解放戦線
会議室は静まり返っていた。
窓から差し込む朝の光が、机に広げられた地図を白く照らしている。
日御子の決意を受け止めるように、ポリアンナは静かに頷いた。
「では、現在の状況から説明します」
日御子は表情を引き締め、地図へ視線を落とした。
「現在、ヒノモトは帝国の占領下にあります。革命軍は帝国に利用され、王国は崩壊しました」
その一言で、日御子の胸が締め付けられる。
「……はい」
旅の途中、各地でヒノモトの噂を耳にした。故郷を追われた人々。帝国兵に怯えながら暮らす人々。そして、どこへ行っても変わらなかった言葉。
『王女が国を滅ぼした』
日御子は小さく呟く。
「私が、帝国へ明け渡してしまいましたの」
誰も安易な慰めを口にはしなかった。日御子も、それを求めてはいない。
過去は変えられない。だからこそ、今の自分にできることをする。
日御子が顔を上げると、ポリアンナが口を開いた。
「実は、しばらく前から、もりやんさんに旧ヒノモト王国領へ潜入してもらっています」
日御子は目を見開いた。
「……え?」
「いつか日御子さんが、ヒノモトへ向かうと言い出すと思っていました。その時に備えて、以前から情報のあった地下組織の現状を確認してもらっています」
「地下組織……?」
「帝国へ抵抗している者たちです。ただし、情報が古い。今も活動しているのか、協力できる相手なのか。それを確かめるためです」
日御子はしばらく言葉を失っていた。まだ、自分は何も決めていなかった。それでもポリアンナは、自分がいつか故郷へ戻ると信じて動いてくれていた。
自分より先に、自分がもう一度立ち上がることを信じてくれていた。
「……ありがとうございますの」
自然と、その言葉が零れた。
ポリアンナは柔らかく微笑む。
「お礼は、もりやんさんが無事に帰ってきてからでお願いします」
アイザックが肩を竦めた。
「相変わらず仕事が早えーな」
「備えられることは、先に備えておきたいだけです」
「敵に回したくねー」
「それもよく言われます」
張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
◇
「もう一つ。ヒノモトの占領には、不自然な点があります」
ポリアンナが身を乗り出し、地図の上の一点を指で押さえた。
「現地には帝国軍が駐留しています。ですが、実権を握っているのは軍務局ではなく――諜報局です」
「諜報局?」
日御子が眉をひそめる。
「はい。通常の占領統治とは明らかに違います。理由はまだ分かりませんが、帝国はヒノモトそのものに何らかの目的を持っていると考えるべきでしょう」
会議室の空気がわずかに変わった。パルパティーンの表情も、僅かに強張る。
「……だったら」
壁に寄りかかっていたパルパティーンが、腕を組んだまま身を起こした。
「俺も行く。帝国相手なら、作戦メンバーに入れろ」
アイザックが目を細める。
「理由は?」
「帝国のやり方は俺が一番知ってる」
短い返答だった。反論する者はいなかった。帝国特務局の幹部だった男ほど、今回の任務に適した人材はいない。
(諜報局……リリアナか)
誰にも悟られないよう、パルパティーンは小さく目を伏せた。
ポリアンナはしばらく考え込み、やがて静かに頷く。
「分かりました。では今回の任務より、パルパティーンさんを正式にNKJ隊員として任命します。信頼に足ると判断しました」
「えっ、マジ!?」
部屋の隅で椅子を斜めに傾けて座っていたアリスが、真っ先に立ち上がった。
「ほら、言った通りじゃーん! パルちゃん絶対いい人だって!」
得意げに胸を張る。
「あーしの勘、超当たるっしょ!」
鬼龍神が呆れたように笑った。
「本人より喜んでるじゃねぇか」
「だって、やっと正式メンバーじゃん!」
日御子はパルパティーンを見つめた。
かつて自分の命を狙った帝国の幹部が、今は同じ仲間として認められている。嬉しそうなアリスにつられ、日御子も微笑んだ。
「これからも、よろしくお願いしますの」
パルパティーンは少し驚いたように目を見開いた。
「……ああ」
短い返事に、アイザックが笑った。
「仮隊員のままだったら、雑用押しつけやすかったんだけどな」
「雑用なんかした事ねぇよ」
パルパティーンは肩を竦めた。
「……あのさ」
その時、ビビアンが手を上げた。
「あたしも入っていい?」
ポリアンナが目を瞬く。
「NKJに、ですか?」
「うん」
ビビアンは会議室を見回してから、隣にいる日御子を見る。
「最初は日御子についてきただけだったけど……今は、あたし自身がここにいたいって思い始めてる」
少し笑う。
「ここ、結構面白そうだし。日御子もいるしね」
「……ビビアン」
「だから、あたしも入れてよ」
ポリアンナは少しだけ微笑んだ。
「もちろんです。歓迎します」
「やった!」
「軽いな、お前」
アイザックが呆れたように言う。
「あんたはうっさい」
ビビアンが軽く睨む。
「いいでしょ。ちゃんと自分で決めたんだから」
ポリアンナは小さく微笑んだ。
「では改めて、お二人ともよろしくお願いします」
そして、机に広げたヒノモトの地図へ視線を戻す。
「話を戻しましょう。もりやんさんの帰還予定は今日か明日です。それまでは待ちましょう」
日御子も地図へ視線を落とした。
ヒノモト。自分が生まれ育ち、自分の手で帝国へ渡してしまった国。そこへ帰る。
日御子は静かに頷いた。
◇
その頃、統天帝国エテルナ、諜報局。
エラスムスは執務机に広げた書類から顔を上げ、机を挟んだ向かいの椅子に座るレオンを見た。
「それで、ヒノモトの件とは?」
「アイゼン局長から、管轄移譲の経緯は聞いています。解放戦線への対処のためだそうですね」
「その通りです」
レオンは椅子の上で、僅かに姿勢を正した。
「人体実験の禁止と、軍務局から目付を派遣することも、ノクス局長は了承されたと聞きました」
「何か気になることでも?」
「……約束は守られるのでしょうか」
書類をめくりかけていた指が、止まった。
「局長が了承した以上、我々はその条件に従う立場です」
「以前の研究では、S型やヒノモト出身者が多く集められていました。その理由について、ノクス局長からは今も説明をいただいていません」
「それで、今回の管轄移譲を疑っているのですか」
「ええ。目付から実験が行われた報告はありませんから、そちらは歯止めになっているのでしょう。私が疑っているのは、移譲そのものの理由です」
エラスムスは何も言わなかった。
「本当の理由を知りたいのです。なぜ、諜報局がヒノモトの管轄を求めたのか」
「解放戦線への対処が正式な理由です」
「ですが、あの研究で集められたのは、ヒノモトの出身者が多数でした。その土地を、今度は諜報局が預かる。偶然だとは思えません」
レオンが机の上で組んでいた手に、僅かに力がこもった。
「人体実験が全て中止されたという話は、まだ聞いていません。もし今も秘密裏に実験が続けられ、救いを待っている方がいるのなら、私は必ず見つけ出します」
エラスムスは書類へ視線を落とした。
やがて、小さく息を吐く。
「……貴方は、相変わらずですね。一人見つかれば、次の一人。ようやく帰せたと思えば、また別の誰かを探し始める。どこまで続けるつもりですか」
「最後の一人までです」
迷いのない返答だった。
机を挟んだ向こうにいるのは、士官学校時代から変わらない旧友だった。レオンが一度こうすると決めたなら、簡単には諦めないことを、エラスムスはよく知っている。
「そういえば、あの子が家へ帰りました」
「……あの子?」
「以前、君が私の執務室へ来た時に、帰宅先を調べていた子です」
「ご家族が見つかったのですか」
「ええ。迎えに来た母親を見つけて、走っていきました。あんなに大きな声を出せる子だとは知りませんでした」
レオンの口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「母親に抱きついた後も、服を掴んだまま離れようとしなくて。私に手を振ってくれたのも、母親に抱かれたままでした」
それから、レオンは少しだけ眉を下げた。
「帰る前に、もう一度だけ話ができました。家の近くにあるのは、橋が一つと、水車が二つだったそうです」
「聞き違えていたのですか」
「私が記録を取った時に、取り違えたようです」
レオンが苦笑する。つられて、口元が緩むのを抑えられなかった。
「首席」
「その呼び方はやめてください」
「聞き取りの基本でしょう」
「返す言葉もありません」
レオンは椅子から立ち上がり、机の端に置かれた食事へ目を向けた。
スープの表面には薄い膜が張り、添えられたパンも手つかずだった。
「……食事の途中でしたか」
「途中にすら辿り着いていません。貴方のおかげで」
「それは失礼しました」
エラスムスは匙を手に取った。
「謝るくらいなら、もう少し手短にお願いします」
「気をつけます」
「本当に?」
エラスムスは疑わしげに目を細めた。
レオンは小さく笑い、扉へ向かった。取っ手に手を掛けたところで、振り返る。
「食事は取ってください。私が来たせいで食べ損ねた、と言われても困りますから」
「自覚はあるんですね」
「ですから、今日は帰ります」
エラスムスは、スープの皿を手元へ引き寄せた。
「次は食事の時間を避けてください」
笑みを浮かべたまま、レオンは部屋を出ていった。
◇
翌日。NKJ本部の会議室の扉が開いた。
「ただいま」
聞き慣れた声とともに、もりやんが姿を現した。荷物を下ろし、軽く肩を回す。
「遠かった」
「お疲れ様でした」
のぶおが身を乗り出す。
「それで、向こうはどうなってました?」
もりやんの表情が少しだけ真剣になった。綴じた資料を机へ広げる。
「帝国に抵抗する組織は、まだあった」
日御子は思わず息を呑む。
「ヒノモト解放戦線って名前。状況は厳しい。人も物資も足りてないけど……まだ戦ってる」
自分が帝国へ渡してしまった故郷で、今も命を懸けて戦っている人たちがいる。
(申し訳ありませんの……)
そんな言葉しか浮かばなかった。
それでも、まだ諦めていない人たちがいた。その事実だけが、ほんの少し日御子の心を救った。
ポリアンナが尋ねる。
「こちらとの協力については?」
「望んでる。直接、話がしたいって」
「分かりました」
ポリアンナは静かに頷いた。
日御子は拳を握る。自分も、その人たちと向き合わなければならない。
「あ、そうだ」
もりやんが資料を閉じる。
「向こうのリーダー」
何気なく続けた。
「福って人だった」
その瞬間、日御子が固まった。
「……え?」
部屋が静まり返る。
もりやんが首を傾げる。
「知ってる人?」
日御子は答えられなかった。
脳裏に、革命の日の光景が蘇る。血だらけになりながら、それでも自分を見つめていた恩師。
『姫様……』
『なぜ、このようなことを……』
「……福師匠」
小さく呟く。
(私は……一体どんな顔をして、福師匠に会えばいいんですの……)
【第六十六話 続く実験】へ続く




