30.既視感です。
そんなこんなで戦々恐々とした心持ちのまま、一日が過ぎた。本日の亀田課長は午後からの部長説明に向けて阿部さんや樋口さんと小会議室に籠って打合せに勤しんでいる。かと思うと昼休み休憩が半分過ぎたと思ったらコンビニで事前に購入していたらしいサンドイッチを齧りつつ書類に目を通し、休憩明け阿部さんを伴って課を飛び出して行った。
今朝私と亀田課長の遣り取りを見つめていた三好さんを見て以来、いつ昨日の発言を問い質されるかと戦々恐々としていたが、結局就業時間まで彼女から声を掛けられる事も無く一日を終える事となった。
やっぱり亀田課長が言っている事が正しかったのかなぁ。彼の方が断然三好さんと長く接して来たのだから、彼女の事を理解しているのは当然なのかもしれない。
きっと仕事も忙しいだろうし……プライベートの細かい事など、亀田課長の言う通りあまり長い間気にしていられないと言うのが現実なのかも。それに元々三好さんが亀田課長を男性として好きかもしれない、というのも私の勝手な憶測だ。後ろ暗い気持ちがあるから余計にビクビクしてしまって、そんな風にしか受け取れなかったんだ、きっと。それに私は亀田課長と付き合っているわけじゃない、私達の関係に名前を付けるとすれば―――そう、ただの『ウサトモ』だ。共通の趣味があるから話ができるだけ。三好さんは亀田課長を尊敬しているから、つい気になって私を問い詰めたけど―――亀田課長と私の間に甘やかな雰囲気が無いのは、誰の目にだって明らかだ。昨日の私の不自然さを彼女が改めて問い質すのでは、という私の怖れはただの杞憂だったに違いない。
ロッカーから鞄と上着を取り出し、課内に残っている人達にお辞儀をしてエレベーターに乗り込んだ。亀田課長と阿部さんは部長説明が長引いているのか、それとも他の用事の所為かまだ席に戻ってもいなかった。
そんなワケで私はすっかり肩の力を抜いて一階に到達したエレベーターから上機嫌で踏み出したのだが―――エントランスの半ばの所で、立ち竦んでこちらを見ている三好さんに、あっさり捕まってしまったのだった。ひー!
「み、三好さん……あれ?課を出た時はまだ座ってましたよね」
「え?ああ、あの後直ぐに出たの。私の乗ったエレベーターは他の階に停まらなかったから、先に着いちゃったのかな」
そう言えば私の乗っていたエレベーターは、やたらと各階に停まっていた。エレベーター四つあるもんね。そう言う事もあるよね……。
結局私は直ぐに捕まって、コーヒーショップに連行されてしまった。必死で断ろうと思ったのに私があうあう言っている間に、巧みな言葉で三好さんは私を連れ込む事に成功した。流石できる営業は違うと……冷や汗を掻きつつも感心せずにはいられなかった。
「ねえ、何故昨日嘘を吐いたの?」
「え……っ、う、嘘?」
やっぱバレてた?!そりゃそうだよねー、違和感ありまくりだもの。
私は挙動不審に視線を彷徨わせた。一方で三好さんはむしろ穏やかな声音で私を追い詰めて行く。
「昨日ね、私あれから駅で二人を見掛けたの」
「えっ……」
「肩なんか抱いて、一緒に帰って行ったでしょう?亀田課長の家はあの改札を使わない筈。だから昨日……二人で何処かに出掛けたの?それとも……」
言葉を切った後暫し沈黙する三好さん。
その所為で私の心臓がドクドクと音を立てているのが、妙に五月蠅く響いて来る。
『肩なんか抱いて』って……そんな筈……あっあれか、亀田課長に猫背を直されたやつ?その後うータンの事を心配した彼に激しく揺さぶられたっけ。あれがそんな風に三好さんの目に映ったのだろうか。
すると三好さんが目を細めて呟いた。
「……大谷さんの家にでも行ったのかしら」
「そっそれは……」
「嘘だったんでしょう?私が考えた通り、二人は付き合っているの?亀田課長が貴女の友達と親しいなんて嘘を何故吐いたの?親しいのは―――大谷さんと課長なんでしょう?」
「えっと、ええと……」
明らかに動揺してますって態度の私を、身を乗り出してジイっと見つめる三好さん。私の頭の中はどうすべきかって事より、とにかくここから逃げ出したいって事で一杯だった。だって、怖いんだもん……!
「それくらいにしてくれ、三好」
低い声が響いて、私達は弾かれたように顔を上げた。
集中し過ぎて二人とも周りが見えていなかった。鞄を片手に抱え、片っぽの手をポケットに入れた銀縁眼鏡の背の高い男が、静かな表情で私達を見下ろしていた。




