出会い
1 第一夜 魚と鳥と僕。
今、大人達の一番の問題は「じゅく」に違いないと譲は考えていた。
というのも、譲が部屋のベットで眠るころに決まって両親がその「じゅく」について話し合っているからです。
彼が寝ようと目を閉じると「譲のためよ。」「まだ譲は小学二年生だぞ、早すぎる。」と部屋の扉の向こうから親たちの話し声が聞こえてきます。
当の譲自体は、どちらでもいいと思っているのですが、大人の事情がいろいろとあるようです。
今夜もそろそろ二人の声が譲の枕もとへ聞こえてくるころです。
「違うっていってるでやしょう!もっと小さく!するどくしろってんです!」
あれ?今日のパパはなんだかおかしいぞ?譲は不思議に思い耳をすませました。
「わかっていますよ、そんなに大声ださなくても、しっかり聞こえていますよ。ただどうしても癖で大きく動かしてしまうのですよ」
ママまでなにかおかしいぞ?
本当にこれはパパとママの会話なの?譲はそう思いながらも、おでこがなにかに炙られているかのように熱いことに気がつきました。
「あれ?部屋の電気は消えているはずなのに?」そう呟くと譲は、少し怯えながらも好奇心に負けて目を開けることにしました。
目を開けると、譲は立っていました。
確かにさっきまで寝ていたはずなのに、目を開けたとたんに、ぐるんと体が起こされるような感覚があり、気がつくと自分の足で立っていました。
譲は、ふらっと軽いめまいを覚え、そしてそれが収まると、今度は異様な雰囲気を肌で感じました。
尋常ではない気配です。とにかくと、まずゆっくり自分の足下を見てみました。
「砂?」
そこには、布団でも、部屋の木の床でもない、きれいな白い砂がありました。
譲がどこまでも視線を上げても、永遠にその砂は続いています。
さすがに怖くなり、慌てて空を見上げると夜だったはずの空には、真っ赤な太陽がカンカンと輝き、雲一つない青空が広がっています。
「どういうこと?」
青空から再び視線をおろすとリビングへ続く扉があるはずの場所には大きな青い海が広がっています。太陽が反射する眩しい海を目を細め眺めながら譲は自分がどこかの南の島に来ているのだと考えました。
途方に暮れていると、右手の方から、先ほどの怪しいパパとママの声が聞こえてきました。
譲は、首をひねり、なにかおかしいなと思いながら声のする方向を見ては固まってしまいました。
譲をそこまで驚かせたのは、他でもない話し声の主達のだったのです。
譲がママだと思っていた声の主は中世ヨーロッパの貴族のようなドレスを着た男であり、人間ではありませんでした。
人間ではなく鳥だったのです。
そして、パパだと思っていた声の主もやはり人間ではありませんでした。人間ではなく魚でした。
もちろんただの魚ではなく、お祭りのハッピを着た丸々と太った魚で人間のように二本足で立っていました。
譲が思わず、指差し、目を見開いて二人(一羽と一匹)を見ていると、鳥が譲に気づいてこちらを向きました。
「おやおや、人の子とは久しぶりだ」
鳥は両手を後ろに組みながらそう言いました。
鳥が言葉を喋った?譲は自分の耳を疑いました。
さらにとまどっている譲に向かって魚も人間の言葉をあびせました。
「おい人の子、あっし達は今忙しいんだ、あっちへいってな!」
魚のドスの効いた一言で譲はその場でびくっと飛び上がると、すぐに後ろに生えている一番近いヤシの木まで走って逃げだしました。
しかし、可哀想な譲は途中で砂に足をとられ転んでしまいました。
砂地のため痛くはなかったのですが、譲はとうとう声をあげて泣き出してしまいました。
無理もないことです。家で眠っていたはずが、いきなりこんな現実離れした事態に遭遇してしまったのです。子どもでなくても泣きたくなることでしょう。
しかも譲が泣いてると、魚がもう一言「これだからガキは困る」と追い討ちをかけてきました。それを聞いた譲は、可哀想にますます泣きじゃくりました。
すると見かねた鳥が「まあまあ、きっとあの子はここへ初めてきて混乱しているのですよ。そんな冷たいことは言わないであげてくださいよ。それより、今日はもう疲れたことだし特訓は終わりにして、久しぶりに人間の話を聞くことにしませんか?」とやさしい声で魚に提案を始めました。
それに応じたのか、それから二人はきれいな白い砂浜をざくざくと歩いて譲の近くへやってきました。
「おい、子ども!名前はなんていうんでぃ!」
と魚がまたぶっきらぼうに言います。それを聞いて譲はその場でしゃがみこみ、咽の奥からさらに激しく泣き出しました。
やれやれと、鳥が「またまた源さん、そんなにきつい聞き方をして、なにより名前を聞くにあたっては自分から名乗るのが礼儀というものですよ」と魚をなだめます。
それから鳥は譲の方を向きかしこまり、大きな右の翼を広げてから胸の前にあてて「うおほん!」と咳払いを一つしてから名乗りはじめた。
「私の名はアルベルト=ピエール、元ブルー大空騎士団隊長。今は訳あってこちらの源さんに泳ぎを教わっている。」
譲は泣きながらも、この珍しく古風な自己紹介に興味を覚え、目をぱちくりさせながら聞いています。
続いて魚が腰を低く落とし、左手を腰に回し、右の手のひらを上にして、前に突き出して名乗り始めました。
「あっしは、今アルベルトの旦那の紹介にあがった、壊し屋の源ってけちな者でやす。元は日本海一の大工だが、今はアルベルトの旦那に空の飛び方を教わっている。」
二人の自己紹介が終わり譲が目を上げると、さて君は?とばかりに二人の視線が譲に注がれているのが、幼い譲にもわかりました。
それで仕方なしに譲は、はじめ小さな声でボソボソと名前を言い始めましたが、二人の目を見ると自分もきちんと自己紹介しなくてはいけない、と覚悟を決め、できる限りの大声で自己紹介をしました。
「僕の名前は砂山譲。松山小学校2年3組。今はワカメを食べられるようにがんばっています。」
譲が名乗り終えると魚の源が目を見開き、あごに手をあて、深くうなずきながら感心した顔で言いいました。
「いやいやいや!やるなじゃねえか少年!あのワカメに挑戦しているとは、大したもんだ。なにを隠そうこの源も、若いころにはそのワカメにはかなり手をやいたもんよ」
アルベルトは興味深そうにくちばしを胸にあて目を丸くしながら聞いてきます。
「そのワカメとかは、そんなにやっかいなものなのですか?」
「か~な~り~」
と源が腕を組み目を閉じて応え、それから譲に目配せしながら「なあ譲!」と同意を求めてきました。
譲は同意を求められたことでさっきまであんなに怖かった源が急に仲間になった気がしてうれしくなり、今度ははずんだ声で
「うん!やっかいだよ!」ととても大げさ表情で返しました。
その後、真面目そうなアルベルトを相手に、譲と源は二人して「あのぬめりが嫌だ」とか「色がだめだ」とか思いつく限りのワカメの悪口を言い、ワカメの厄介さについて説明しました。
その話にまだ見もしないワカメの凶悪さにやられてしまったアルベルトでしたが最後に「そのワカメとやらの凶悪さは充分に理解した。が、大海原の冒険へ行くために乗り越えねばならぬ試練ならば、このアルベルトかならずやワカメを克服してみせようぞ!」と近くに落ちていた棒切れを手に持ち、天に掲げ中世の騎士がするように宣言しました。
そして「ともに戦おう!譲。」と続けた。
それを聞き自分も騎士になったような気分で譲は「おう!ともに戦わん!」と叫びます。
譲は叫びながらもうワカメから逃げてはいけない。そんな強い約束をしたんだ感じました。
それから三人(一人と一羽と一匹)は互いのことを話しました。
譲が三度目にアルベルトの名前を呼んだところでアルベルトがこう提案しました。
「譲、アルベルトでは他人行儀だ、これからはアルと呼んでくれないか?」
すると源も「俺も源さんでは他人行儀だ、源と呼んでくれ」と提案してきました。
譲は学校でも友達を呼ぶときは「さん」付けでよんでいたので、最初はなかなか呼び捨てに抵抗がありました。しかし、アル、源と呼ぶにつれてますます親密さが増し、昔からの友達のような気さえしてきたため、すぐにその提案に大いに賛成しました。そして譲は二人に、パパとママがそう呼ぶように、自分をユズとよんでもらうことにしました。
そうこうしていると、早いものです。西の空が夕焼けで赤く燃えてきます。日が暮れ始めたとはいえまだ夕方で十分明るいのですが、アルベルトの鳥目を理由にして、暗くなる前にと3人は寝床へ向かうことにしました。
寝床は特訓をしていた海岸から東へ3キロほど進んだ場所にあり、源はそこの波打ち際にある大きな岩の下でいつも眠っています。
岩のすぐそばまできたところで源は「やはり寝るときは水の中でないと落ち着かない」と言い海へ飛び込み、「お休みユズ、アル!」と海中へと消えていきましたった。
源が水中に消える頃には辺りはすっかり暗くなっていました。鳥目のアルベルトが少し急かしたように、「さあ、こちらですぞ」と譲をその近くの丸太小屋へ案内します。
この丸太小屋はアルベルト達からはゲストハウスと呼ばれており、昔から時折やってくる譲のような人間の仮の寝床として使われているそうです。ゲストハウスはまるで誰かが毎日掃除してくれているかのようにきれいでした。家具も木のテーブルと椅子が一組とあとは干し草のベットがあるだけで大変シンプルで、そして小さなものです。
アルベルトは普段、この近くのやしの木の上で眠るのですが今日は譲に付き合い、ゲストハウスで一緒に眠ることにしてくれました。
海の見える方向に大きな窓がありそこから夕日の残り火のような明かりが入っていましたが、室内を照らすには弱く、部屋には暗闇が入り込んでしました。まだ幼い譲は恐ろしくなりアルベルトに「明かりはないの?」と尋ねますが、残念ながら電気やランプはないようです。
「もうすぐ月があがりますから、そうすれば少し明るくなりますよ。」そう、冷たい返事をしただけで、アルベルトは真っ暗なゲストハウスの梁に飛び乗り「おやすみ、ユズ」と言うと、目を閉じてしまい暗闇に溶けてしまいました。
譲はとても心細くなり窓際にある干し草のベットに頭までもぐりこみ、窓から月が現れてくるのをじっと待ちました。窓の外は先ほどの夕暮れの赤色から漆黒の黒色へと移っていきます。
そして、その漆黒の黒はさらに深みをましていきまく。空が深みを増すたび譲は手で干し草を握りつぶして暗闇の恐怖と戦っていました。譲がもう限界と泣き始めそうになった時、窓からひょっこりとピカピカの月が顔をだしました。
譲が今まで見たどの月よりも大きく、丸く、そして明るい月でした。
譲は怖さを忘れベットから這い出し窓に張り付くようにして月を眺めました。
それから窓を開け、顔を外へ出し夜空を見上げたりもしました。
見上げた空にはこぼれおちてきそうな数の星達が空が狭く見えるほどぎゅうぎゅう詰になって浮かんでいます。
思わず「星達の押しくら饅頭だ!」と喜び叫びました。それから一人で見るのはもったいないと、アルベルトを何度も呼んで一緒に見ようと誘いましたが、アルベルトはつれなく「夜は寝るものですよ。」と姿も見えない闇の中から返事をするだけでまったく相手にしてくれませんでした。
野生動物はやはり早寝早起きのようです。譲はしばらくの間一人で、星達を眺めていましたが、いくら空が明るくてもやはり周りの森や海は暗く、夜独特の濃い空気が闇に対する恐怖を蘇らせたので、譲は慌てて窓を閉めました。そして。また干し草のベットに頭までもぐりこむと、顔だけ干し草から出して月の光にあたることにしました。
そして気づいたら眠っていました。