第11話「サマト牧師」
森を抜けると、あたりはすでに薄暗くなっていた。
山向こうに沈む夕陽を見つめていると、
「ああ……俺は本当に近所の子どもと遊ぶために今日という日を費やしてしまったんだな……」
そう改めて認識し、憂鬱な気分になってしまう。
「帰りましょうか、ミュゼル嬢」
「ええルード、エスコートおつかれさま、それなりにたのしかったわよ」
「……恐縮です」
ミュゼルは森から出た途端、さっきまでのしおらしさが嘘のように我らがお嬢様へ逆戻りである。
……いつもあれぐらい素直なら俺も楽なのだが。
そんなことを思いながらも、仕方なく彼女を家までエスコートしようとしたところ。
「――おや、ミュゼルではありませんか」
ふいに背後から声をかけられ、ミュゼルがびくりと肩を震わせた。
……なんと間の悪い。
俺とミュゼルがゆっくりと声のした方へ振り返る。
そこには輝く金髪を真ん中で分けたいかにもな優男が、分厚い教典を片手にこちらを見下ろしているではないか。
彼の胸に光るは、顔が映るほどぴかぴかに磨かれた十字架。
牧師――サマト牧師である。
「ぼ、ぼくしさま、こんばんは……」
ミュゼルはあからさまに動揺していた。
牧師様の言いつけを守らず、夜の森へ立ち入ったことが後ろめたいのだろう。
しかし牧師はそんな彼女のどぎまぎする様を、にっこりと微笑んで見下ろしている。
「こんばんは、そっちは確か……ルード君、でしたね?」
彼とはラカムの村へ来てすぐ、教会で一度顔を合わせたことがあった。
第一印象は虫の好かないヤツ。
俺はそんな悪感情をおくびにも出さず、彼と同じく微笑みを作って
「こんばんは牧師様、今日は一体どうしたのですか? まさかこんな村の外れまで教えを説きに?」
「いいえ、少し語らっておりました、彼とね」
そう言って、彼はその手に携えた教典を愛おしげに撫でさする。
……まったく今日も今日とて熱心なことだ、教典オタクめ。
「さてミュゼル、ここでいつものようにクイズです――351頁8行目、神は飢える人々に何を与えなさったのでしょう?」
「ええと……ヤギのミルクと、ひとかけらのビスケットを」
「素晴らしい! これはご褒美です」
サマト牧師は懐から一枚のビスケットを取り出し、これをミュゼルへ差し出す。
「あ、ありがとうございますぼくしさま、でも……」
ミュゼルは受け取ったそれを、少しためらってからポケットへとしまいこんだ。
「もうすぐよるごはんだから、これはあとにとっておきますわ」
「……ミュゼルは賢い、あとは毎日三回のお祈りさえ欠かさなければ、天国行きは間違いありませんね」
「あ、ありがとうございます、ぼくしさま」
サマト牧師に頭をくしゃくしゃと撫でられて複雑な表情のミュゼル。
どうやら反応に困っているらしい。
普段大人ぶっているくせに、こういう場面ではてんで駄目だな。
「――ミュゼル、そろそろ帰ろう、お母さんたちが心配するよ」
仕方がないので助け舟を出してやった。
「そ、そうね! おかあさんたちがしんぱいしちゃうわ! さようならぼくしさま!」
ミュゼル、これ幸いとサマト牧師のところを潜り抜け、こちらへ駆け寄ろうとして――しかし、肩を掴まれた。
「え……?」
ミュゼルは驚いて振り返る。
言うまでもなく、ミュゼルの肩を掴んだのはサマト牧師だ。
「ミュゼル、クイズはまだ終わっていないよ? 二問目だ」
「ぼ、ぼくしさま? でも……」
「第二問、216頁2行目、彼はおっしゃいました、迷わずすべてを打ち明けなさい、どのみちなにもかもお見通しなのだから――」
彼の貼りついたような笑みが、ミュゼルのすぐそばまで寄せられる。
胸の十字架が一度輝いた。
「――もしかして森に入ったんじゃないのかいミュゼル? 私があれほど言ったにもかかわらず」
ぞくり、とミュゼルはたちまち顔を青ざめさせた。
サマト牧師は依然、貼り付けたような笑みを崩さない。
「そんな、いえ、あたしは……」
「彼は嘘をお怒りになる、分かってるねミュゼル」
「ああ、あたし、その……」
ミュゼルは吐き出す息も荒く、自らの小さな胸にぎゅっと手をあてている。
そんな彼女の肩を掴む腕に、サマト牧師はさらに力を込めようとして――
しかし、力を込めるべき相手を失う。
見るに見かねて飛び出した俺が、ミュゼルを引き寄せたからだ。
「る、ルード……!」
「――お言葉ですが牧師様、それはクイズではありませんよ」
ミュゼルの身をかばいながら、ほんの少しばかりの皮肉を込めて、サマト牧師へ微笑みかける。
サマト牧師は――やはり、いけ好かない微笑みをたたえながら、こちらを眺めていた。
「……これは失敬、ルード君は頭がいいですね、よしよし、ビスケットをあげましょうか」
「いいえ、要りませんよサマト牧師、それよりも聞きたいことが一つありまして」
「なんでしょう」
「――牧師様はどうして、僕とは目を合わせてくれないんですか?」
その時俺は、自らの懐をまさぐるサマト牧師の微笑が、僅かにひきつるのを見た。
それからサマト牧師は、わざとらしく俺の目をまっすぐと見つめ返して言う。
「それは気のせいですよルード君、ほら、もうだいぶ暗くなってしまいました、家に帰りなさい」
「そうさせていただきます、さようなら牧師様」
「ええ、あなたたちに神のご加護がありますように」
サマト牧師はぴかぴかの十字架を軽く掲げて、俺たちの後姿を見送った。
……いや、あれはどちらかと言えば、様子を見ている、の方が近い気もするが。
まあいいか、あの教典オタクが何を考えていようと。
神様なんてのは人間のために作られたもの、俺にとっては関係のないことだ。
第一……
(本当に神様なんてものがいるとしたら、大勇者ルグルスは……)
かつて俺の葬った、偉大なる勇者ルグルス・ヘルティアとの戦いを思い出す。
彼は言った、一日三度のお祈りを欠かしたことはない、と。
俺の放ったヤタイクズシに内臓を食い破られ、想像を絶する痛みの中にありながら――
(ヤツは間違いなく俺たちにとって最大の敵だったが、それと同時に誇り高い真の勇者だった、本当なら……)
本当なら勇者ルグルスはマグルディカルを倒し、いずれは俺ともぶつかっただろう。
おそらくは万全の状態で、お互いの知恵と力を競うことができたはず。
神様が本当にいるのだとしたら、そういう状況をこそ……
と、そこまで考えてから、これが意味のない仮定だと思いなおし、考えを振り払った。
(……バカバカしい、そんなの俺の柄じゃないだろう?)
俺は怪蟲神官ガガルジ、奇襲奇策はお手の物、確実な勝ちを最低限の労力で拾う、ただそれだけだ。
そんなあたかも人間らしい感情、とうの昔に虫に食わせたはずなのに――
「……ルード」
名前を呼びかけられて、ようやく我に返る。
「あ、ああ、どうかしましたかミュゼル嬢?」
「その、ごめん、またたすけてもらっちゃったわね……ありがとう」
「気にしないでください、あれぐらい……」
言いかけて、はたと気付く。
あれ? そういえば、どうして俺はミュゼルを庇ったのだ?
別に、ただミュゼルを置いて帰ってもよかったのではないか……?
「……なんでもないことです」
深く考えるのはやめた。
俺は魔王軍四天王の一人、怪蟲神官ガガルジだ。
その事実に、変わりはない。
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