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迷宮案内人カミナギ の 甘受

 手鏡を持って呆然としていると、グレーテルにかなり強引に引っ張られた。


「うわっ、何を……!」

「さぁさ、折角命が助かったんだからそんな顔しないで元気出しなって!」


 彼女は太陽のようににかっと笑う。

 確かに、鏡の中の少女は今にも泣きだしそうだった。


 原因不明の異変による恐怖は勿論のこと、在りし日の幻影を目にしたことが影響しているのだろうか。


「あんた、三日も寝てたんだよ? お腹ぺこぺこじゃ力も出ないさ」

「む……」


 指摘された途端、強い空腹感を意識する。

 きゅっと腹の中が締め付けられるような、どうにも落ち着かない感覚。

 その上、開け放たれた扉からは、肉の焼き焦げる、食欲を擽る香りが立ち込めていた。


 刺激を受け、私の腹の虫がきゅるると小さな声を立てる。


 一拍の、間。


「ほぅら、身体は正直だね。いいからこっちにきな」


 羞恥に真っ赤になる私に対し、グレーテルは朗らかな笑い声をあげた。

 そして、あたかも初見の客に対する応対のように、一階にある酒場も兼ねた食堂へと案内するのだった。





 窓を見れば夕日が沈み始めた時分なのだが、食堂は喧噪に包まれつつあった。

 迷宮に隣接するこの街では当然冒険者が多い。

 金遣いの荒い彼らは上客といえ、仕事帰りに飲めや歌えやの大騒ぎをするのは日常茶飯事である。


 しかし、私としてはどうにも落ち着かない。

 基本的に決まったパーティを組まない私の場合、中々こういった場に参加することはないからだ。


 酒は嗜むが、一人で静かに呑むに限る。

 宿屋暮らしだった駆け出し時代ならまだしも、数年前に貯蓄をはたいて自宅を購入してからは一切近寄らないようにしていた。


 グレーテルたちと疎遠になったのもそれが原因。


「我らの帰還を祝して~!」

「「かんぱーい!」」


 ……出来る限り隅の席に着いたのだが、それでもやかましい。

 気休めとして、部屋を出る際に羽織ったローブを目深に被る。


 勿論、私のようなものが異端であることは理解している。

 口にしてしまえば、なら酒場に来るなと返されることも。

 だが、今回ばかりは、居心地の悪さを感じるぐらい自由なはずだった。


 騒ぎ立てる冒険者に辟易しながらも、机の上で頬杖をついて考え込む。


 ――何らかの要因により、私は若返り、女になってしまった。


 これは確定とみていいだろう。

 俄かに信じがたい事象ではあるが、そう考えなければ納得がいかない。


 今の私の体躯は、男だった先ほどまで――とはいえ三日も経ってしまっているらしい――と比べ随分と頼りない。

 ほっそりとした指をローブの下にある身体の隅々に這わせるものの、返ってくるのはごつごつとした感触ではなく、未だ幼さを残す柔らかなそれだ。


 五感のうち、視覚に触覚までが指し示しているのだから、現実と受け入れるほかない。


 次に考える必要があるのは、どうしてこのような姿になってしまったのか。


 ……どう考えてもあの甘いガスの影響だろう。

 暗がりであり、色などを確認できなかったのが悔やまれる。


 一応、私は魔術と薬学、その両方に造詣が深いつもりである。

 だというのに、私の身体に起きている事象――性転換に加え、若返り――なんて見たことも聞いたこともない。

 今は少しでも手がかりが欲しかった。


 ――元に戻れるのか?


 じわじわとした不安が私の内側から浸食していて、臓腑を鷲掴みされたような錯覚に陥る。


 すー、はー。


 私は上着の胸元を握りしめ、慌てて大きく深呼吸。


 幸い、落ち着きを取り戻すのにそう時間はかからなかった。

 やはり、妹を想起させる姿というのが大きいのかもしれない。


 ――机の上にことりと木のお椀が置かれ、思考が妨げられた。


「ほら、いきなりがっつり食べると体によくないからね」

「……感謝する」


 現実に引き戻され顔を上げれば、グレーテルだった。

 みっともないところを見られてしまったかと考え、かっと頬が熱くなる。

 それに気づかれないようすぐさま視線を下ろすと、お椀には黄色いスープがなみなみと注がれていた。


 香りから察するに、コルンと呼ばれる穀物を潰してこしたもののようだ。

 この街の迷宮以外での数少ない特産物であり、かなり甘ったるく、濃厚な舌触りが特徴。


 ……正直、あまり好みではない。

 この街に初めて来たときにも振舞われ、味に反して苦々しい顔をしてしまったのは鮮烈に記憶されている。


 だが、好意で用意してもらったものに手を付けないわけにはいかない。

 それに、腹を満たさなければ考えも纏まるまい。


 そう決意すると私は少しだけすくって口に運ぶ。


 ――予想通り、酷く甘い。


 だというのに――


「美味しい……」


 思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

 続けてもう一口。


 舌触りは少し不快なものの、食事を止めようと思うほどではない。

 空腹も手伝い、私は一心不乱にスープを飲み続ける。


「お、そうかい。気に入ってもらえたようで嬉しいねえ。じゃ、忙しい時間帯だから仕事に戻るけど、あんたはゆっくりしていきな」


 そんな私を見て満足そうにすると、彼女は立ち去った。





 すっかり空になった器を前に、私は今度こそ思索にふけることにする。


 この味覚の変化。

 ……まさか、感覚まで幼いころに退行したということだろうか。

 いや、女性になってしまったことも関係しているのか。

 そういえば、妹と彼女(・・)は嬉しそうに啜っていた記憶があるし。


 若返りと性転換。

 改めて考えてみても、この合わせ技は酷く厄介だ。

 先に述べたとおり、どちらか一方でさえ解決の手立ては見つからないというのに――。


 ――いや、発想を逆転させてみよう。

 そもそも若返りを解決する必要があるのか?


 若返ったからといって然したる不都合があるわけでもないだろう。

 気が動転していたこともあり、その点を見落としていた。


 寿命が二十年延びたと考えれば有難いことでもある。

 驚くべきことに、早くも問題が一つ片付いた。

 もしかしたら、女性となってしまったことに関してもあっさりと解決法が見つかるかもしれない。


 鷹揚に頷けば自然と余裕が溢れてくる。

 そして前向きな考えも。


 ――迷宮で失ったものは、迷宮でしか取り戻せない。


 今は亡き恩師の教えの一つだ。

 私の変化は迷宮で生じたもの。ならば、迷宮に糸口があるというのは道理だった。

 幸いというか、時間はたっぷりと増えた。


 満腹感も手伝って、楽観的な思考が加速していく。


 私は目を細めると、腹を押さえ、ゆったりと一息つくことにした。

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