03. 偽りの血
クシェナが生まれてからというものクワッソがアンネーラの元へ通う足は、以前よりも増した。
そしてクワッソとアンネーラとの間に男児が生まれた。
名はソジールと名づけられた。
そして彼はレセーラに内密で、ある計画を進め始めた。
王都の戸籍を扱う役所には旧知の伝手があった。
金と引き換えに出生の届出を提出した。
カディストロ公爵家の生まれた子として――。
「これで、ソジールが当主となれば……」
しかし彼らが知らないところで、このことは秘密裏に王家と公爵家四家によって共有されていた。
レセーラはクワッソの事を自分は気づいていないかのように振舞った。
これからこの国に害をあたえる多くの不穏分子が現れる。
その主に率いているのが、クワッソの生家であるイベッスル侯爵家とアンネーラの生家であるブジョール男爵家だった。
これから起こるであろう事を防ぐためにワザと泳がせ、証拠を集めて行った。それは長い年月を要するものだった。
「あなた達にはいずれ、相応しい罰が下るわ」
それはレセーラにとっては、いずれは確実な裁きを待つための冷徹な選択でもあった。
クシェナの方は、すくすくと育っていった。
母と同じ銀色の髪に薄紫色の目をしている。
レセーラの幼かった頃とそっくりだった。
クシェナが六歳を迎えた頃、レセーラの体には異変が起きていた。
日を追うごとに、その不調は悪化した。
体はやせ細り、激しい咳をすることもあった。
それは不治の病だった。
レセーラ自身は己の運命を悟っていた。
これは避けられることではなかった。
「……お母様」
娘が心配そうに見ている。
「早く良くなって……」
寝台に横たわる母の傍に座り、小さな手で母の手を握った。
父は、母がこんな状態なのに不在なことが多かった。
「クシェナ、よく聞きなさい」
「父、クワッソを信用してはなりません」
「……どうして?」
「いずれ真実がわかるでしょう。この先なにがあろうとも、あなたが次の当主です。私の子供は、あなただけです。これは覚えておきなさい」
母の目は真剣だった。
「……はい」
「あなたがこの屋敷で信用していいのは、家令のインチェス、侍女頭のルインナ、そして護衛のアステトです。この者達は、変わらずあなたの味方になるでしょう」
「お母様……」
「クシェナ。私はどんな時もあなたの味方よ。たとえどんなことがあろうとも――」
それから母は次期当主である娘に伝えなければならないことを教えていった。
領地経営の心得、各公爵家との付き合い方。
始祖の血の事。
「我々直系には必ず何かしらの特殊能力が目覚めます。その力は時にはあなたを迷わせるでしょう。ですが、その力に飲み込まれてはいけません。自分が信じるものにその力を使いなさい。そして決してこのことは、王家と公爵家四家の直系以外には話してはいけません」
クシェナは母の教えを学んでいった。
レセーラは夜、密かに筆を執るようになった。
寝台に横たわったレセーラの傍には、クシェナとアステトがいた。
「アステト」
「はい」
「この子をどうかお願いね……」
「この命に変えてもお守りすると誓います」
レセーラは満足そうに笑みを浮かべた。
母の傍にはアステトがいることが多かった。
クシェナは幼いながらに、父クワッソより護衛のアステトの方が父親のように感じられた。
その夜、レセーラは静かに息を引き取った。
まるで眠りにつくように穏やかな最後だった。
屋敷中に悲しみが広がった。
葬儀の日。
クシェナは母の棺の前で、涙を抑えようとしても止まらなかった。
クシェナにとって、母は誰よりも大きな存在だった。
幼い頃、母は執務の間にクシェナを膝に乗せて言った。
「クシェナ、いいこと? 当主というのは、誰よりも多くの者の暮らしを背負うの。だから、領民のために、辛くても逃げてはいけないのよ」
母は厳しかったが、深い愛情があった。
夜、眠れずにいた時にはクシェナの為に子守歌を歌って一緒に寝てくれた。
母が乗馬する時もクシェナはアステトの馬に乗って、一緒に駆けた。
たくさんの思い出があった。
「……お母様、うっ……うっ……」
「お嬢様……」
そっと、侍女頭ルインナはクシェナの涙をハンカチで拭った。
それからもクシャナは自室で声を殺して涙を流していた。
母の温もりがもう感じられないことが辛かった。
レセーラの喪が明けてから、一年も経たない頃だった。
クワッソは、屋敷の使用人達を集めて言った。
「カディストロ家に新たな妻を迎える。皆、快く迎えるように。それから――」
使用人達には戸惑いの空気が広がった。
亡き当主の喪からそれほど経っていないのにも関わらず、あまりにも早い再婚だった。
だが、使用人達が異を唱えることはできない。
一週間後、クシェナは父の執務室に呼ばれた。
父の隣には美しい女性と一人の少年がいた。
「今日から、このアンネーラがお前の母になる。そして弟のソジールだ。お前には伝えていなかったが、この子は私とレセーラの子でもある」
「弟ですか……」
(ありえない……お母様が亡くなってから、すぐに後妻なんて……それに、お母様は弟がいるなんて言ってなかったわ……)
ソジールは、レセーラの死後に初めてその姿を公に明かされた。
カディストロ家の息子として。
「実は、お前の母レセーラが生前に密かに生んだ子だ。この子は、生まれた時にいつ死ぬか分からない病気にかかっていた。だがら、医療の発展した隣国で極秘に治療を続けていた。公にその事を公開すれば、この子の命が脅かされる可能性があった。だから、今までこのことは話していなかった。だが、特効薬が見つかり、病気が治ったのだ――」
そうクワッソは言ったが、クシェナは信じなかった。
あまりにも話がおかしかったからだ。
子が生まれたら、流石に周囲の使用人達も分かるだろう。
だが今、ここにいる家令も侍女頭も複雑な顔をしている。
それに母がこんな重大な秘密を自分に告げずに逝くはずがない。
ソジールはクシェナより一つ年下で、薄茶色の髪と目をしていた。
父に似た色合いだった。
「これが、クシェナ姉様ですか……ふ~ん」
「これから家族になるのだ。仲良くするように」
クシェナは彼らを迎えることに反発をしたかったが父はそれでも強行するだろうと、この時は素直に従った。
この時、クシェナは母の言葉を思い出した。
父の事は信じてはいけない――。
夜、クシェナは密かに家令インチェスを呼んだ。
「インチェス、お母様が本当にソジールを産んでいたなら、あなたが知らないはずがないでしょう」
「……お嬢様。レセーラ様の子については、クシェナ様以外におりません」
「では……やはり……」
「ですが……めったな事は口にはできません。お嬢様、今はどうか聞かれても何も知らないふりをお願い致します。旦那様の企みがどのようなものであれ、証拠もなく騒ぎ立てれば危険になるのはお嬢様なのです」
インチェスの言葉には切実な思いが込められていた。
クシェナはその忠告に従い、表向きは何も知らない娘を演じ続けた。
だが、水面下ではインチェスを通じて密かに情報を集め始めた。
そしてある決定的な事実にたどり着く。
アンネーラは、もともと父クワッソが母レセーラと結婚するより前から、遠方の街でひっそりと繋がりを持っていた女性だった。
「まさか、最初からお母様を裏切っていたなんてね……」
クシェナはこの時、父に憎悪を抱き始めた。
アンネーラはこの屋敷に入ってからというもの、最初は控え目な態度で使用人達にも優しかった。
一部の使用人は、そんな彼女に好印象だった。
だが、古参の使用人達は不信感を募らせていた。
アンネーラは自室に一人になってから、表情を変えた。
「これで、あとは時を待つだけね。あの女が早く死んでくれて良かったわ」
その顔は普段の顔とはまったく違い、醜悪だった。




