エピローグ
ザア、ザアと波を打つ。月海の白い砂浜で。
少年と少女は、大きなウッドグリフォンを撫でている老婆に尋ねた。
「なあなあ、ババア。今日って月海の巫女と星護りを選ぶ日なんだろー?」
「ほほ。そうじゃよ」
「ボクも星護りになれんの?」
「わたし、巫女さまがいいー」
「ほほ。今年はおまえさんらの姉さま兄さまが選ばれる。諦めい」
少年少女の「え~~」という抗議を、老婆は愉快そうに一蹴した。
「ババアも月海の巫女だったんだろー」
「そうじゃよ。まあ昔のことで、ただの僭称者じゃったがな」
「せんしょーしゃー?」
少女がつぶらな瞳で小首を傾げる。
その頭に、老婆は愛らしそうに手を置く。
「ウソつきってことじゃ。ほほ」
「なんだ、ババアやっぱりウソつきじゃん!」
「えー。おばあさまはウソつきじゃないよお!」
からかう少年に、気弱そうな少女が怒ってみせる。何代かで血を分けてきた次代の子らを見つめつつ、老婆は懐かしき過去を振り返って笑う。
「だってババア、昨日もウソついてたじゃん」
「なにをじゃ」
「おでいま? きかいき? なんてどこにもいないってお父さんが」
そろそろ忘れ去られようとしている、古き時代の者たち。
それらを後世に言い伝えるのは、老婆が自ら背負った生涯の役目だ。
「汚泥は消えた。奇怪機も砂になった。今はもう、ほとんど残っとらんだけよ」
「それいつの話なんだよお」
「私が今よりもほんのすこし絶世の美女だったころじゃな」
「ほら、やっぱウソじゃん!」
そう言いつつ、老婆の見目が老いてなお美しいことを少年も知っている。
「森向こうの大玉畑に泥団子がおるじゃろ? あやつがこの世で最後の奇怪機よ」
「あの畑耕してるデッカいやつぅ?」
「わたしこの前、あの子に乗らせてもらったー」
晴天下の白浜。蒼海の波打ち際で、三人と一匹はかしましい。
しばらくすると、村のある森のほうから年ごろの女性がやってきた。
星屑貝の青血で染めた巫女服。上に羽織るのは、精霊樹の緑葉で色づけた外套。
「こーら! あんたたち大老に迷惑かけないのっ」
「ね、ねーちゃんっ」
「お姉さま、その服カワイイ!」
「えへへ、いいでしょ?」
少女はクルッと回って見せるも、すぐにハッとして、銀髪の老婆に向き直る。
「エリゼティス大老。今宵の月海の祝祭の準備が整いました」
「さようか。曾祖母はどうじゃ。曾孫が念願の月海の巫女に任命されたからに」
「……メアリシアおばあさまは、キオルタスおじいさまが抑えてるところで」
「ほほ、じゃじゃ馬娘は何十年経っても相変わらずじゃのう」
立ち上がろうとする老婆を見て、今夜、月海の巫女になる女性が手を貸す。
「おまえさんの星護りはどうしとる」
「そ、それが……私のことが好きだった? って男の子と広場で決闘してて……」
「ほほ。周囲におるであろうバカ男ともども、大目玉を食らわしてやろうかね」
「……お願いします」
月海の村が再建されて数十年。古来より続けられてきた月海の祝祭は、毎年の豊穣を祈るためだけの祭りと化した。月海の巫女の名も、星護りの名も、今ではその年の婚約者らに与えられるだけの、安く尊い称号に変わっている。
「グリンや。月海の子孫を外海から運んできてもらったばかりで悪いが、行こう」
「キュルア」
銀色の髪を輝かせる老婆が、生涯の友であるウッドグリフォンの首筋を撫でる。
「おまえさんの使命もようやく、この老いぼれの身で果たさせてやれそうじゃな」
「ギュルァッ」
巨大なウッドグリフォンが、お説教とばかりににらみつけるも。
若きころと違い、老練になった女性は波風のように受け流す。
「ほほ。また裏切りもんと呼ばれとうなければ、星送りをやり遂げることじゃ」
砂浜で立ち上がった老婆はひと目だけ、視線を横向けた。月海の白浜の波打ち際には、斜めに傾げながらそれぞれを支え合っている、一対の杖と剣。
丹念に磨かれた水宝玉を日の光で輝かせる、月海の願杖の柄に。
先端が折れて短くなった星鉄の鋭刃が、もたれかかるようにしている。
「ほほ。今日も月海はいい眺めじゃ」
子供たちのあとを追い、老婆とウッドグリフォンも月海から去っていった。
ザア、ザアと。白く泡立つ波打ちの音だけが、静寂の世界に広がっていく。
一年のお祭りを前に、凪ぎ凪ぎの海辺へとやってくる物好きなどおらず。
穏やかな波でとろける月海を、願杖と鋭刃だけが静かに見つめていた。




