遠い日の約束
数日後。NKJ本部の会議室で、日御子は落ち着かない様子で椅子に腰掛けていた。膝の上に置いた指先が、僅かに震えている。
(福師匠……)
革命の日、福は革命軍に捕らえられ、その後の消息が途絶えた。それでも日御子は、生きていてほしいと願い続けていた。
そして今日、ようやく再会できる。それが、素直に嬉しかった。
だが、その安堵はすぐに強い緊張へ変わった。
(私は……)
喉が渇く。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
その時、隣からそっと手を握られた。
顔を向けると、ビビアンが何も言わず、握った手に少しだけ力を込めた。
「……ありがとうですの」
ビビアンは小さく笑った。
◇
ポリアンナが時計へ目を向ける。
「そろそろですね」
その言葉に、部屋の空気が引き締まった。
ほどなくして、扉がノックされる。
「どうぞ」
ゆっくりと扉が開いた。
「失礼いたします」
低く落ち着いた声とともに、一人の男が会議室へ足を踏み入れる。
五十代半ば。短く整えられた白髪と鍛え抜かれた体躯。その立ち姿には、長年剣を振るい続けてきた者だけが持つ揺るぎなさがあった。
ヒノモト解放戦線の代表にして総司令。
そして、かつて王国近衛騎士団長を務めた男。
福。
福はまずポリアンナへ視線を向け、丁寧に頭を下げた。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
軽く頭を下げ合い、福が会議室を見渡す。
そして――その視線が日御子で止まった。
福の足が止まる。
日御子も静かに立ち上がった。
二人の視線が重なったまま、長い沈黙が流れる。
福の口が僅かに震えた。
「……姫様?」
「福師匠……」
日御子はゆっくりと、深く頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
福は何も答えなかった。
握られた拳が、僅かに震えている。
ポリアンナはしばらく二人を見守った後、静かに口を開いた。
「積もる話はあると思います。お二人には、後ほど改めて時間を設けます」
そして福へ視線を向ける。
「ですが、まずはヒノモトの現状について共有させてください」
福は数秒目を閉じ、ゆっくりと息を整えた。
「……失礼いたしました」
近くの席へ腰を下ろす。
日御子も席へ戻ったが、胸の鼓動はまだ収まっていなかった。
◇
「現在、ヒノモトは帝国諜報局の管理下にあります」
福は机へ地図を広げた。
「占領後も各地で抵抗を続けていますが、戦力差は大きい。解放戦線は苦しい戦いを強いられております」
地図には帝国支配地域と補給路、解放戦線の活動範囲が記されている。
ポリアンナは口を挟まず、黙って説明を聞いていた。
やがて、福の表情が曇る。
「そして、もう一つ気になることがあります」
会議室の空気が変わった。
「最近、住民の失踪が相次いでおります。子供から大人まで、年齢も性別も関係なく突然姿を消している」
その言葉に、パルパティーンの指先が僅かに止まった。
諜報局。
そして、失踪者。
まだ確証はない。それでも、嫌な予感が胸の奥で形を持ち始めていた。
のぶおが眉をひそめる。
「帝国が連れて行っているということでしょうか?」
「その可能性が高いでしょう」
福は頷き、一呼吸置いた。
「そして、失踪者には一つだけ共通点があります」
全員の視線が集まる。
「全員、S型です」
その瞬間、ポリアンナの表情が変わった。
「……また人体実験ですか」
福が目を見開く。
「ご存知なのですか?」
「確証はありません。ただ、心当たりがあります」
ポリアンナが咲夜姫へ視線を向けると、咲夜姫はすでに用意していた分厚い資料を机へ置いた。
「以前、帝国から回収した人体実験の記録です」
ポリアンナがページを開く。
被験者の血液型。共鳴率。実験結果。そして出身地。
「この資料を解析した際、ヒノモト出身者が不自然に多いことが分かりました。そして、その多くがS型だった」
福が静かに息を呑む。
「当時は理由が分かりませんでした。ですが、福司令のお話で少なくとも一つは繋がりました」
ポリアンナは資料を閉じる。
「帝国は今も、S型の人間を集め続けている」
その表情から笑みが消えた。
「ヒノモトが、人体実験の供給源にされている可能性は極めて高いでしょう」
誰も言葉を発しなかった。
パルパティーンは机の下で拳を握る。
(やっぱりか……)
胸の奥に浮かんだのは、一人の女の顔だった。
(リリアナ……)
諜報局が薬物や洗脳を使い、人体実験まがいのことまで行ってきたのを、何度も見てきた。
何度も、やめろと言った。
それでもリリアナは止まらなかった。
そして今も。
遠く離れたヒノモトで、人を攫い続けている。
「……くそっ」
小さく吐き捨てた声に、何人かがパルパティーンを見る。
パルパティーンは静かに顔を上げた。
「諜報局が動いてる理由は分かる。あいつらは昔から、薬物尋問や洗脳、その延長で人体実験まがいのことまでやってた」
一度だけ言葉を切る。
「……今も、何も変わってないらしいな」
それ以上は語らず、再び拳を強く握った。
◇
今後の連携方針を確認し、会議はひとまず終了した。
それぞれが席を立とうとした時、福が静かに口を開く。
「……姫様」
日御子が振り返った。
福は真っ直ぐに彼女を見つめている。
「一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「……はい」
「革命の件です」
日御子の表情が強張る。
「姫様に、一体何があったのですか」
部屋が静まり返った。
日御子は俯き、両手を強く握り締める。
「私は……」
声が震えた。
「あの日、お父様を……」
その先が続かない。
唇が震え、涙が溢れる。
「日御子さん」
ポリアンナが静かに声を掛けた。
「ここからは、私に補足させてください」
日御子は小さく頷いた。
「革命以前から、日御子さんは帝国による洗脳を受けていました」
福の眉が僅かに動いた。
「……洗脳、ですか」
「はい」
福は何かを確かめるように日御子を見つめ、それから静かに口を開く。
「ですが、当時の姫様は……少なくとも私には、ご自分の意思で動いているように見えました」
ポリアンナは頷いた。
「命令されるまま操られていたわけではありません。民衆の声、家臣達の言葉、父王の考え――日御子さんが世界を見るための認識そのものを、少しずつ歪められていたのです」
福の表情が強張る。
「少しずつ……」
低く呟き、目を伏せた。
「……それなら、辻褄が合う」
日御子が顔を上げる。
「革命が起きる数年前から、姫様のご様子には違和感がございました」
福は遠い記憶を辿るように目を細める。
「以前なら一度立ち止まって考えておられたことを、疑いなく受け入れるようになった。陛下のお言葉も、以前より悪い意味へ受け取られることが増えていった」
僅かに拳を握る。
「長くお傍にいたからこそ分かった。少しずつ……私の知る姫様が変わっていくように感じていたのです」
日御子は何も言えなかった。
ポリアンナは、静かに続きを口にした。
「そして、日御子さんを担ぎ上げた革命軍。その実、ほとんどが革命軍を装った帝国兵でした」
福がはっと顔を上げる。
「……帝国兵?」
「お心当たりがありますか?」
「革命が近づくにつれ、姫様の周囲に見覚えのない者が増えていました」
福の声が低くなる。
「志に賛同した者が集まっているのだと思っていましたが……」
「実際に、日御子さんの志に惹かれて集まった人達もいました」
ポリアンナは頷く。
「ですが、帝国にとって都合の悪い者達は徐々に排除され、帝国兵が入り込んでいった。最終的には、洗脳された王女を旗印に据え、帝国が用意した兵によって王国を内部から崩壊させる形が作られていました」
福の顔から血の気が引いていく。
「では……」
掠れた声が漏れる。
「革命そのものが――」
「帝国による侵略計画だったのです」
重い沈黙が落ちた。
やがて、アイザックが静かに口を開いた。
「全部知った時さ」
福が視線を向ける。
「日御子、その場で倒れたんだ」
普段の軽さはなかった。
「あの日の真実を全部突き付けられて、自分が何をしたのか、改めて全部分かっちまった」
拳を握る。
「その後もずっと、自分を責め続けてた」
アイザックは小さく息を吐いた。
「見てられなかったよ」
福は静かに目を閉じ、深く息を吐く。
「……やはり」
「ずっと分からなかったのです。姫様が、なぜ変わってしまわれたのか」
福の拳が膝の上で僅かに震える。
「あの日、姫様が陛下へ剣を向けた時もそうでした」
声が掠れた。
「目の前にいるのは確かに姫様なのに、私の知っている姫様とは何かが違っていた」
「……福師匠」
「それでも姫様は、私を殺させなかった」
福はゆっくりと目を開いた。
「革命を率いているはずなのに、苦しそうなお顔をされていた。それが、ずっと頭から離れませんでした」
一度、言葉を切る。
「もちろん、事情を知ったからといって、あの日に起きたことが消えるわけではありません」
日御子の肩が僅かに震えた。
「陛下は亡くなられた。国も、多くのものを失いました」
福の声にも痛みが滲む。
「ですが今、ようやく分かりました」
「あの日の姫様が、なぜあれほど苦しんでおられたのか」
日御子の胸の奥へ、その言葉が染み込んでいった。
静かに涙が零れた。
「……ありがとう、ございますの」
福はそれ以上、何も言わなかった。
ただ静かに、かつて剣を教えた少女を見つめていた。
誰も言葉を発さない。
少し離れた席で、パルパティーンはそのやり取りを黙って聞いていた。
間違った道へ進んでいる人間を、ただ見ているだけでは救えない。
パルパティーンの脳裏に、一人の女の顔が浮かんだ。
(……リリアナ)
昔から知っている。
誰よりも長く見てきたからこそ、少しずつ変わっていく姿にも気付いていた。
いつか自分で気付いてくれると思っていた。
話せば分かると思っていた。
何度も止めようとした。
だが、それでは足りなかった。
(このまま放っておけば……あいつは、もっと先まで行く)
取り返しがつかなくなるところまで。
その前に、止めなければならない。
説得して戻せるなら、それが一番いい。
だが――それでも止まらないなら。
パルパティーンは静かに目を伏せた。
胸の奥に残っていた迷いが、一つの覚悟へ変わり始めていた。
◇
会議室を出たパルパティーンは、一人で廊下を歩きながら静かに目を閉じた。
遠い日の約束が脳裏を過る。
『私が間違った時は』
『どこにいても』
『パルが止めに来てね』
あの時は、「知るか」とぶっきらぼうに答えた。
けれど、忘れたことなど一度もなかった。
ただ傍にいればどうにかなる、と思っていたのかもしれない。
だが今は違う。
止めるという言葉の重さを、もう理解している。
パルパティーンは小さく息を吐く。
「……ああ」
誰に聞かせるでもなく、静かに呟いた。
「止めに行くぞ。必ずだ」
その瞳に、もう迷いはなかった。
【第六十六話 ヒノモト奪還作戦】へ続く




