Dolce 甘味 自家製ブリオッシャと火山ワインのジェラート
「ドルチェをお持ちいたしました。ぜひご賞味ください」
少年が真っ白な手袋で皿を持ってきた。
先程までは手袋をしていなかったというのに、どういうことだろうか。その答えは、提供された皿から漂う冷気によって示された。
氷点下に冷却された皿はさながら雪原で、楓の木で建てた小屋の如きブリオッシャには粉糖が積もっていた。その内に置かれているジェラートはまるで紫檀家具だ。
その美しい建築を取り壊すのは名残惜しかったが、己の欲求に背くことは能わず
神の断裁を入れた。
まず口いっぱいに広がったのは、ワインジェラートの爽やかな香りだった。島一番の大火山の麓で採れるブドウを使った熟成ワインで作っているのだそう。
後を追うように甘くまろやかな味わい――ブリオッシャがやってきた。香るバターとワインの酸味が溶け合い、見事な食べ合わせとなっていた。
塩味と旨味に支配されていた口内は甘味と酸味が台頭した。ドルチェを食し終えた時機を見計らって置かれた小さなエスプレッソをくいと飲むと、芳醇な香りに加えて心地よい苦味と酸味が訪れ、体がじんわりと温められた。
満腹とはまさにこういうことだ。
椅子に体重を預け、ゆっくりと息を吸って食事の余韻を楽しんだ。
問題が発生したのは、七日目の朝だった。例年を超えるあまりの盛況ぶりに、食材の仕入れが追いつかないのだという。
幸いなのは昼の営業までは時間があることと、在庫状況から昼営業だけなら乗り切れそうだということ。ただし注文の偏りによっては品切れを起こし、満足の行く提供ができない可能性がある。
両親が急いで市場へ仕入れに向かったが、郵便屋の情報によると島に入ってくる予定の商船が沖合で座礁してしまい、市場は閑散としているのだという。
「ど、どうしようオステリアー!」
「僕に言われても……!」
トラットリアはだらりと脱力しながらオステリアに抱きついていた。彼女がこんなに取り乱す……のはいつものことだが、実態としてお店に食材の在庫がこんなにも少ないのは初めてだという。
「な、なんで私を見るの……」
偶然にも、トラットリアとオステリアは呼吸をピッタリ合わせてツェツィーリアの方を向いていた。
「ツェツィなら解決してくれるかなって!」
「簡単に言うよね!」
ツェツィーリアは思わず声を張った。無理もない。飲食店経営の知識などツェツィーリアは皆無に等しく、それ故に助言や助力ができる可能性はほとんど無かったのである。
それでも羨望の眼差しを向けてくる困った姉弟を無下には出来ず、小さく息を吸ったツェツィーリアはこほんと咳払いをしてみせた。
「まずは在庫の確認と、どんなメニューだったら提供できるのか考えるのが良いんじゃない?」
「なるほど!さすがツェツィ!」
トラットリアの大げさな納得に首を傾げたツェツィーリアだったが、悪い気分はしなかった。
改めて在庫を確認するが、待ち受けていたのは想像よりも厳しい現実だった。
幸いお酒はたくさんあるが、残された食材はほんのわずか。パスタは大量にあるので困らなそうだが、肝心の具材は昼営業を乗り切ればほとんどが在庫切れしてしまうだろう。
「どうしよう、このままじゃ大衆食堂じゃなくなっちゃうよ~!」
「……姉さん!それだよ!その方法がある!」
「へ?」
オステリアが閃いたように声を上げる。しかしトラットリアは見当がつかなかったのか、間の抜けた返答だった。
「ちょっとだけ、着いてきてほしいんだ」
オステリアに促されるまま、食材保管用の冷暗所に足を運ぶ。その光景を目の当たりにしたトラットリアは、驚いたように声を上げた。
「いつの間に!?すごいよオステリア!」
「確かに……これはすごいね」
オステリアに作戦を説明されたトラットリアもツェツィーリアも、感心したように膝を打っていた。
しかしその日の昼営業に、これといって特に変わった様子は無い。一つ変わったことといえば、来店した客に対してとある告知をしたことだ。
客はみな一様に驚きの声を上げたが、それは極めて肯定的なものだった。
空は次第に暗くなり、アペリティーボの時間が近づいてくる。
大衆食堂の看板を手書き文字の板でわざとらしく隠し、トラットリアは満足気に笑っていた。
「ね、姉さん。本当に言うの?」
「もちろん、今日の店長は君だからね!」
「わ、わかったよ――」
「な、なんで私まで……」
姉は恥じらいを見せた弟の主張を棄却し、ついでにかけがえのない友人まで巻き込んで店先に整列した。
いつも通り訪れた客も、ふと足を止めた通行人も、その光景に思わず笑顔を作っていた。
「いらっしゃいませ!大衆酒場へようこそ!!」
大衆酒場「サルーテ」。
一日限りで開店したその酒場は、いつも通り、否、いつも以上の盛況ぶりを見せていた。
提供する料理の種類を最小限に絞ることにより、品質と提供速度を落とすこと無く回転率を上げている。
提供されるパスタは姉弟の得意分野が融合した傑作と言ってもよく、熟成された頬肉の脂がチーズとともにクリームソースに溶け出し、弾力のあるリングイネによく絡んでいる。
もちもちとした弾力の中に歯切れの良いきのこがまざっており、噛むと染み出る旨味は余韻を多く残していた。たっぷりと振りかけられた胡椒の香りと辛味も心地よい。
この熟成頬肉こそ、オステリアの秘策、もとい切り札だった。
肉の品質に関して言えば家族で一番こだわりを持っているオステリアが厳選した豚頬肉に、研究を重ねた末完成した調合塩をすり込んで脱水し、暗所で数ヶ月にわたって熟成させていたのだ。
そのグアンチャーレをたっぷりのチーズとともに生地に乗せて釜で焼き上げるピッツァこそがオステリアの計画していた料理だが、結果としては姉が得意とするパスタとの融合を果たした。
勝敗の結果にこだわっていたオステリアも、すっかりこの非常事態を楽しんでいた。それは彼が厨房を出て、お客さんに直接料理を届けていたからである。
「兄ちゃん、このパスタ美味いよ!」
「このお肉、本当に美味しいわ!お酒が進んじゃう」
「ありがとうございます!」
はじめは嬉しそうに接していたオステリアだったが、彼が表情に出す余裕は次第に少なくなっていた。
提供する品数を減らし、お酒を主軸とした提供方式としたことで客の回転率とまばらな注文による複雑さが増していたのだ。
推定五人分の働きをしているように見える彼らの母も、さすがに余裕がなさそうで、さながら猫の手も借りたいといったところだろう。
厨房にこもるツェツィーリアは葛藤していた。トラットリアと彼女の父が入る厨房は、現状「回っている」状態だ。自信はないが、注文を取ったり皿を下げたりするのが最適解であることを理解していたためだ。
ツェツィーリアは作業台に手をつき立ち尽くす。視界の隅に、小瓶が映った。
「自信を持て、ツェツィーリア・アイベンシュッツ!」
「うわあっ!びっくりした!」
「ご、ごめん……もう、せっかく気合い入れたのに!」
突然叫んだツェツィーリアに、鍋を振っていたトラットリアは極めて自然な反応を示した。
気を取り直した金髪の少女は、小瓶から取り出したサプリメントを口に放り込む。
束ねられた髪、覗く細い項に黃水晶が輝いた。
「注文お願いしまーす」
「すぐ伺いますね!――オステリア!」
「はい!今行きます!」
「ちょっと、こっちも早く来てほしいんだけど」
「順番にお伺いします、少々お待ち下さい!」
オステリアの額に。汗が吹き出す。直後、少年の脇を、少女の影が横切った。
「お待たせしました、ご注文をお伺いします!」
肩ほどまである髪を後ろに結ったツェツィーリアが、流れるような動作で注文を取っていた。
「空いたお皿、お下げしますね。お酒はおかわりされますか?」
ツェツィーリアの立ち回りは、もはや教育不要な段階まで強化されているように感じられた。
だが思い返せば不思議なことではない。一流の接客を行う店員の見本がこんなにも居るのだ。
営業時間を三人で回した店内は、十分と言えるほど安定していた。
最後のお客さんが帰り、店内に静寂が戻った瞬間に切れた電球のように動く気力を失ったツェツィーリアをぎゅっと抱きしめたのは、厨房から飛び出してきたトラットリアだった。
「ツェツィー!すごい、すごいよ!」
「素晴らしかったわ!」
母も心から感心していた。そこまでのことが出来たのかと自問してしまうほど実感がわかないツェツィーリアは、思わず頬を染めた。
「でも、どうして急にあんな動きが出来たんですか?」
「簡単な話。自分で作ったサプリメントを飲んだんだ」
「ああ!この間作ってくれた、自信がつくサプリメント!僕も飲みましたよ、今日の朝」
「まあ、あれにそんな効果は無いんだけどね」
「え?」
ツェツィーリアのさらりとした発言に、オステリアは目を丸くした。
「偽薬効果だよ。薬効があると思い込むだけで人はそれなりに変われるんだ」
「そんな……」
落胆した様子のオステリアに呼びかけたのは、姉のトラットリアだった。
「落ち込むことはないよ!オステリアはもう、立派な料理人だもん!ね、お母さん!」
「ええ、もちろん!今日の営業風景を見て思ったわ。もういつでもお店を任せられるって。ねえ、あなた?」
「ああ」
彼らの両親は、流れるように姉弟を褒め称えた。結局のところ、姉弟対決の勝敗は決まっていない。だがそれ以上に、「サルーテ」には大きなものがもたらされていた。
すっかりと夜に染まった街並みを、二人の少女は高台から見下ろしていた。
「あっという間だったね、なんだか」
腰掛けたツェツィーリアが、呟くように言った。
「うん、ツェツィが一緒に来てくれて良かった!」
隣に座るトラットリアは、いつも通り朗らかに笑う。
「ねえツェツィ、私との旅、楽しかった?」
「……さあね」
投げ出した足をぶらぶらさせながら、ツェツィーリアは呟いた。
「異国の街並みを見るのは楽しかったし、興味深い素材の収集も出来た。学園に戻ったら研究が捗りそうだよ」
「本当?良かった!」
トラットリアの笑顔がまた弾ける。それを見たツェツィーリアは、そんな純粋な表情の彼女にほんの少しだけ憧憬を感じる。
遠くの海で、汽笛が鳴っていた。
「私は忘れないよ。トトが今回私を何回怒らせたか……」
「その時はごめんよ~!」
からかうように言ったツェツィーリアに、トラットリアは泣きついた。そんな様子がおかしくて、ツェツィーリアは思わず吹き出した。
「まあでも、トトと一緒にいると退屈しないかも。一緒に研究して、絶対に行こう、東の国へ!」
「~ッ!ツェツィ~!」
「うわあっ!!だ、抱きつくなあ~!」
そんな他愛もないやり取りで、二人は笑った。長いようで短かった二人の日々は帰路へと向かいつつある。
屋根裏部屋で、少女たちの話し声が途絶えるのを聞いた者は居なかった。
「姉さん、朝だ……よ」
明くる朝、姉を起こすべく屋根裏に上ったオステリアは、身を寄せ合って眠る二人の少女を見て顔を綻ばせると、まるで何も見なかったかのようにその日の仕入れに向けて店を発った。
「またね!お父さん、お母さん!」
「ああ、病気しないようにな」
「ちゃんと食べて、元気に過ごすのよ!」
「うん!」
両親の言葉に、トラットリアは嬉しそうに応えた。
「それからツェツィーリアちゃん」
「はい」
「またいつでもいらっしゃいね!寝床と食事には困らないようにするから!」
「ありがとうございます……!」
ツェツィーリアは笑った。「サルーテ一家」が気さくで家庭的なのは間違いないが、こんなに気に入られたのは初めてだ。心の底から、また来たいと思える場所だった。
「姉さん」
「オステリア!」
トラットリアはまた、オステリアに抱きついた。両頬を合わせ、恥ずかしがるオステリアをからかうようににこりと笑う。
「オステリアくん、ありがとうね」
「ツェツィーリアさん、こちらこそ」
「この髪飾り、すごく嬉しかった。大切にするね!」
ツェツィーリアが微笑みかけ、それを見たオステリアは思わず頬を染める。ツェツィーリアはいたずらっぽく、オステリアに迫った。
「ありがとう、オステリア」
オステリアの頬に、少女の頬が触れた。ふわりと石鹸が香る肌は、すべすべとしていて柔らかかった。
「な、な……な!」
オステリアの顔が耳まで真っ赤に染まる。それを見た両親も、微笑ましそうに笑っていた。
荷馬車に乗り向かうのは、港の船着き場だ。ちょうど昼過ぎの船で出発し、ナポリに着く頃にはやはりまた夕方だろう。
「わたし、帰り道ではぜったいにツェツィを怒らせないよ!」
「意気込むのは良いけど、たぶん無理だから気にしないで」
「うう、そんなぁ……」
少女たちは帰路につく。結果としてトラットリアの誓いは果たされなかったし、改善の余地もなかった。だが確実に二人の絆が深まっていることは、学園に戻ってからの意思疎通の確度によって実感することになる。
時は流れ、ツェツィーリアは再びその島を訪れていた。その隣に赤髪の少女の姿はなく、かけがえのない友人が二人、彼女の前後を歩いていた。
「先輩、びっくりしますかね?私達が突然やってきたら」
「どうだろう、案外普通に案内してくれるだけかも」
「ぐふふ、先輩のお店に遊びに行ってあげるのです、お酒はたっぷり頂かせてもらいますよ!」
「はしゃがないでください。遊びに来ているわけではないのですよ」
「わかってますよ!ちょっとくらいはしゃいだって良いじゃないですか!その石頭の中にまで石が詰まってるんですか?」
「節度を持つことは学園の生徒としての鉄則です。あなたみたいに脳がアセトアルデヒドで溶け出している人に教えたところで無駄でしょうが」
「ふたりとも落ち着いて。せっかくの遠征ですから。今日くらいは団長もリラックスしましょうよ」
「まあ、ツェツィーリアさんが言うのなら」
少女たちは会話をはずませ、やがて丘の上にたどり着く。
来店に気付いた少年が声を上げる前に、ツェツィーリアは彼の目を見て沈黙の合図を出し、彼もまたその意図を理解したのか微笑んで店の裏に消えていった。
からからとチャイムが鳴り、扉が開く。
振り返った赤髪の少女は彼女たちの入店に気付くと目を輝かせ、嬉しそうに声を張った。
「いらっしゃいませ!トラットリアへようこそ!!」




