第1話:婚約破棄された悪役令嬢ですが、全部計画通りです
「リリアーナ・フォン・アルセリア。お前との婚約を、ここで破棄する」
その一言で、広間の空気が凍りついた。
ざわめきが、波のように広がっていく。
貴族たちの視線が、一斉にこちらへと向けられた。
私はゆっくりと顔を上げる。
そして――
小さく、息を吐いた。
(……ようやく、この時が来たのね)
胸の奥にあったのは、驚きでも悲しみでもない。
確信だった。
目の前に立つのは、この国の王太子。
かつては婚約者だった男。
その隣には、ひとりの少女が寄り添っている。
「エミリア……」
思わず、その名を口にする。
栗色の髪に、柔らかな雰囲気をまとった少女。
誰もが守りたくなるような、そんな存在。
――この世界の“主人公”。
そして。
私を破滅へ導くはずだった存在。
「彼女こそが、真の聖女だ」
王太子は、はっきりとそう言い切った。
「お前はこれまで、彼女を妬み、数々の嫌がらせを行ってきた」
その言葉に、周囲の視線が一層厳しくなる。
「証拠も揃っている。言い逃れはできない」
淡々と告げられる“罪”。
どれも、覚えのないものばかり。
けれど。
(ええ、知ってるわ)
すべて。
この展開も、この言葉も。
その結末さえも。
(ここまでは、“前と同じ”)
私は、静かに目を細めた。
ほんの少しだけ、視線をずらす。
そこにいるはずの人物。
――今は、まだ動かない。
(大丈夫)
すべては、予定通り。
「何か言い訳はあるか?」
王太子の声が、冷たく響く。
周囲の空気は、完全に“断罪”のそれだった。
私は一歩、前へ出る。
視線が、突き刺さる。
それでも。
ゆっくりと、口を開いた。
「……いいえ」
短く、否定する。
「言い訳は、ありません」
ざわめきが広がる。
予想外の反応だったのだろう。
「ほう……」
王太子が、わずかに眉を上げた。
「随分と素直だな」
「ええ」
私は、穏やかに微笑む。
「すべて、事実ですもの」
「なっ……!?」
周囲がざわつく。
エミリアの表情も、一瞬だけ揺れた。
だが。
(これでいい)
私は、内心で静かに頷く。
否定する必要はない。
抗う必要もない。
(だって――)
視線を、まっすぐ王太子へ向ける。
「婚約破棄、承りました」
その言葉に、空気が一瞬止まった。
「……あっさりしているな」
「ええ」
私は、もう一度微笑む。
「むしろ、感謝しております」
「何だと?」
王太子の声が、わずかに低くなる。
「この場を用意していただけたこと」
その言葉の意味を、誰も理解できない。
けれど。
(ここからが、始まり)
胸の奥で、静かに何かが動き出す。
(今回は、間違えない)
誰にも聞こえない声で、そう呟く。
そして。
ほんのわずかに、視線を動かした。
その先にいる人物が――
小さく、頷いた。
(……ええ、完璧)
すべての歯車が、噛み合った。
「では」
私は、優雅に一礼する。
「これで失礼いたしますわ」
誰も、引き止めなかった。
ただ。
理解できないものを見るような視線が、背中に突き刺さる。
そのまま、歩き出す。
一歩。
また一歩。
会場を抜けるその瞬間。
(ここから先は、“前と違う”)
口元が、わずかに緩む。
「――すべて、計画通り」
その言葉は。
誰にも気づかれることなく、静かに消えた。




