9.あの男
朝の訓練が終わり、息を整えながら訓練場を後にする者がほとんどの中、隅の方で掃除用具を手に小さくなっている男が居る。
そのまま、見なかったふりをして通り過ぎようかという考えが頭を過ったが、ふぅ、と小さくため息をついたリタは彼の元へ向け足を進めた。
「ディラン……」
「な、なんだ」
「エミリーちゃんに何かされた?」
エミリー。
その名を聞いた瞬間、ビクッと体を揺らしたディラン。
あぁ……。
「なにも……されていない」
「そう?」
今朝方、リタ達が通路で見かけた時と同様、どこかぼーーっとした様子で訓練中も身が入っていなかったディラン。上官から何度も指導を受けた末、皆が訓練を終えて帰る中、彼は罰として一人で訓練場の掃除を命じられていた。
ディランのこんな姿を見るのは初めてであった。アルバートに言われた通り、おそらく昨日のアレが原因なのだろうと考えたリタは、さりげなく……直球に彼女の名前を出したのだが、どうやら当たりのようだ。
「彼女はただ、俺の話をきいてくれて」
「うん」
「それで……」
「うん」
ディランは握った拳にぐっと力を入れ、視線を逸らしながらたどたどしく話した。そんな彼の話を、リタは相槌を打ちながら正面から聞く。
「か、彼女は、誰か、特別な人はいるのだろうか」
「うん?」
んんん?
「こんな事、初めてなんだ」
首を軽く傾けたリタに、ディランは苦しそうに言葉を紡ぐ。
「朝起きても、食事をしていても、訓練中ですら、あの夜の彼女の顔が頭にちらついて離れない」
それで今朝の訓練中、何度もミスをしてしまい、叱られていたと話すディラン。
マジか。
ん~……、エミリー。エミリーかぁ……。
彼女はあの店でNO.2の指名率を誇る接待力の持ち主だ。さすがのディランも、いや、今まで堅苦しい考えを押し付けられて生きてきたディランだからこそ、彼女の話術に見事に落ちたようだ。
「やはり、あれだけ美しくて優しい女性だから」
「いや、エミリーちゃんはソロだよ」
「本当か!?」
ぱっと顔を上げ、露骨に表情を緩めたディランは、すぐにハッしてリタに詰め寄る。
「何故お前は、彼女についてそんなに詳しいんだ」
「そりゃあ俺はディランがあの店に行く前に、何回もエミリーちゃんと話した事あるから」
まぁ、あの店を訪れる回数が増えるほど、いつの間にか話を聞いてもらう側から、聞く側に代わっていったのだけれど……。
この世界では、いい家柄の男性に嫁ぎ、子を産む事こそが女の幸せだ、と当然のように教えられて育つ。しかし、彼女は違う。
元々貴族の生まれであった彼女は、自分の意志でやりたいことを見つけ、そのために今自分自身で働いてお金を稼いでいる。幼さを感じさせるあの童顔で、守ってあげたい、守らなきゃ、と思わせる手管を巧みに使っているが、その実、彼女は本当に逞しい女性なのだ。
「そうか……そうだったな」
リタはふっと顔を上げ、ブツブツ言いながら落ち着かない様子のディランを見る。
……この世間知らずのディランが、あの世界にどっぷりと浸かってしまうのは、後々めんどくさそうだなぁ……。
「ディラン、君はまだあの世界で生きる女性たちの事を知らなさすぎる」
「な、に……」
急に真剣な表情をしてそう口にしたリタに、ディランは思わず顔をこわばらせる。
「あの男に聞け」
そう言ってリタが指さした先には、両手にいっぱいの水が入った樽を持ち、小屋裏へと歩いていくワイズマンの姿があった。
「あの男は、あの世界のプロだ」
「プロ……」
「あの男に聞けば、ディランの視野はもっと広がる」
ゴクリ、と生唾を飲み込むディラン。
「彼女たちの事情を何も知らないディランが、ただ一方的にその想いをぶつけた所で、彼女たちにとっては負担にしかならない」
「どういう事だ」
「それについても、彼が詳しく教えてくれるだろう」
腑に落ちないといった表情を見せていたが、リタの真剣な雰囲気に、軽く頭を動かして頷いたディランは、そっと馬小屋の方へと歩みだした。そんなディランの背中を見つめながら、リタはふぅ、と息を漏らしていた。
*
「お前、めんどくせぇ人間を俺に投げてんじゃねーよ」
「あはは」
あれから一週間。
本日の訓練を終えたリタは、ワイズマンに会うため馬小屋に来ていた。リタの顔を見て早々、顔をしかめたワイズマンはげんなりとした様子で言った。
「冗談じゃねぇよ。あの坊、ホントになんも知らねーんだもん」
「まぁまぁ、そう言わず教えてやってよ~~」
飲み屋で働いている彼女たちの事情を何も知らず、ただ己の恋心を育て始めていたディランを、リタはワイズマンに押し付けていたのだ。
……そう言っても、なんだかんだ面倒見てあげてたくせに。
あれから頻繁にこの馬小屋へと足を運んでいたディランに、初めはめんどくさがって軽くあしらっていたワイズマンであったが、彼の熱意が伝わったのか、次第に真面目にアドバイスをするようになっていた。それは、日ごとに活気に満ち溢れていくディランの姿と、対照的にげっそりと疲れた様子のワイズマンの姿を見かけるたびに、確信していた。
彼を薦めてよかった。
瞳を閉じ、うんうんと一人満足した顔をしているリタに「まぁいいから、来たんなら手伝え」と手に持っていた藁をドサッと目の前に落とされた。
うげ。
「……もうすぐ、なんだろ」
重い重いと大袈裟に文句を言いながら、ワイズマンの仕事を手伝っていたリタに、無言で黙々と作業をこなしていたワイズマンは、そっと口を開いた。彼の言葉に、スッと視線を向けたリタは、コクリと頷く。
「うん、わくわくするよ」
俺がこの世界で目を覚ましてから、この日をどんなに楽しみにしていたか。
俺のこの手で、推しの未来を真っ暗な絶望から、超ウルトラハッピーな眩しい世界に変える。
「変わってんな、お前は」
「? なにが?」
「普通は、自分がそいつと一緒になりたい、って思うもんじゃねーの」
それが、“別の女とくっつくいて乳繰り合ってる所が見たい”だなんてな、と言ったワイズマンは、リタを見て理解できないと表情で訴えている。
別に、乳繰り合ってる姿を見たいわけじゃないんだけど……。
「俺の団長への愛は、ただの愛じゃないからね」
「はぁ」
「団長は俺の最推しなんだよ」
手元のロープをくるくると回しながら話すリタの言葉を、ワイズマンは相変わらず怠そうな仕草で聞いている。
「俺は、推しが願う幸せな未来が実現できれば、それだけでいいんだよ」
──それが、一番なんだ。
「まぁ、願わくば? ちょっとくらい? その先の幸せな二人の姿を目の前で見たいなぁ、拝みたいなぁっていうのはあるんだけど」
「わっかんねーな、やっぱり。その“推し”ってやつは」
「ふふ」
頭をかきながら呟いたワイズマンに、リタは笑みをこぼした。
「それじゃ、よろしくお願いね」
「おー」
ワイズマンの手伝いを終え、パッパと膝を掃ったリタが振り向きながらあどけない笑顔で手を振った。それに、相変わらず気のない返事をしたワイズマンは、去っていくリタの背中を黙って見守っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
こちらの作品は、現在更新停止中です。
もう一作品の完結後に、続きの制作に取り掛かる予定です。
期間が開いてしまうかと思いますが、また思い出した頃にふと覗いていただければ幸いです!





