第17話「ユメマクラ」
「……ん………っ」
深夜、ミュゼルはゆるやかに覚醒した。
もよおしたわけではない、喉が渇いたわけでもない。
あまりよく思い出せないが、なんだかとても恐ろしい夢を見たような、そんな気がしたのだ。
「……こわいゆめを、みたわ」
ミュゼルは、どうしようもなく心細くなって、ベッドの中で丸くなる。
今からでも両親のいる寝室へ飛び込んでみようか、でも、それは一人前のレディーとして如何なものか……
などと考えていた時のことである。
「……あら?」
窓の外に、なにやら見慣れない虫が止まっていることに、ミュゼルは気付いた。
「ちょうちょ、だわ」
窓枠に止まったそれは、満月の光を受けて煌めく、翡翠色の翅をもった一匹の蝶。
美しく、それでいて幻想的な蝶である。
「きれい……」
ミュゼルが思わずほうと息を呑むと、まるで蝶は彼女に気付かれるのを待っていたかのように、飛び去ってしまった。
金色の鱗粉を散らしながら、ぱたぱた、ぱたぱたと、夜の森の方角へ――
「あれ、なんていうちょうちょなのかしら、はじめてみたわ……」
普段虫のことなど気にも留めないミュゼルであったが、あの蝶の美しさには思わず心を奪われてしまった。
さっき見た悪夢のことなんて、すっかり忘れてしまうほどに。
「あした、ルードに聞いてみようかしら……」
ふわぁ、と一つ欠伸が出る。
彼女は自らの幼い身体を、柔らかく温かいベッドにうずめて、ひとりごちた。
「ルードはものしりだもの、きっと知ってるわ……それに、やくそくしたんだから、またあした、あそびましょって……」
そうして彼女は、再びまどろみの中へと落ちていった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『これでよし……、と』
夜の森。
スケルトンのスケさんはようやく一仕事を終え、額の汗をぬぐう真似をした。
とはいえ骨なので汗は出ない、生前のクセである。
『うん、なかなか良い出来じゃないでしょうか』
スケさんは、かしゃかしゃと両手の土を払い、この数時間の仕事の成果をしみじみと眺め見る。
それは簡素ながらもしっかりとした作りの、墓標であった。
それはスケさんの人間として最後の仕事。
そしてこの森を去る前の、最後の仕事となる。
『さて、と……そろそろ行きますかね』
スケさんは、ほんのわずかの荷物を革の背嚢にまとめて、背負った。
スケルトンには食料も水もいらない。
もっと言えば着替えもいらないので、荷物が軽くて助かる。
ああ、死んでよかったなあ。
などと、スケさんは自らに言い聞かせて、胸骨にこびりついた一抹の寂寥感を振り払った。
人間らしい感傷は、未だ捨てきれない。
『こんなのじゃ、魔王様に面接で落とされちゃいますよ、ただでさえ馬の骨なのに……人骨ですが、なんつって』
得意の骨ジョークも、聞かせる相手がいないのでうら寂しい。
挙句、自分で言っておいて、なんだかそこはかとなく不安になってしまったスケさんは、おもむろに一枚の封書を取り出した。
それは、あのルード少年が教会での一件のあと、スケさんの為にしたためてくれた――いわゆる紹介状というやつである。
『お坊ちゃんは、これを魔王軍の誰か適当なヤツに渡せばなんとかなると言っていましたが……』
宛先を確かめる。
やはり何度見ても、そこには魔王ギルティア様の名前がある。
『ほんとに何者だったんですかね、あの坊ちゃん……』
つくづく不思議な少年だった、とスケさんは自らの身体を見下ろした。
両断されたはずの骨は、ぴったりとくっついて、元通りである。
あのルード少年が、なにやらよく分からない虫の体液を絞って、接着してくれたのだ。
そんなもので骨がくっつくのだろうかと疑い半分だったが、事実くっついている、魔力の循環にも問題はない。
もちろんそれだけではない。
彼はモンスターでありながら、何故か人間の少年に扮して、普通に生活を送っている。
ではモンスターらしく、なにか人間に害する意図があるのかと思えば、そうではない、彼はミュゼルという少女も命を救ってしまった。
――そして極めつけはあの強さ。
彼は終始虫を操ってサマト牧師を圧倒していたが、生前Bランク冒険者であったスケさんは見抜いていた。
仮に、仮にサマト牧師が、彼の放つ虫の全てを看破していようとも、結局はサマト牧師の敗北に変わりはなかったであろうことを。
『(彼は虫を使わなくともサマト牧師を倒せていた……それが分かったうえでなお、虫を選んだ……)』
サマト牧師を格下と侮っていたわけではない。
最も確実な手段として、虫を選んだのだ。
獅子が兎を狩るにも全力を尽くすのと同じように、彼は虫を張り巡らせたのだ。
それはおそらく彼の矜持によるもの。
彼の誇りによるもの――
『だとすると、彼はドラゴンや魔人にさえ匹敵する最上級モンスター……いえ』
そこまで言いかけて、スケさんはそのバカげた妄想を振り払った。
馬鹿な、いくらなんでもそんな神話じみた存在が、このド田舎村で人間のフリをしているはずがない。
スケさんは乾いた笑みを浮かべて、おもむろに封書を見やり――ぎょっとした。
なんと、どこで紛れ込んだのか紙魚の一匹が、封書の糊を舐め溶かしているではないか!
『あ、ちょっとこら!! 大事な紹介状になんてことを! しっしっ! 食べ物なら他にいくらでもあるでしょう!?』
スケさん、慌てて紙魚を追い払う。
しかしその際、糊を舐め溶かされた封書は、手で払った時の衝撃でばらりと開いて、その中身が露わになってしまった。
『あ、もう、ちょっと! どうするんですかこれ! 私糊なんか持って……ません……よ……?』
一応弁解しておくと、それは故意ではない。
偶然に目に入ってしまっただけだ。
書面には、こうあった。
――これは私、魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジが、誇り高きアンデッド――スケさんの身分を証明するための書状である。
かしゃり、と硬質な音を立てて、スケさんの顎が地面に落ちた。
驚きのあまり、魔力結合が解けてしまったのである。
『か、怪蟲神官ガガルジって……魔王軍のナンバーツーじゃないですか……』
まさに開いた口が塞がらないスケさんの頭上を、翡翠色の蝶が通り過ぎて行く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時は少し遡り、グルカス夫妻宅。
「――ルード! あなたこんな時間までどこに行ってたの!?」
誰にも気付かれないよう、こっそりとドアを開け、玄関に這入った俺であったが、早々にクロエに見つかった。
いや、クロエだけではない、グルカスの姿もある。
「ルード!? ルードか!? ああ、おいお前心配かけやがって! もうすぐで村の皆に声をかけて、総出でお前を捜索するところだったんだぞ!?」
間一髪、しかし状況は依然最悪である。
嫌な汗が頬を伝った。
「ああ、もう心配かけて……!」
「ルード! もう夜更けだぞ!? 父さんと母さんが、一体どれだけ心配したか……!」
だらだら、だらだらと冷や汗が流れる。
詰め寄るグルカス、今にも泣き出しそうなクロエ。
二人の気迫に圧倒された俺は、ぎこちない笑みを作りながら、こう答えるしかなかった。
「ちょっと、その……昆虫採集に……」
ふと、視界の隅に俺の放った蝶――ユメマクラと戯れる、アルシーナの姿が映る。
クロエとグルカスの、怒涛のような説教を食らうその直前、俺は初めてアルシーナがうらやましいなと思った。
もしよろしければブクマ・感想・レビュー
または最新話ページ下部からの評価点等いただけますと作者のモチベーションが上がります!





