1球 失った時間
ここは、岩槻城址公園。
俺と竜司と蒼司。
三人で一緒に遊んだ、あの公園だ。
あれから、もう二十年になる。
高校三年だった俺は、ここで竜司と激しい言い争いをした。
あのとき――
俺がもっと素直になって、
「行かないでくれ」
「寂しいんだ」
そう、自分の正直な気持ちを竜司にぶつけていたら。
俺たちの未来は、変わっていたのだろうか。
そんなことを、今さら考えても仕方がない。
その後、竜司と別れたあと、俺を支えてくれたのは蒼司だった。
辛いとき、何も言わずにそばにいてくれた。
俺を優しく包み込んでくれた。
だから――
俺は蒼司が好きだ。
この気持ちは、嘘じゃない。
蒼司と過ごしてきた時間も。
蒼司からもらった優しさも。
俺にとって、かけがえのないものだ。
なのに。
竜司の言葉が、俺の心を掻き乱す。
あの日の言葉。
そして、あのキス。
どうして今になって。
どうして、俺は――
*
「おい、カイト」
「……」
「カイト?」
誰かの声が聞こえる。
遠くから聞こえてくるような、不思議な声。
「大丈夫か?」
「……え?」
目を開ける。
そこにいたのは――
竜司だった。
「……竜司?」
「よかった……」
竜司が、ほっとしたように息を吐く。
「お前、いきなり倒れるから」
「……あっ」
そこで、俺は思い出した。
突然の竜司からの告白。
好きだ。
そう言われた。
そして――
俺は竜司にキスされた。
その瞬間、頭の中が真っ白になって。
意識が遠のいた。
「悪い」
竜司が俯く。
「俺のせいだよな」
「……いや」
俺はゆっくりと身体を起こした。
まだ少し頭がぼんやりする。
「竜司のせいじゃない」
そう答えるのが、精一杯だった。
竜司は何も言わない。
ただ、俺を見つめている。
その目を見ていると、また胸の奥がざわついた。
何か言わなければ。
そう思うのに、言葉が出てこない。
俺は、竜司から目を逸らした。
蒼司の顔が浮かぶ。
俺の大切な人。
なのに――
さっきのキスの感触が、まだ唇に残っている気がした。
しばらく、俺たちは何も言わなかった。
竜司は申し訳なさそうな顔で、俺に語りかける。
「カイト、歩けるか?」
「ああ。大丈夫」
俺は立ち上がった。
まだ少し、頭がぼんやりしている。
竜司も立ち上がる。
そして、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「カイト……」
「ん?」
「俺、お前と失った時間……取り戻したいんだ」
真っ直ぐ向けられた目。
その言葉に、俺は何も返せなかった。
蒼司の顔が浮かぶ。
俺はいま、蒼司と付き合っている。
蒼司は俺にとって、大切な人だ。
「……竜司」
「分かってる」
竜司は俺の言葉を遮るように言った。
「お前が蒼司と付き合ってることも、分かってる」
「……」
「俺にとって、蒼司は大切な弟だ」
竜司は少しだけ視線を落とした。
「だから……お前も、蒼司も、大切にしたいんだ」
「竜司……何言ってんだよ」
俺には、竜司の言っていることが理解できなかった。
いや。
理解したくなかったのかもしれない。
「俺はもう、昔みたいに自分の気持ちだけを押しつけたくない」
竜司は静かに続けた。
「だから、返事はいらない」
「……え?」
竜司が微笑む。
「ただ、俺の気持ちは知っておいてほしい」
俺は何も言えなかった。
返事はいらない。
そう言われたはずなのに。
その言葉が、俺の胸に重く残った。
俺は竜司を見る。
そして、また蒼司の顔を思い浮かべた。
俺と竜司は、公園を後にした。
そのまま、俺は自分の実家まで帰ることにした。
俺の実家は、竜司の実家から歩いて三分ほどの距離にある。
竜司は、俺を家まで送ってくれた。
昔と同じ道を、二人で歩く。
しばらく歩いたところで、竜司が口を開いた。
「この道、一緒に歩くの久しぶりだな」
「……そうだな」
俺は前を向いたまま答えた。
「また、こんなふうに歩けるなんてな」
竜司が少し笑う。
「思ってなかった」
「俺も」
できるだけ、いつも通りに話す。
昔のことなんて何もなかったみたいに。
でも――
不思議と、居心地は悪くなかった。
むしろ、妙に落ち着いていた。
それが、俺には怖かった。
やがて、俺の実家が見えてきた。
「じゃあ、今日は悪かったな」
俺が言うと、竜司は首を横に振った。
「もういいって。謝んなよ」
「……怒ってないか?」
「怒ってない」
俺がそう答えると、竜司の表情がふっと緩んだ。
安堵したような顔だった。
「……そっか」
少しの沈黙。
俺は、竜司を見た。
「なぁ、竜司」
「ん?」
「俺、しばらくは野球に専念したいんだ」
竜司は黙って俺を見る。
「監督として、一番大事なスタートだから」
「うん。そうだな」
「だから……」
俺は少しだけ言葉に迷った。
すると竜司が先に口にする。
「なあカイト。できたら、これからも普通に接してほしい」
俺は少し間を置いてから。
「……わかったよ。監督として、分からないこと教えてほしい」
「え?」
「だって、竜司のほうが先輩だろ。監督として」
俺も思わず笑った。
「もちろん」
竜司が頷く。
「何でも聞いてくれ」
俺は玄関の取手を掴む。
「……じゃあ、またな」
「ああ。また連絡する」
竜司は優しい顔で手をあげた。
そして――
実家の玄関を開けた。
「ただいま」
俺はその場にしゃがみ込んだ。
「……っ」
胸の奥が、急に苦しくなった。
そのとき――
「……あら、海斗?」
母が奥から出てきた。
俺の姿を見て、驚いた顔をする。
「どうしたの?」
俺は顔を上げられなかった。
しばらく黙ってから、小さな声で言った。
「……今日、泊まっていい?」
母が首を傾げる。
「何言ってるの。あんたの家でしょ?」
「……うん」
俺は涙をグッと堪えた。
そして、何もなかったような顔を作って立ち上がった。
リビングに入る。
母が俺に尋ねてきた。
「今日、どうしたの?」
「……竜司の家に行ってた」
「あら、竜司くん。懐かしいわね」
母は嬉しそうに笑った。
「家も立派になったわよね」
「……うん」
「それにしても、今でも仲良しなのね」
「……」
母は何も知らずに続ける。
「こんなに長く続く友達関係って、そうそうないんだからね」
「……」
「大事にするのよ」
「……分かってるよ」
俺はそう答えた。
でも――
今の俺には、母のその言葉が逆につらかった。
「友達」
その言葉は、胸の奥に引っかかった。
竜司と俺は、ただの友達なんかじゃない。
今日、竜司は俺に言った。
失った時間を取り戻したい。
好きだ、と。
そして俺は――
その気持ちを、拒むことができなかった。
俺は俯いた。
母には、何も言えなかった。
言えるはずもなかった。
ただ、胸の奥に込み上げてくるものを必死に堪えながら、俺は自分の部屋へ歩いていった。




