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泥の女王(1)

 月海の村から逃げて、姉さんを置き去りにし、未開森林で生き延びて約一年。

 僕とアージェが聖防国に保護されてから、もう二年の月日が経った。


「リーア、アージェル。キミたちは奇怪機の隊長兵を頼む」


 セイヴが王族にふさわしい、精緻な両刃の騎士剣を掲げる。

 日差しで輝く銀色の短髪。行き届いた手入れは出会ったころから変わりがない。


「分かってる。行くぞアージェ。グリンもご主人さまを落とすなよ」

「うんっ」「キュルア」


 外敵に向かって駆ける。僕の右後方を、厚くなった背に大人一人は乗せられるようになったグリンが追従してくる。

 猛禽類の顔つきは猛々しい。緑色の羽毛に包まれた全身も頑強になった。まだウッドグリフォンらしい大翼は生えてこないが、砂漠獅子ほどの速さで走る。


「グリン、もっと早くてもいいよ」「キュルァ」

 グリンの背で、新調したばかりの青い巫女服と緑色の外套が風で舞う。姉さんほどの年齢になったアージェの背で、森馬の尻尾のような一本髪が揺れている。


「ヴァイ、残り二体はオレたちで抑えるか」

「はい。セイヴルティスさまも無茶しないでください」


 第二王子の近衛聖防騎士。ヴァイライナが長髪をなびかせ、長剣を持ち上げる。

 清廉な銀の柄が特徴の騎士剣において、彼女のような金の柄は特別の証明だ。


「相変わらず、生きてるのかも分かんない顔しやがって」


 僕の正面には、故も残らぬ古き文明が残した、錆びだらけの鉄人形――奇怪機兵が三体。頭は鉄。首から下もすべて謎の金属。のっぺりした顔には口らしき加工線が引かれているが、目も鼻もない。汚泥魔兵は不浄な黒い泥で汚れているが、奇怪機兵も赤茶けた金属錆が汚らしい。


 決して生物に見えないそれは、生き物のように人や動物を、さらには汚泥魔までをも襲う。彼ら奇怪機は汚泥魔と同じく、この地の人類を害する古き外敵だ。


「アージェ、奇怪機に灯火は効かない。援護は打突でしろよ」

「うん。リアも気をつけてね。隊長兵は手ごわいって武装探検者の人たちが」

 接敵前に装備を見下ろす。整備直後の胸当てと革鎧。具合はいい。

 緑の外套については、若干すれてきたか。


「聞き飽きたよ。いいから僕に任せとけ、月海の巫女ッ」

「もーっ。月海の巫女は、星護りのご主人さまなんですからねーっ」

 のんきなアージェの説教には耳を貸さない。

 すっかり手になじんだ、星鉄の鋭刃を右手で強く握る。


 接敵まであと七歩、六歩。残り五歩のところで、左手に隠し持った硬石を敵の顔面めがけて投げつける。

 よし、狙い通り。奇怪機兵は一瞬だけ、捕捉対象を僕から石つぶてのほうに切り替えた。自らの鉄の体にかすり傷をつける程度のそれを、律儀にも全身で追う。未開森林で生き抜くために身に着けた知恵は、今では染みついた糧になった。


 瞬きの優位を生かして詰め寄る。あと三歩、二歩。安全に先手を取った。鉄の肉体のうち、とくに柔らかいことが判明している首筋を、鋭刃で横切りに断つ。


「リアっ。まだ奇怪機兵が動いてるっ」

 鉄人形は首を落としても止まらなかった。形状だけは鋭刃に似た、片刃の錆剣を返してくる。防御はしない。僕は無防備で追撃に備える。

 敵の凶刃は――ほら。横合いから飛んできた青金の柄が止めてくれた。


 杖の先端できらめく水宝玉の丸みとは正反対の、槍のように鋭く尖った石突き。不敬にも加工してしまった月海の願杖が、グリンに騎乗したアージェにより突き出された。約二年の棒術鍛錬が最近になって結実してきている。

 奇怪機には無用な長物である月の灯火も、今は光球がより肥大化した。


「リアっ! あとはお願い!」

「終わりだ、奇怪機」

 首なしの奇怪機兵の右胸。金属プレートのわずかな隙間に鋭刃を突き刺す。

 奇怪機兵は全身が硬い。無闇に叩けば、肉厚な騎士剣ですら刃こぼれする。


 しかし、細く軽く、しなやかな星鉄の鋭刃は、聖防国でも随一の名剣に数えられる。鉄人形は定説通り、人でいう心臓部を貫かれ、死体のように事切れた。


「セイヴ、ヴァイライナ、そっちは」

 隊長格を落とせば、周囲の奇怪機兵は一斉に停止すると相場が決まっている。

 ただし、二人は一足早く戦闘を終わらせていて。


「もう終わってる」

「問題ありません」


 涼しい顔でこちらを見ていた。

 自分たちの腕前が一枚上手であることを、表情で見せつけてくる。


「リーア。まだ奇怪機兵が動いたら困る。もう一度だけ鉄の心臓を刺しておけ」


 奇怪機兵の体は魅力的な金属素材に見えるが、厄介な特性により持ち帰る者はいない。動かなくなったこいつらは、数日もすると自壊して砂のようになるから。


「ちゃんと殺せてるって。疑り深いなあ」

「強者ほど仕留めるときは念入りに、だ。それが油断に殺されない術だぞ」


 セイヴが騎士剣を剣帯にしまう。銀色の手甲の指先で銀髪を撫でつける。

 実に絵になる男だが、これが聖防国の王子じゃな。


「ヤンチャ王子さまはやっぱり、王よりも騎士が向いてるんじゃないか」

「まさか。机上の将軍気取りな兄さんに、やすやすと王位を譲る気はないさ」


 子供のような陽気さで、セイヴが堂々と言い放つ。

 姉さんと同い年の四つ上ながら、こういうところが嫌いじゃない。


「……セイヴルティスさま。第一王子の陣営に聞かれたら、また事になりますよ」

「まあまあヴァイライナさん。ここには私たちしかいませんし」

 やるせない呆れ顔なお目付役を、アージェがグリンの上からなだめる。


「これで農村の依頼は全部だろ? さっさと転水の都に帰ろうぜ」

 帰ると聞いて、アージェの顔がパァッと明るくなる。僕も同じだ。

 一行のなかでは唯一、セイヴだけ気落ちしているが。


「今回の冒険もこれで終わりか……また城に戻るのは気鬱だ」

「セイヴルティスさま! これ以上は認めませんからね。そもそも無許可です!」

「分かってるさヴァイ。硬い羽も伸ばせない王族だ。愚痴くらい見逃してくれ」

「はあ。まったくもう。ただでさえ私の胃が痛いんですから……」

 いつもヤンチャ王子の尻拭いをさせられる女騎士は、ガクッと肩を落とした。



 僕とアージェは二年前、未開森林の調査に来たセイヴに連れられ、聖防国に保護された。そのまま慣例に従い、僕らは月海の巫女と星護りとして、聖王城の貴賓として招かれた。だけど、憧れの城勤めはそれほど愉快なものではなかった。


 礼儀も作法も学んでいなかった僕とアージェは、貴族連中からはよく煙たい顔をされた。聖防国の生活様式は、月海の村と違いすぎた。民衆に顔を見せるのも、珍獣のように喜ばれる夜会も、正直なところ居心地が悪かった。

 そうして数週間後。セイヴの父である聖王に許しをもらい、貴賓を辞退した。


『私、もっと人の役に立ちたいな』


 そうつぶやいたアージェを助けたのは、セイヴの側近である聖防騎士ヴァイライナ=アルトジェリンだった。彼女は信仰を司る白の教会に話を通してくれた。僕らを都の教会に住まわせ、教会兵にしてくれたのだ。


 教会兵は民事の解決屋でありながら、聖防国の出征にも従軍する教会の私兵。聖防騎士や国家兵団、自由契約で命をかける武装探検団ともまた違う立場だ。

 普段の仕事は教会の手伝い、近隣住民の問題解決、さらに周辺村落に要請された外敵駆除。この世に巣くう汚泥魔と奇怪機の任意討伐も認められている。


 僕らの聖防国での存在価値は、そうした危険に身を投じても気にされないほどに低かった。月海の巫女もその星護りも国賓待遇ではあったが、会えば握手を求められるくらいで、数刻もすれば忘れられる。日常のささいな偶像でしかなかった。


 むしろ、王族たる第二王子を引きずり回すことを非難されている。真実は、セイヴが無断で城を抜け出し、僕らの依頼に勝手についてくるだけだとしても。


 希代の月海の巫女。聖防国の第二王子。やれやれと尻拭いする女騎士。

 そして、偽りの星護り。

 ここ二年はだいたい四人で活動してきた。いろいろな場所に行った。

 それは存外、悪い日々ではなかった。


「リーア、アージェル。城に帰る前に伝えておきたいことがある」


 聖防国北部。農村が白の教会に頼んだ、はぐれ奇怪機兵の討伐依頼を終えたあとのこと。帰路の途中で、セイヴが真剣な顔をして口を開いた。


「兄さんの北西部出征案が、いよいよ元老院に可決される」

「それって、前に言ってた奇怪機の掃討作戦ってやつか」

「ああ。王太子が国王に即位するための功績稼ぎさ。悪しき典礼でしかない」


 セイヴの兄、聖防国の第一王子は軍閥色が強い武闘派だと聞く。城で顔を合わせたこともあるが、弟いわく、殴る斬るしか能のない男なんだとか。


「成果は問われない、形だけの激戦を楽しんで王の証とする。さすが我が国だよ」

「……セイヴルティスさま」

 ヴァイライナの苦い顔にも、セイヴは顔色を変えない。


 聖防国は北西の奇怪機、東北の汚泥魔によって挟まれた立地にある。

 西は未開森林。南は断崖天壁でふさがっている。森猫の小道は勇敢な商人ですら使わない。その先にある月海の村については、毎年の武装探検者の報告では、今は月海の村の民が生きていた痕跡しかないと聞いている。


 大陸の大地が空いているのは、北側に広がる古き文明の領域だけ。しかし、聖防国民の数百倍の数がいるとされる奇怪機兵の街を開拓できた聖王はいない。

 人々が生きられる領域は現状、聖防国周辺しか残されていなかった。


「となると、セイヴの即位の野望は」

「このままでは難しいな。おまけに北西出征の〝逆側〟に追い出される」

「……またかよ」


 少数の外敵なら、僕ら教会兵や武装探検者が依頼を受けて対処する。だが、相手が軍勢想定となるとそうはいかない。そこはもう聖防騎士と国家兵団の領域だ。

 ついでに、この国には大規模な軍の出征時に不文律の決まりがある。主軍がいずれかの敵対勢力に打って出るとき、予備軍が逆側を防備するというものだ。


 今回で言えば、お目当ての奇怪機への攻勢は第一王子が担い。

 汚泥魔が〝逆側〟から襲撃してこないかを警戒するお留守番を、セイヴが担う。


「兄さんは功を取らせたくないのさ。未貢献なオレを罵って満足したいんだろ」


 汚泥魔も奇怪機も聖防国も、それぞれ宣誓なき戦争状態。連携はまずない。

 ゆえに逆側配備は、形だけのお出かけ軍で終わることが多い。国防の観点では必要なことだが。セイヴが、実兄に厄介払いを押しつけられているのは事実だ。


「……やっぱり、私のせい、ですよね」

 グリンの上から、アージェがおずおずと申し出る。

 月海の巫女の力は汚泥魔にしか通じない。それを申し訳なく思っているのだ。


 過去の貴賓時代、僕らを推していたのは弟を押しのけた第一王子だった。でも村育ちには水が合わず、貴賓を辞して顔を汚した。そのくせ第二王子と組み直しているのだ。そんな人間関係の焦げ付きを、アージェは後ろめたく思っている。


 ほんとに。気付けば気味の悪い政争に巻き込まれたもんだ。


「二人は気にするな。父上らは月海の巫女の力をうわべしか知らない。それに、すべてはオレが選んだこと。こうして肩を並べられるのは、ネイルにも誇らしいよ」


 白い歯を見せ、爽やかに笑う。銀髪王子は市政で僕らよりも人気者だ。

 この整った顔が嫌悪に歪むのは、いつだって。


「戦争しか頭にない兄の治世下に組み込まれるのだけは、おぞましいがな」

 セイヴは兄を明確に嫌っている。兄も同じ考えだと思い込んでいる。


 僕もアージェも政治にはうとい。だから逃げたし、彼らが抱く信念も理解しきれない。月海の巫女も星護りも聖防国ではしょせん、戦いの駒でしかなかったし。

 それでもだ。支持するならセイヴがいい。そう思うだけの縁がある。


「今、聖防国が汚泥魔と奇怪機と全面的にぶつかれば、滅びるのはオレたちだ」

「……だろうな」


 三勢力間の戦いに身を置いて数百日。僕もアージェも実感してきた。東方の汚泥魔兵や、北西の奇怪機兵を蹴散らしていて、徐々に分かってきたことだ。

 この地の戦いは、僕ら人類だけが割を食うのだと。


 汚泥魔については古来より、泥の女王以外に対話できる存在を認められたことがない。黒い泥まみれの骸骨たちはすべて、動くものに襲いかかるだけの悪意しか持たない。しかも汚泥魔兵は、倒しても復活するのか減る気配がない。それが、奇怪機よりも聖防国よりもせまい領域で生き永らえている種の凶悪さだった。


 奇怪機もそうだ。錆びた鉄の人形たちも、動くものを見境なく襲撃する。個体数にしろ、人々と何百年と戦ってきたのに、相手が減っているのかも不明らしい。


 無限に等しい外敵たち。対する僕らは限りある命を賭けなければならない。

 火のつけ方を間違えれば、人類だけが一方的に滅びかねない。


「ただ、オレはこのまま暗愚に王座を譲るつもりはない」

「でも、逆側でやれることなんてあるのか? どうせまた待機するだけで……」

「だから二人に頼みたいことができた。そういう話さ」

 目上の王子が静かに頭を下げる。


「今回の出征、オレに付き合ってほしい」

「そりゃあ、そのつもりだったけど」


 ウソじゃない。言われる前から手を貸すのが当たり前くらいに考えていた。

 視線をずらす。アージェも笑顔で首を縦に振る。

 僕らにとって、王族の皮で着飾っていないときのセイヴは、いい兄貴分なのだ。


「それで、僕らがいればなにか変わるのか」

「変わる。変えるさ。とっておきの隠し手でな」

「隠し手……? なんだよそれ」

「今は聞くな。逃げられたら困るからな。そのときになったら教えるさ」

 セイヴはその先を口にせず、柔和に破顔して話をそらした。


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