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第20話「腹の虫」


 歳の丈は16歳ぐらい……いや、ハーフエルフの外見などアテにならない。

 エルフは人間の数倍もの年月を平気で生きる、まじりもの(・・・・・)の彼女もまたしかりであろう。

 ……まぁ彼女に関しては、今まさにその長い一生に幕を下ろそうとしているわけだが。


「そのおねーさん、し、しし、しんでないのよね……!?」


「ええ、ですがもうじき死にます」


 慌てふためくミュゼルの問いに、俺は至極淡々と答えた。

 幼いミュゼルはいよいよ泣き出しそうである。


 俺は、ハーフエルフの彼女を観察した。

 全身に細かい傷がいくつもあるが、これはおそらく夜の森へ逃げ込んだ(・・・・・)際にそこらの背の高い草で切っただけだろう。もちろんこれが原因ではない。

 それ以外では特に目立った外傷もないが、しかし衰弱が激しい、虫の息というやつだ。

 まるで、身体の内側から生命そのものを貪り食われているかのような……


「……虫を仕込まれたな」


「む、虫……?」


「比喩です、何者かに体内へ直接術式を刻まれている」


「わからないわ……! もうちょっと、わかりやすく……」


「呪いを受けてます、それもかなり悪質なものを」


 うっすらと筋肉のついた腹へ、手を這わせる。

 ……ふむ、お粗末な出来だが、強力だ。

 まったく、どこの誰に仕込まれたのかは知らんが、こんな雑な術式、けしてプロの仕事ではない。


「お、おとなをよんでくるわ!」


「お待ちくださいミュゼル嬢、この呪いを解ける人間は村にいません、……それに、この調子だと誰かが駆け付けるまでの間に、この女性は確実に死にます」


「そんな……! どうすればいいの!?」


 どうすれば……か。

 俺はわしわしと頭を掻く。


 しつこいようだが、俺にとって人間がどうなろうが知ったことではない。

 それはもちろんハーフエルフだって例外ではないのだ。

 俺一人なら確実に見捨てただろう。


 だが……厄介なことに……


 俺はちらとミュゼルを見やる。

 彼女は両目に涙を浮かばせて、何か懇願するようなまなざしをこちらへ向けてきている。

 まったく、普段あれだけ人を人と思わないようなふるまいをしているくせに、やはり本質的に彼女は人間なのだ。


「おねがいルード……!」


 見ず知らずのハーフエルフを助けてくれ、と涙まで流すのだから。


 ……アルシーナにミュゼル。

 子どもというのは厄介ごとばかり持ってくる。

 俺は一つ大きな溜息を吐き出した。


「……ではミュゼル嬢、一つ手伝ってもらえますか」


「あたしにできることなら……!」


「――両目を瞑って、耳を塞いでください、めいっぱい」


「え?」


「早くしないと彼女が死にますよ」


「わ、わかったわ!」


 ミュゼルは慌ててぎゅっと目を瞑り、両耳を圧し潰さんばかりに塞ぐ。

 俺はそれを確認すると、ハーフエルフの彼女の僅かに開いた口の中へ、人差し指を差し込んだ。

 そして――


「引きずり出せ、ムシクダシ」


 ()の名前を呼ぶのと同時、俺の指が千切れて一匹の虫となり、彼女の口中へと潜り込んでいった。

 ムシクダシは凄まじい速さで喉を通過、食道を潜航し、体内へ侵入。

 それから僅かな静寂ののち、死の間際にあった彼女がかっと両目を見開く。


「うぶっ……!?」


 ハーフエルフは目を覚ますなり、胸のあたりを押さえると、見る見る内に顔を青ざめさせて……


「――う、げええっ!」


 そして、ほんの少しの胃液とともに、それを吐き出した。

 黄色と緑のマーブル柄で、豚の胆嚢(たんのう)にも似た、スライム状の魔法生命体である。


「……出たな、ふう、思っていた通り気色の悪い色をしている」


「る、ルード!? なにをやってるの!? へんなこえがきこえたわ!?」


「ああ、ミュゼル嬢けして目を開けてはいけませんよ、耳も塞いで」


「あ、ご、ごめんなさい!」


 ミュゼルが更にぎゅっと目を瞑るのとほぼ同時に、胆嚢スライムが飛び上がった。

 狙いは俺の口中。

 突如として宿主を失い、次なる宿主として俺を選んだのだろう。

 やはり単細胞生物だ、虫たちの方がよっぽど賢い。


「身の程知らずが」


 俺はあえてめいっぱい口を開いて、ヤツを迎え入れてやった。

 胆嚢スライムは嬉々として俺の口内に潜り込み、喉を通ろうとして、しかし固まった。

 ようやく気付いたらしい。


「どうした? 泣きっ面に蜂という気分か? 食われるのはお前だ」


 しかしもう遅い。

 俺はためらう彼の背中を押すように、ごくりと口の中のソレを嚥下した。

 すると、俺の身体を形作る数万の虫たちが歓喜にざわめき、思い思いに胆嚢スライムを食いちぎり始める。

 抵抗する隙も与えない、ものの数秒で静かになった。

 腹の虫(・・・)たちは、少々不服そうである。


「ぐ、やはり怒っているな……今度エール漬けにした果実をくれてやるから、それで勘弁してくれ」


 言い聞かせると納得したのか静かになった。

 果物の酒漬けは、彼らの大好物である。

 俺は千切れた指を他の虫たちに新しく作り直してもらいながら、「果物はともかく、エールを都合するのは面倒だな……」などと考えて、一人げんなりしていた。


「終わりましたよミュゼル嬢」


「……っ」


「?」


 返事が返ってこないので不思議に思って見てみれば、ミュゼルは両目両耳を塞いで、顔じゅうを真っ赤にしている。

 どうやら息まで止めていたらしい、律儀と言うかなんというか。


「もしもし、終わりましたよ、ミュゼル嬢」


 見るに見かねて肩を叩くと、彼女は「ぷはあ」と大きく息を吐き出し、そして呼吸を整え出した。


「し、しぬかとおもったわ……」


「ミュゼル嬢が死んだら意味ないでしょうに」


「そうだわ! あのおねーさんは!?」


「見ての通り」


 ハーフエルフの彼女は一度目を覚ましたものの、どうやら再び気を失ってしまったらしい。

 しかし先ほどまでと違い、呼吸は穏やかである。

 体力は消耗しているようだが、この分なら間もなく快復するであろう。


「ああ、よかった! ルードってほんとにすごいのね!? のろいまでとけちゃうんですもの!」


「……隠れて勉強したんです、内緒ですよ」


「わかったわ! ないしょね!」


 今度は興奮したように口を塞ぐミュゼル。

 見ず知らずの人間が助かって、そんなにも喜ばしいものなのか。

 俺には理解しがたい概念である。


(……しかし気がかりだ)


 俺は、ハーフエルフの彼女をちらと見やり、そして先ほど虫たちに食わせた胆嚢スライムのことを思い返していた。


「(あんな粗末な呪い、間違いなくプロの仕事ではない、力技が過ぎる(・・・・・・)……)」


 ここから推測するに、彼女へ呪いを植え付けたのはプロの呪術師などではない。

 何者かが実験的に、彼女へ呪いを植え付けと見るのが妥当だろう。

 気がかりなのは……


(魔力の質を見れば分かる、この呪いを施した者が、Aランク冒険者……いやSランク冒険者級の実力の持ち主であろうということだ)


 Sランク冒険者――それはすなわち俺たち魔王軍四天王に匹敵するほどの強者ということである。

 彼女が何をやらかしてそんな強者の標的にされてしまったのかは知らないし、興味もないが、この周辺にそんな輩が存在するというのは、きわめて危険である。

 もしや俺の正体がどこからか漏れたか? いやそんなはずは……


(いざとなれば、虫たちをいくつか周辺の監視にあたらせることも……)


「じゃあルード、はこびましょう」


「ええ、そうですね……ん?」


 考え事をしていてミュゼルの言葉に適当に相槌を打ってしまったが、彼女は今なんと……?


「だからあ」


 見ると、ミュゼルはハーフエルフの肩に手を回して――


「はこびましょう、おうちまで、こんなところにねかせておけないわ」


 くらり、と眩暈がした。

 子どもというのは、どうしてこうも厄介ごとが好きなのだ……


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