迷宮案内人カミナギ の 受難
「……ちっ、行き止まりか」
私を先行する冒険者が、吐き捨てるように呟いた。
冒険者は四人いて、全員が薄汚れた外套を被っている。
どちらかといえば、冒険者より荒くれ者――それも、山賊といった方が適切な風貌である。
彼らの目の前には小さな湖が広がっていた。
その先にも陸地が続いているのだが、決して人間が飛び越えられるような距離ではない。
「泳いでわたっちまいましょうや」
「馬鹿野郎、水面を見ろ。魔物がうじゃうじゃいるだろうが」
馬鹿なことを進言する部下を、このパーティのリーダー――ズルゴが小突いた。
水は澄みきっていて、何とも涼しげだ。だが、それ故に水中の脅威が目の当たりになっている。
鋭利な鋏をもたげ、虎視眈々と獲物を待ち構える巨大蟹。
人間の程度、容易く呑み込んでしまいそうな大口を開けた化け鮫。
――水中で人間が敵う相手ではない。
歴戦の勇士であろうと、地の利の前では苦戦を強いられるのだ。
引き返す彼らに構わず、私は風景を目に焼き付けようとして――
「カミナギ! とろとろしてんじゃねえよ、早く来い!」
叱責が飛んだ。
私は、それを無視して、視線を手元にある方眼紙へと向ける。
まだ殆ど白紙だった。
ズルゴたちが何かと急かすのが原因。
「……まだ、地図が書けていない」
「はぁ? んなもん、どうだっていいだろうが。どうせ、数日すりゃ無駄になっちまうんだろ? これだから案内人ってやつはなあ。俺たちがいなきゃ、迷宮に潜れもしねえくせに」
ズルゴの無礼な物言いにかちんときて、私はつい顔を顰める。
だが、ここで揉めてもろくなことは起きないと考え、肩の力を抜いて彼へと向き直った。
「だとしても、適切なルートを選択するべきだ。余計な戦闘は避けたいだろう? ついさっきも、同じ道を無駄に行き来したところだ」
諭すように一言。
しかし、ズルゴは鼻で笑って一蹴してしまう。
「わかってねえなあ。このあたりの魔物は雑魚ばっかりだ。殺しちまえばいいんだよ。素材も金になって一石二鳥じゃねえか」
そして、鞘から長剣を抜くと、きらりと刀身を日に透かし見せびらかすようにする。
「まだ二層なんだろ? 先行してる連中に追いつかなきゃ儲からねえ。とっとと上へ登るんだよ」
「お頭、隣の部屋に宝箱があるみたいですぜ!」
「そりゃいいや。よし、いくぞ!」
ズルゴの顔が歓喜に歪む。
そのまま部下を引き連れて行ってしまった。
……どうやら私の意見を聞き入れるつもりはないらしい。
彼らが遠く離れたのをいいことに、私は大きくため息をつく。
――今、私がいるのは『カテドラル』と呼ばれる迷宮だ。
かつて、神が作り上げたという伝説が残っていて、最上層は未だ前人未到なのだという。
頭上を見上げれば光球が存在し、まるで太陽のように辺りを照らしていた。
澄み切った湖に青々とした芝生。
魔物さえ無視すれば何とも風光明媚な光景で、ここが屋内だということをついつい忘れそうになる。
『カテドラル』内部の時空は歪んでいて、階段を登れば別世界の様相を呈していることも珍しくない。
これが伝説の所以である。
水面に目をやれば、三十路過ぎのくたびれた男が一人映っていた。
勿論、私だ。
ぱさぱさとした黒い長髪に合わせたかのように黒いローブ。
背は高いのだが、線は細く頼りない。
風が吹けば飛んでしまいそう。
切れ長の瞳はどうにも神経質そうな印象を与えていた。
もう少しがたいが良ければズルゴたちも進言を受け入れるのだろうか?
――なんて考えてみても無駄な相談か。
私は冒険者とは違う。
迷宮案内人。
戦闘を避けられるようダンジョン内の敵を感知したり、迷わぬよう地図を作製したり。
いわば転ばぬ先の杖といったところ。
戦いは本分ではないのだ。
「最近の冒険者は……」
ついつい愚痴を漏らしてしまう。
――元来、迷宮探索というものは、冒険者と案内人が両輪となって行うものである。
私は危険から彼らを遠ざけ、彼らは避けられなかった危険から私を守る。
互いに役割を分担し、補い合う。
そういうものなのだ。
だが、時折ズルゴのように案内人を軽視しがちな冒険者もいる。
私のことなど荷物持ち兼便利屋にしか思っていないのだろう。
その上私は決まったパーティに所属していない。
短期的な契約を結び、数回迷宮に潜れば解散してしまう。
名の知れた案内人だと自負しているが、どうしても立場が弱いのは否めない。
「おい、カミナギ! 置いてかれてえのか!」
「今いく! 少し待て!」
いい加減、彼も我慢の限界らしい。
私は作図を諦め、渋々と彼らの元へと向かうことにした。
◆
結局、宝箱にまともに近寄れたのは、迷宮内を散々歩き回った後だった。
このフロア、視界がある程度開けていることもあり、一見宝箱はそう遠くないように感じる。
しかし、巧妙に行く手を遮るように川が配置されていて、湖同様に魔物が住みついている。
渡れるはずもなく、つい先ほども引き返してきたところだ。
恐らく、正確に地図を書き全体像を把握すれば早々に辿り着けていた。
だが、欲にかられたズルゴたちが許容するはずもない。
「へへっ。お宝め、待ってろよ!」
彼らは舌なめずり。
私はといえば、もうへとへとである。
一体何往復したというのか。出来ることならこんな無駄なことは二度としたくない。
軽装でなければ疾うに力尽きていただろう。
とりあえず迷宮を抜け出したら早々に解約を申し出よう――そう呑気に考えた瞬間のことだった。
「――!」
ぞぞぞと全身に悪寒が走り、本能が警鐘を鳴り響かせる。
第六感などではない。
常時張り巡らせている探知魔法に魔物が引っかかったのだ。
感知魔法には三段階あり、脅威度に応じて私に伝わる反応が違う。
つまり、今迫ってきているのは――。
「ま、魔物だ!」
叫んだのは私ではなかった。
多分、冒険者の一人。
――もう、遅かったのだ。
私たちの引き返した道の方から飛び出したのは、まさしく黒い突風だった。
「ぎぇっ!」
悲鳴と共に、殿を務めていた男の首が撥ねられる。
血飛沫が舞い、ころころと子供の球遊びのように頭が転がっていく。
「は?」
ズルゴの口から間抜けな声が漏れた。
理解できないとでもいいたげな、虚ろな表情。
突如現れた魔物は、黒馬の首のあたりから人間の上半身が生えていた。
「――ケンタウロスだ、逃げろ!」
正体を看過し、私は叫ぶ。
人馬兵――ケンタウロス。
本来なら、もっと上層にいるはずの魔物である。
少なくともズルゴたちが敵う相手ではない。
そう考えて、私はすぐさま駆け出す。
しかし、頭上には黒い影。
思わず仰ぎ見ればケンタウロスがそこにいた。
彼――といっていいのかわからないが――は、私を悠々と飛び越していた。
そして、成人男性の身の丈ほどもあるハルバードを軽々と振るい、殿より遠く離れた位置にいたもう一人の冒険者を屠る。
あっけにとられ立ち止まる私を尻目に、ケンタウロスは加速をつけて再度跳躍。
向こう岸の川辺へと着地し、体勢を整える。
――ようやく私は理解した。
強靭な跳躍力を駆使すれば、このフロアにケンタウロスを阻むものなど殆どありはしない。
縦横無尽な機動の前では狩場のようなものだ。
水際に移動を制限されるこちらとは違う。
恐らく、虎視眈々とこちらの隙をうかがっていたのだろう。
「こんなモンスターがいるなんて聞いてねえぞ!」
我を取り戻したズルゴが吠える。
感知範囲外からの奇襲に、気が付けばパーティは半壊に追いやられていた。
――もう一度強襲を受ければ、今度こそ壊滅する。
せめて、身を隠せる小部屋に逃げなければ。
「本来ならもっとランクが上の魔物だ! このままじゃ、全滅するぞ!」
私は警告し、悔しさに唇を噛みながらも再び走り出した。
それに連なるようにズルゴと残り一人の冒険者も後を追う。
だが、私の体力で逃げ切れるはずがない。
いや、鍛えているはずのズルゴたちも同様だ。
むしろ、重装備な分、私よりも遅いかもしれない。
息切れする私たちに反し、無情にも蹄の音が大きくなっていく。
腹立たしいほど軽快なリズムだった。
続けて断末魔。
ズルゴの最後の部下が血反吐を撒いて崩れ落ちる。
「くそっ!」
ズルゴが悪態をついた瞬間、私は横から強い衝撃を受け身を崩す。
――突き飛ばされた。
そう理解するのにはしばしの時間を要した。
「てめえが囮になりやがれ!」
床に這いつくばり呆然とする私に怒鳴りつけるズルゴ。
彼はそのまま走り去ろうとし――風切りの音がして、大地へと縫い付けられる。
……ズルゴの背中から生えていたのはハルバードだった。
ケンタウロスが恐るべき膂力で投擲したのだ。
背中を守る鎧など何の意味もなさない。
人馬兵は悠々とズルゴの死体に歩みよると、得物を回収する。
一方、私はといえば立ち上がることすら出来なかった。
押し迫る死の気配に気圧されたのもあるが、突き飛ばされたときに足を捻ってしまったようだった。
――どうすれば生き延びられる?
考えろ、考えろ、考えろ――。
呪文のように頭の中で唱えながら、尻餅をついたまま後ずさる。
だが、そんな私を嘲るかのように、一歩ずつにじり寄るケンタウロスと目があった。
にたり。
魔物の瞳に一つの感情が宿る。
それは、弱者に対する、あまりにも侮蔑的な笑いだった。
逃げられるはずがない。
そうは理解していても、なんとか距離を取ろうと懸命に手足をじたばたさせる。
だが、そんな最中、指先にこつんと何やら固い感触があった。
小さな突起である。
どうやら、生い茂る草木に覆われていて気づかなかったらしい。
――この状況で視界を逸らすことがどれほど危険か理解していても、私の意識はそちらに向いた。
もしかしたら、戦場の狂乱からの一種の逃避行動だったのかもしれない。
縋るように、私は突起へと手をやり――。
次の瞬間、私は浮遊感に包まれ暗闇へと落下していた。
◆
「つぅ……」
石畳に盛大に身体を打ち付けられ、私は痛みに悶え苦しむ。
酷く鈍い音がした。
骨が折れていてもおかしくはない。
案の定足に鈍い痛みが走る。
このままでは立ち上がることすら困難だろう。
目尻に浮かぶ涙を拭い、状況を確認する。
暗がりの中で正確にはわからないが、足以外に怪我はなさそうだ。
荷物も……無事らしい。
――意識を喪失しなかったのは幸運だった。
痛みが気付け代わりになったのかもしれない。
おかげで目覚めた瞬間、パニックに陥らないで済む。
……きっと、偶然触れた突起は落とし穴のスイッチだったのだ。
そして何階か下まで突き落された。
行き道にこのような小部屋を見かけた記憶はないので、恐らくは隠しエリアの一つ。
普段なら死を招くはずのトラップが、私の命を救った。
骨折のせいで治療費は嵩むだろうが、死ぬよりはましだ。
私は感触だけでポケットを弄り、一枚の札を取り出す。
これは撤退の呪符といい、使い捨てではあるが念じることで迷宮の外へと連れ出してくれる魔道具である。
一分ほどの集中が必要となり、戦闘中で使えない欠点を除けば迷宮探索の必需品。
ここも迷宮である以上何が起こるかはわからない。
長居は無用と早速念じようとして――
――ぶしゅっ!
そんな音がして、煙が私を襲った。
不意を突かれ大きく吸い込んでしまい、咽る。
「げほっげほっ……!」
流石に呪符を握る手は緩めない。
だが、甘い香りが肺に立ち込めかっと熱くなる。
次の瞬間、手足を捥ぎ取られる様な痛みが襲う。
まずい。
これは毒か何か。
それも即効性である。
暗闇だというのに視界が回転しているように感じられて、私は焦燥に駆られた。
痛みがどうとか言っている場合ではない。
迅速に呪符を起動せねば間違いなく死に至る。
私は薄れゆく意識の中、必死に集中し――。