する事になってしまい恐縮する。しかし流石大谷の祖父と言うか……大谷のじーさんはいきなり目の前に現れたデカい異分子を、特に警戒する様子もなくすんなりと受け入れ、まるで親戚の子供に対するように気さくにもてなしてくれたので、俺もあまり気兼ねせずにその場所に馴染んでしまった。
だけど大谷のじーさんと大谷と囲む食卓も、その後温かいお茶を飲みつつ笑いながら大喜利番組を見た時間も……何処か懐かしく楽しいものだった。
小学校高学年で両親を交通事故で失くした。それ以来母方の祖父母の家で暮らすようになって日曜の夕方にご飯を食べながら『笑天』を見るのが当り前だった。それから大学に進学する頃祖父が亡くなった。祖母を独りにしたくなくてサークルも入らずバイトもせずに家に直帰し、足の悪くなった祖母の家事を手伝ったり、勉強や読書をしながらなるべく家にいるよう心掛けるようになった。大学受験の暗いトンネルを抜けた同級生達はバイトに合コンにサークル活動にと、生き生きと華やかに過ごしていたが特に羨ましいとも思わなかった。真面目に勉強したお陰で成績は常にトップで教授にも気に入られた。就活も大手企業にすんなり合格。俺が独り立ちするのを見届けた祖母は、暫くして肺炎に掛かりあっけなく無くなってしまった。
今思うと何となく俺は祖母との別れを予感していたのかもしれない。オシドリ夫婦で仲の良かった祖父が亡くなって以来、徐々に彼女の生命力と言うか……気力の炎が弱まっているのを感じ取っていたような気がする。だから残り少ない時間を惜しむように、大学が終わるとせっせと祖母の待つ家へ帰ったのではないかと……時折考える事がある。
その行動を後悔することは全く無いのだが―――中学から高校では学業と部活に専心し、大学では真っすぐ帰宅し祖母とのんびり過ごす生活が当たりまえだった俺は、その結果若い女性の心を読むと言うスキルを育てる機会を持つことなく大人になってしまった。
なのに大手優良企業に就職した途端、女性から告白される事が多くなった。しかし大抵、付き合った後ガッカリされた。デートの約束があろうが誕生日だろうが、クリスマスだろうが俺にとっては仕事を優先するのは当り前の事だった。大学時代も飲み会に出る事もほとんどなかったし、美味しい食事を提供する雰囲気の良い店など分かる筈もない。偶に寄る八十歳の名物ばーちゃんが切り盛りする漬物の美味しい定食屋に連れて行ったら、その翌日に振られた事もある。仕事には熱心に取り組んだのでお菓子には詳しくなったが、食事に関しては今もそれほど進化した部分は無いように思う。
大谷のじーさんに玄関先で見送られ、沢山の手作り野菜を積み込んだレンタカーを走らせた。助手席の大谷がふと、思いついたように口を開く。
「そう言えば亀田課長のおばあさまって、今お独りで暮らしているんですか?」
「いや、もう亡くなった」
「えっ……あ、すいません」
「別に謝る事は無い。もう随分昔の事だ、就職したすぐ後の話だし」
大谷が何と言って良いのかオロオロしている空気が伝わって来る。こういう時コイツの人の良さを感じて胸が温かくなるコトがある。何だかんだ遠慮なく俺に言葉を投げ掛ける一方で、妙に優しいと言うか人を切り捨てられないお人好し感がヒシヒシと伝わって来るのだ。
大谷の優しさに口元が思わず緩んでしまう。俺はフォローするように言葉を続けた。
「子供の頃に両親も事故で亡くしてな、祖母が親代わりで俺を育ててくれたんだ。だから今日は楽しかったよ、大谷のおじいさんと一緒にご飯を食べたりテレビをみたりして、祖母と暮らしていた時の事を思い出した」
「……」
大谷が黙ってしまった。いつもは顔を見て話しているから、顔に感情が出やすい大谷の気持ちは手に取るように理解できるのに、ハンドルを握っている今は視線を向ける事が出来ない。俺は少し不安になって声を掛けた。若い大谷には両親の事故の話題は返答しづらい気まずいものだっただろうか……?余計な事を言っただろうか、と。
「大谷?」
「でも、今日は吃驚しましたよー。まさか課長が『笑天』好きだなんて!テレビを全く見ないって聞いても驚きませんけど、お笑い系見て笑うなんて想像していませんでしたから」
「お前、本当に俺に対して遠慮しなくなったな」
張りのある声に、狭い車内の緊張が解れる。
ホッとして思わず油断した所で、ズバリと大谷の言葉の刃が俺の胸に刺さった。
「だって、散々課長とうータンの絡み見させられてますからねー。でも今でも職場の課長見てたらあれは夢だったんじゃないかって、本気で思う事ありますよ。『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』がピッタリですもん」
「……」
その途端少し浮かれていた頭に冷や水を掛けられた。
そうだよな……『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』がピッタリ。なるほど……女性にとってはそんな男は対象外だよな。
って、俺は何を言っているんだ。
元々俺はただの上司。しかも管理職で彼女は派遣の契約社員。
コワモテだろうが怖かろうが、気を遣うのは当り前なんだ。
おまけに一回りも年上で……下手したら大谷より母親の方が年が近い、何てこともありえるかもしれない。そんな年上のおっさんを大谷がどう思っているかなんて―――当り前のコトに今更なんでこんなに傷ついてしまうのだろうか。




