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『巫女姉妹と始まる、僕の恋物語』  作者: Hafizuki Rei
プロローグ
1/11

夕暮れの神社で、偶然の出会い

まえがき


第一部 — 天塚神社での出会い


この物語の最初のページを開いてくださり、ありがとうございます。


物語は、静かな神社で交わされた、ほんのささやかな出会いから始まります。


天宮蓮は、ごく普通の高校生です。特別な目標があるわけでもなく、何か大きな変化を望んでいるわけでもない。いつもと変わらない日々を、いつもと同じように過ごしていました。


けれど、そんな彼はまだ知りません。


何気なく訪れた天塚神社での出会いが、やがて自分の世界を少しずつ変えていくことを。


そこで蓮が出会うのは、雪菜、紫苑、陽菜、瑠璃。


それぞれ異なる性格を持ち、それぞれ違った考え方で日々を過ごし、それぞれのやり方で大切な人を思いやる、四人の姉妹です。


誰よりもしっかり者であろうとする、長女の雪菜。


多くを語らず、静かに周囲を見つめている紫苑。


どこにいても、その明るさで周りを笑顔にしてしまう陽菜。


そして、自分の気持ちに正直で、ときには何を考えているのか分かりにくい瑠璃。


蓮は彼女たちと過ごす時間の中で、少しずつ気づいていきます。


人と人とのつながりは、決して特別な出来事から生まれるものばかりではないのだと。


何気ない会話。


誰かを思って差し伸べた手。


一緒に笑い合った、ほんの短い時間。


そして、桜の木の下で交わした小さな約束。


そんな一つひとつの積み重ねが、いつしか心の中に、忘れたくない大切な場所を作っていくのです。


第一巻では、蓮と天塚家の人々が少しずつ関わりを深めていく、その始まりを描いています。


神社のお祭りに向けた準備や、穏やかに流れていく日常。


その何気ない時間の中で紡がれていくのは、家族の絆、友情、誰かを支えることの意味、そして、ときには誰かに頼る勇気を持つことの大切さです。


どうか、蓮が天塚家の四姉妹と出会い、少しずつ自分の居場所を見つけていく姿を、温かく見守っていただけたら嬉しく思います。


ありのままの自分を受け入れてくれる場所。


特別なことをしなくても、そこにいるだけで心が安らぐ場所。


蓮にとって天塚神社が、そんな場所になっていく過程を楽しんでいただければ幸いです。


そして、この物語が、誰かの心に小さな何かを残すことができたなら。


きっと、特別なことをしなくても、誰かの人生を少しだけ変えることはできるのだと、思い出してもらえたら嬉しいです。


何気ないと思っていた出会いが、何年経っても忘れられない思い出になることがあります。


あの日、何気なく交わした言葉や、何気なく過ごした時間が、振り返ったときには、もう二度と戻らない大切な一日になっていることもあるのです。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。


天宮蓮と天塚家の人々が歩んでいく物語を、どうぞ楽しんでください。


それでは――


天塚神社から始まる、新しい青春の物語。


その最初のページを、一緒にめくりましょう。


                 — 羽月 零 —

 春という季節には、昔からどこか不思議なところがあると思う。

 桜が咲き、まだ少し冷たさの残る風が吹く。街には、新しい何かを始めようとする人たちの姿があふれていた。


 春は特別な季節だ。

 新しい生活。

 新しい出会い。

 そして、もしかしたら――恋の始まり。


 そんなふうに考える人もいるのだろう。

 けれど、少なくとも僕は、そういうことにあまり興味がなかった。

 僕の名前は、天宮蓮。

 十六歳。青蘭高校に通う一年生だ。


 自分で言うのもなんだけど、これといって目立つところのない、ごく普通の高校生だと思う。

 成績はそこそこ。特別優秀というわけでもなければ、悪いわけでもない。

 少し騒がしいところはあるけれど、いざというときには頼りになる親友もいる。


 朝起きて、学校へ行く。

 授業を受けて、友達と話して、放課後になれば家に帰る。

 毎日が、その繰り返し。

 ドラマみたいな出来事なんて起こらないし、突然、ひとりの女の子と出会って人生が変わる――なんてことも、自分には縁のない話だと思っていた。

 少なくとも、あの日までは。

 天原市の静かな一角にひっそりと佇む、小さな神社を訪れるまでは。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日の空は、淡いオレンジ色に染まっていた。

 特に目的もなく、僕は普段とは違う道を歩いていた。

 いつも通る大通りが妙に混雑していたので、たまには別の道から帰ってみようと思っただけだ。


 春風に乗って、桜の花びらがひらひらと舞っている。

 そのいくつかは歩道に落ち、また別のいくつかは、道沿いに並ぶ民家の庭へと流れていった。

 僕は何となく足を止め、その光景を眺めた。


「……春、か」


 気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。

 新入生向けのオリエンテーションが終わって、まだ数日しか経っていない。

 高校生活にも、僕はまだ完全には馴染めていなかった。


 新しい環境。

 新しいクラスメイト。

 新しい先生たち。


 何もかもが新鮮で、同時に少しだけ落ち着かない。

 そんなことを考えながら、僕は上着のポケットに手を入れ、再び歩き始めた。

 そのときだった。

 木々の間に、細い小道が伸びているのが目に入った。


 道幅は狭く、両脇には小さな石が並んでいる。その先には、緑の向こうに半分隠れるようにして、赤い鳥居が立っていた。

 神社だ。

 地元の人たちが話しているのを耳にしたことはあったけれど、実際に訪れたことは一度もなかった。


 入口の脇には、年季の入った木製の看板が立っている。

 長い年月を経て文字は少しかすれていたものの、そこに書かれた名前は何とか読み取れた。

 ――天塚神社。


「へえ……ここがそうなのか」


 僕は鳥居の前で、しばらく立ち止まった。

 別に、神社に用事があったわけじゃない。

 お参りをしたいわけでも、何か願い事があるわけでもなかった。

 それなのに、なぜかすぐに立ち去る気にはなれなかった。

 木々の間を、穏やかな風が通り抜けていく。

 境内のどこかで、小さな鈴がちりん、と控えめな音を鳴らした。


 腕時計に目を落とす。

 日が沈むまでには、まだ少し時間がありそうだった。


「……ちょっとだけなら、いいか」


 誰に言うでもなくそう呟き、僕は鳥居をくぐった。

 境内は、思っていたよりも広かった。

 正面には本殿があり、右手には石灯籠がいくつか並んでいる。塀の近くには桜の木が植えられていて、枝に残った花びらが、風に揺れるたび地面へと舞い落ちていた。


 人影はほとんどない。

 聞こえてくるのは、ときおり響く鳥の声と、風に葉が擦れ合う音くらいだった。

 僕はゆっくりと境内を歩きながら、周囲を見回した。

 ついさっきまでいた、あの賑やかな通りとはまるで別の場所みたいだ。


 静かで、穏やかで。

 ここだけ時間の流れが少し遅くなっているような、そんな不思議な感覚があった。

 木々の下に置かれた木製のベンチを通り過ぎようとしたとき、不意に視界の端に何かが映った。


 小さな、暗い赤色の巾着袋だった。

 ベンチの上に、ぽつんと置かれている。


「……忘れ物かな」


 僕は足を止め、それを手に取った。

 口を閉じるための紐が結ばれているだけで、名前や持ち主が分かるようなものは見当たらない。

 中を確かめるつもりはなかった。

 おそらく、参拝に来た誰かが置き忘れたのだろう。

 周囲を見回してみたけれど、探し物をしているような人の姿は見当たらなかった。


「ここに置いたままだと、誰かに持っていかれるかもしれないしな……」


 そう思い、社務所かどこかに届けることにした。

 巾着袋を手に、本殿のほうへ向かおうとした、そのとき。

 建物の脇から、女の子の声が聞こえてきた。


「……あと少し」


 思わず足を止め、声のしたほうへ目を向ける。

 すると、ほどなくして、一人の少女が建物の陰から姿を現した。

 両腕には、いくつかの道具を抱えている。


 風に揺れる長いこげ茶色の髪。

 白い上衣に、鮮やかな赤い袴。

 巫女装束に身を包んだ少女だった。


 彼女は僕の姿に気づくと、少し驚いたように目を見開いた。

 ほんの数秒、僕たちは互いに顔を見合わせていた。

 先に口を開いたのは、僕のほうだった。


「あの、すみません」


 少女が小さく瞬きをする。


「はい?」


「今、こちらの神社を管理している方はいらっしゃいますか?」


「はい。今は私が当番をしていますけど……何かありましたか?」


 僕は手に持っていた巾着袋を見せた。


「木のそばにあるベンチで、これを見つけたんです。誰かの忘れ物かもしれないと思って」


 少女の視線が、僕の手元へと移る。


「あっ……」


 彼女は抱えていた道具をそっと脇に置き、こちらへ歩み寄ってきた。


「少し、見せてもらってもいいですか?」


「もちろんです」


 巾着袋を手渡す。


 彼女はそれを丁寧に確かめると、やがてほっとしたように表情を緩めた。


「たぶん、妹のものだと思います」


「妹さんの?」


「はい。さっきまで神社のお手伝いをしていたんですけど……そのときに置いていってしまったみたいですね」


 小さく息をついたあと、彼女は僕に向かって丁寧に頭を下げた。


「わざわざ届けてくださって、ありがとうございます。このまま夜まで気づかなかったら、妹も明日の朝までなくしたことに気づかなかったかもしれません」


「いえ、そんな。たまたま見つけただけですから」


 そう答えた僕に、彼女は微笑みかけた。

 それは、決して華やかな笑顔ではなかった。

 けれど、どこか温かくて、飾り気のない、素直な笑顔だった。

 不思議なことに、その笑顔を見ただけで、さっきまで少し落ち着かなかった気持ちが和らいだ気がした。


「私は、天塚雪菜といいます。よろしくお願いしますね」


「あ……天宮蓮です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 彼女が自己紹介をしてくれたのだと気づき、少し遅れて僕も名乗る。


「天宮くん、ですね」


「はい」


「この近くに住んでいるんですか?」


「まあ、そんなところです。青蘭高校に通っています」


「あら、そうなんですね。じゃあ、意外とご近所さんかもしれませんね」


「そうですね」


 それだけの会話だった。

 忘れ物を届けて、お礼を言われて。

 それで終わるはずだった。

 実際、僕もそろそろ帰ろうと思っていた。


 けれど、ふと視線を横に向けたとき、建物の壁際に積まれた荷物が目に入った。

 木箱や籠がいくつも並んでいる。

 まだ片づけが終わっていないらしい。

 僕の視線に気づいた雪菜さんが、少し困ったように笑った。


「ああ、あれですか」


「まだ作業が残っているんですか?」


「はい。帰る前に、もう少し片づけをしないといけなくて」


 彼女は申し訳なさそうに笑いながら続けた。


「いつもより少し多いんです。でも、大丈夫ですよ。慣れていますから」


 その言葉を聞きながら、僕はもう一度、積まれた荷物に目を向けた。

 そして、ほとんど考えるより先に、口を開いていた。


「あの……よかったら、僕も手伝いましょうか?」


「えっ?」


 雪菜さんが驚いたように目を丸くする。


「急いで帰る用事もないので。僕にできることがあれば、少しは早く終わるかなと思って」


 彼女はしばらく僕の顔を見つめていた。

 本当に手伝うつもりなのか、確かめているようだった。

 正直に言えば、僕自身も少し驚いていた。

 今日は、ただ帰り道を変えてみただけだった。

 この女の子のことも、ついさっき知ったばかりだ。


 まともに話した時間だって、ほんの数分しかない。

 それなのに、どうして手伝おうなんて思ったのだろう。

 箱が重そうに見えたからかもしれない。

 それとも、彼女が一人で作業を続けている姿を見て、そのまま帰るのが何となく気になったからだろうか。

 自分でも、よく分からなかった。


「ありがとうございます。でも、私が作業しているからって、無理に手伝わなくても大丈夫ですよ?」


「分かっています」


「本当にいいんですか?」


「手伝いたくなかったら、最初から言いませんよ」


 そう答えると、雪菜さんは再び黙り込んだ。

 そして、少しだけ表情を緩めた。

 さっき巾着袋を受け取ったときの、礼儀正しい笑顔とは違う。

 ほんの少しだけ、肩の力が抜けたような笑顔だった。


「……それなら、お言葉に甘えてもいいですか?」


「もちろんです」


「ただし、軽いものだけにしてくださいね?」


「分かりました」


 彼女は壁際に置かれた荷物の中から、小さめの箱をいくつか指さした。


「では、あちらの箱を倉庫まで運んでもらえますか? 本殿の裏手にあります」


「了解です」


 僕は箱をひとつ持ち上げた。

 思っていたほど重くはない。

 雪菜さんに場所を教えてもらいながら、倉庫へと向かう。

 そのときになって、ようやく気づいた。

 一人で過ごすつもりだった、何でもない午後。

 それがいつの間にか、自分でも想像していなかった時間に変わり始めている。


 けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 むしろ、もう少しだけここにいてもいいと思っていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 思っていたよりも早く、片づけは終わった。

 すべての荷物がきちんと収納されたことを確認してから、雪菜さんが僕を境内の入口まで案内してくれた。

 その頃には、空の色もずいぶん変わっていた。

 昼間のオレンジ色は薄れ、空の端には淡い桃色と紫色が混ざり始めている。

 木々の影が石畳の上に長く伸び、境内にも少しずつ夕暮れの気配が広がっていた。


「今日は本当にありがとうございました、天宮くん」


 雪菜さんは、改めて丁寧に頭を下げた。


「おかげで、いつもより早く帰れそうです」


「それならよかったです」


「天宮くんも、気をつけて帰ってくださいね」


「はい。それじゃあ、失礼します」


 僕は軽く会釈をして、鳥居のほうへ歩き出した。

 そのまま境内を出ようとしたときだった。


「天宮くん!」


 背後から名前を呼ばれた。

 振り返ると、雪菜さんが石段の近くに立っていた。

 手には、さっき僕が届けた暗い赤色の巾着袋が握られている。


「もし、また時間があるときは、ぜひ神社に遊びに来てくださいね」


「また、ですか?」


 思わず聞き返すと、雪菜さんは小さく頷いた。


「はい。神社はいつでも参拝できますし、私が当番の日なら、またお話しすることもできますから」


 そう言って、彼女は優しく微笑んだ。


「それに……もしお手伝いしてもらえるなら、いつでも大歓迎です」


「ははっ。それは考えておきます」


「もう。考えるだけじゃなくて、本当に来てくださいね?」


 少しだけ冗談めいた声だった。

 その言い方がおかしくて、僕も思わず小さく笑ってしまった。


「分かりました。また機会があれば」


「はい。お待ちしていますね」


「それじゃあ、また。天塚さん」


「はい。またお会いしましょう、天宮くん」


 そうして僕は鳥居をくぐり、来たときと同じ細い道へと戻った。

 春風は、まだ穏やかに吹いていた。

 桜の花びらが、僕の目の前をひとひら、またひとひらと通り過ぎていく。

 帰り道、僕は今日の出来事を何となく思い返していた。


 今まで一度も訪れたことのなかった神社。

 天塚雪菜という女の子。

 そして、ほんの少しだけ交わした会話。

 どうしてなのかは分からないけれど、今日のことは、何となく忘れたくないと思った。


 ……まあ、別に特別なことをしたわけじゃない。

 落とし物を届けて、たまたま知り合った女の子の仕事を少し手伝った。

 ただ、それだけだ。

 明日になれば、きっと何事もなかったように、いつもの日常に戻っているだろう。


 そのときの僕は、本気でそう思っていた。

 まさか、雪菜さんに三人の妹がいることも知らなかった。

 それぞれがまったく違う性格をしていて、これから何度も顔を合わせることになるなんて、想像もしていなかった。

 ましてや、あの神社へ何度も足を運ぶようになるなんて。


 そして、いつしか自分にとって、なくてはならない大切な場所になっていくなんて。

 あの頃の僕は、まだ何も知らなかった。

 春の夕空の下、いつもと少し違う道を歩いて帰るだけの、ごく普通の高校生だった。

 この何気ない出会いが、これから先の自分をどれほど変えていくのかも。


 人と出会うことの意味も。

 家族というものの温かさも。

 そして、誰かを大切に想う気持ちも。

 まだ何ひとつ知らないまま。

 ただ、あの日の夕暮れに始まった小さな物語だけが、静かに動き始めていた。

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