アルバ島のエルフ5
「何度来ても同じことだ。我々エルフが人間に協力することはない」
開口一番、カールスクーガ大公はそう言った。
一昨日と同じ、庭と地続きの緑溢れる応接間だ。威圧感のすごい大理石の椅子に大公が座っていることも同じ。オーウェン、イドリス、ヘイディ、ロータヤ、そしてわたしが、彼に膝をついているところも同じ。
だけど、わたしたちの手持ちの札は、一昨日よりも増えている。
わたしは顔を上げ、大公の水色の瞳を見据えた。
「大公、先日あなたはこうおっしゃいました。『君たちを助ける理由が、我々にはない』と。でしたら、これをご覧ください」
わたしはイドリスに目配せした。
イドリスが持っていた大きな包みを開くと、中から見事な絵画が現れた。
ペノイエ作『森の湖』だ。
大公はわずかに目を見開いた。
ロータヤが言っていた。大公は、喉から手が出るほどこの作品を欲しがっている、と。
けれど、彼は絵からすっと目をそらした。
「……ふん。君たち姉弟は確か、公爵家の貴族だったな。金に物を言わせたという訳か」
軽蔑したような物言いだ。
だけどそれも想定内。
「いいえ、大公。この絵画を購入したのはロータヤです」
今度こそ、大公は大きく目を瞠った。
「……なんだと? だが私の娘は、そんな大金など……」
「作ったのです。彼女自身が、そのお金を。エルフのアミュレットを売って」
「…………だが、それはもう売れないと言っていたではないか?」
わたしはにっこりと笑った。
「いいえ、大公。売れるのです。工夫さえすれば」
大公は、狐につままれたような顔でわたしを見ている。
おかしそうに眺めていたオーウェンが、その先を説明した。
「大公、今までの重厚なデザインのアミュレットは、もう時代遅れになってたんですよ。それに、アミュレットはとても高価で、人間も獣人も、ほとんどの者にとっては手が届かなかった。でもそこの部分を、リネットと、あんたの娘のロータヤが改善したんです」
「改善だと……?」
「ええ。この二人が新しくアミュレットの材料にした物は何だと思います? なんと、森にごろごろ転がっているただのまつぼっくりですよ! それを安価に、大量に売って、金を稼いだんです」
「…………まつぼっくり、だと……?」
大公が絶句した。
あまりにありふれていて、そんなものがお金になるなどとは考えたこともなかったんだろう。
だけど、たとえば王都のような都会で暮らす人間には、案外そういうものが新鮮に映ったりするんだよね。
男性陣が森で拾い集めてきたまつぼっくりを、食堂でわたしとロータヤとヘイディが加工した。
と言っても、小さな木片を台にしてくっつけただけ。
それでもロータヤの魔法を帯びて仄かに発光するまつぼっくりはとても神秘的でかわいくて、ぜひとも買って部屋に置きたいと思えるようなものだった。
イドリスが胸を張って言った。
「まつぼっくりのアミュレットは、姉の《転移術》で王都まで運ぶと、市場で飛ぶように売れました。ただでさえ不安定なご時世です。[忌避]の魔法の込められた安価なアミュレットは、庶民の心に響いたんでしょう。近くの雑貨店からは、定番商品として取り扱いたいとの申し出までありました」
市場で実際に売りさばいたのは、従者の二人だったけどね!
彼らは商売に意外な才能を発揮してくれたのだ。
アミュレットを安く売る、というアイデアを思いついたのも彼らのおかげだったし、メレディス家に帰ったら臨時ボーナスをあげてほしい。イドリスから。……わたしはもう旅費や船代やらで、すっからかんだから。
「《不死森》でも結構売れたよ! 獣人は光るものが好きだから、すぐに完売しちゃった。あたしの友達からも、また販売してね、って、予約注文が何件も入ってるよ」
ヘイディが、えっへん、と胸を張る。
一日に何回も《転移術》で国内を回るのはかなり疲れたけど、間違いなくその甲斐はあった。
頑張ったおかげで売り上げ目標額をクリアし、そのお金を持って、ペノイエさんのパトロンでもあるメレディス家の旧知の侯爵に頼み込んで『森の湖』を売ってもらったときは、わたしたちみんなが抱き合って喜んだ。あのときの達成感は忘れられない。前世で高校には通えなかったけど、高校の文化祭の打ち上げとかもこんな感じなのかな。あのときばかりは、オーウェンを嫌っているロータヤも、一緒に喜びを分かち合っていたっけ。我に返ったら、慌てて離れていたけど。
大公は眉間にいくつも皺を刻み、厳しい顔で娘のロータヤを見た。
ロータヤは怯えたように一瞬、肩を震わせた。
だけど、静かに顔を上げて、父親と向き合い、言った。
「……お父さま、わたし、これからもあのアミュレットをたくさん作って売るわ。それでお金になるし、何より、誰かに喜んでもらえると嬉しいもの」
カールスクーガ大公の冷たい水色の目に、紛れもない驚きが浮かんだ。
彼は目を細めると、一言、娘に言った。
「…………そうか」
大公はわたしに視線を移し、半ば呆れたように言った。
「君は困った人間だな。聖教会に逆らったり、従順だった私の娘に妙なことを吹き込んだり……」
「……す、すみません……」
「いや……案外、君のような人間が、新しい時代を呼ぶのかもしれない」
大公は、ほんのわずかに、ほほえんだ。
「……いいだろう。我々エルフは、君に協力することを約束する。エルベレスが邪神として復活した際には、我々の力で邪神を[浄化]してみせよう」
「あ……ありがとうございます!!」
わっ、と背後から歓声が上がった。
「やったな、リネット!」
「やれやれ、まさか本当に協力を取り付けるとはな……」
「すごいすごい、これでルーも助けられるね!」
もう膝をつくのも忘れて、みんなで喜び合っている。
「みんな、ありがとう!」
わたしもその輪に加わり、オーウェン、イドリス、そしてヘイディにお礼を言った。
そこへ、しずしずとロータヤが加わった。
背筋をぴんと伸ばしてオーウェンの前まで来て、無表情に彼を見上げる。
オーウェンは警戒した。
「な……なんだよ?」
ロータヤは表情を削ぎ落した美しい横顔を―――ぽっと赤く染めた。
「わ、わ、わたし……まだ、おお、お礼を言ってなくて…………あああ、あの、うう海で助けてもらったときの…………」
「…………ああ……そんなことか」
「ああっ、あのとき、は…………本当に…………ああああり、がとう……………」
「わかったわかった」
オーウェンは笑って、ぽんぽんとロータヤの頭を叩いた。
うわ、大公の目の前で、なんてことを……!
わたしが青ざめていると、ロータヤは直立したまま動かなくなった。
「だ、大丈夫?」
「……………………」
顔を真っ赤にしたまま、ロータヤはぼうっと宙を見つめている。
……なるほど、そういうことだったのか。
わたしはようやく理解した。
確かに、荒れる海で彼女を助けたオーウェンは格好良かった。
その後のロータヤの態度は、怒っているんじゃなくて、恋心の裏返しだったんだ! ……わ、わかりにくい。でもかわいい。
そんなわたしたちを頬杖をついて眺めながら、大公が言った。
「ところで、君たちはあの半人を……ルーを助けたいと言っていなかったか?」
「! はい、もちろんです!!」
「それでは、急いだほうがいいのでは? この島の時の流れは、本島のそれとは違う」
「…………え……?」
ロータヤがはっとした顔でわたしに言う。
「リネット、この島では地中から魔力が湧き出ていて、時間の流れを歪めているの。本島では、ここよりもずっと多くの時間が経っているのよ!」
その言葉は、鉛の塊のように、ずしんと体の底に沈んだ。
《感応術》で話しているとき、ルーの態度がおかしかったのはそのせいだ。
毎日連絡すると言ったわたしが、そうしなかったから。
わたしが、そろそろ寝るね、と言ったときも、寝るには妙な時間だったんだろう。
じゃあ、向こうでは一体、何日が経っているの?
足ががくがくと震え出す。
呼吸ができない。
何も考えられない。
もしも、もう手遅れだったら―――。
わたしは腰の宝剣を抜きざま、それを振るって楕円を描いた。
「……馬鹿、待てっ!!」
オーウェンが叫ぶ。
だけどそのときにはもう、わたしはオーロラの光の中に飛びこんでいた。




