第8回:不確実性の排除、および財務戦略の策定
地下都市「ギルガ」から帰還した一行を待っていたのは、静寂に包まれたはずの廃ダンジョン……ではなく、徹夜作業の予感漂う「司令部」への改装だった。
赤髪の数学者、ロレッタ・バルザックは、ダンジョンコアの安置された最深部に足を踏み入れるなり、その鋭い審美眼で周囲をスキャンし始めた。
「……ひどいな。少佐、君の兵站思想は合理的だが、このリソース管理画面(UI)は美しくない。変数が多すぎて、処理の優先順位が最適化されていない。これでは閣下の魔力が無駄死にしているようなものだ」
ロレッタは、テオが生成した魔法モニターを勝手に操作し、空中に数式を乱舞させた。
「ロ、ロレッタさん……? 画面がどんどん書き換わっていくよ……!」
驚くテオを余所に、ロレッタの指先は止まらない。彼にとって、この世は解かれるのを待つ数式の集積に過ぎない。かつて、王立アカデミーを最年少で卒業し、国家予算の策定に携わった彼が、なぜ「反逆罪」に問われたのか。それは、彼が予測した「国家破綻の解」を、無能な上層部が認めず、不都合な真実を語る「口」を封じようとしたからだ。
「閣下、混乱する必要はありません。彼は今、このダンジョンの『無駄』を削ぎ落としています」
レティシアは、ロレッタの暴走とも取れる作業を、静かに肯定した。
「バルザック殿。貴公に任せるのは、フェーズ2『ダンジョン都市化』における経済圏の構築です。侵入者から奪うだけの略奪経済から、彼らが自主的に差し出す循環経済への移行。その損益分岐点をどこに設定しますか?」
「……ふん。まずは、このダンジョンの『入り口』だ」
ロレッタは、地上へと繋がる回廊の図面を拡大した。
「今はただの『不気味な廃墟』だ。これでは、命知らずの冒険者しか来ない。まずは地上に、安全が保障された『中立地帯』を作る。宿泊施設、武具のメンテナンス、そして――税関だ。入り口で金を奪うのではなく、サービスを提供して対価を得る。その利益を、さらなる罠の高度化と、住環境の整備に再投資する」
「つまり、地上に我が軍の『前線基地』を、商業施設の皮を被せて建設せよ、ということですね」
レティシアの碧眼が鋭く光る。それは彼女が専門とする、強固な拠点を起点とした兵站網の拡張そのものだった。
「待って、レティシア。街を作るなら、ボク、みんなが笑って過ごせる場所がいいな。美味しいものがあって、夜も暗くなくて……」
テオの素朴な願いに、ロレッタは皮肉げな笑みを浮かべた。
「閣下、善意はコストになります。ですが、『幸福感』は滞在時間を延ばし、結果として魔力の回収効率を最大化する。あなたの望みは、私の計算式においても正解だ。……ただし、それを実現するためには、邪魔な既存の利権構造を叩き潰す必要がありますがね」
その時、影から滲み出たセアラが、冷徹な報告をもたらした。
「……報告。地上、ダンジョンから数キロ離れた森に、近隣領主の私兵集団が野営を開始。規模は小隊クラス。……彼らの目的は、前回の斥候隊の未帰還による、武力調査と断定」
「……なるほど。新任のCFOに、最初の『不確実性』の除去をお願いしてもよろしいですか、バルザック殿」
レティシアは、魔導ライフルのボルトを音もなく引いた。
ロレッタは、空中を浮遊する数式をパチンと指で弾き、消し去った。
「ええ、少佐。軍事力という名の『強制執行』なしに、健全な市場は形成されません。……閣下、あなたの魔力を少し借りるよ。僕が計算した、最も『効率的な』殲滅の数式を、このダンジョンの罠に上書きする」
「……うん、分かった。ボク、ロレッタさんを信じるよ!」
テオがコアに手を触れると、ダンジョン全体の魔力回路が、ロレッタの脳内にある複雑な幾何学模様へと書き換えられていく。
「セアラ、貴公は影から『逃亡者』の進路を限定しなさい。少佐、あなたは正面から彼らの『士気』を挫く。……さあ、始めよう。無能な連中に、数学という名の絶望を叩きつけてやる」
赤髪の数学者が、不敵な笑みを浮かべてタクトを振る。 それは、単なる防衛戦ではない。 後に「世界で最も難攻不落で、最も豊かな都市」と呼ばれることになる、要塞都市・テオドールの、血塗られた「創業初日」の幕開けであった。
「閣下、これが組織の力です。よく見ていなさい。不条理な世界を、我々の合理性で塗り替えるのです」
レティシアの冷徹な声が、戦いの始まりを告げる。 銀髪の少佐、最弱の閣下、狂信の影、そして不遜な数学者。 四人の歯車が噛み合い、時代の理を粉砕する轟音が、地下から地上へと響き渡ろうとしていた。




