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14.覚悟はいいわよね

 祭は案の定、部活に顔を出していた。


 明らかにいつもの調子ではないはずのに、なに食わぬ顔でランニングを終え、馬鹿みたいに柔らかい体を曲げてストレッチをしていた。こうなったらもう何を言っても聞かないと思う。かといって、無理やり連れて行こうとすれば殴る蹴るの暴力に出る可能性がある。有無を言わせず保健室へと連れて行くことのできる決定的な証拠を目の前に突きつけるしかない。


 そう考えた柊は祭を半ば強引に混合ダブルスに参加させ、いつもの自分ではないことを自覚させたのち、追い打ちをかけるべく意気消沈する祭のすきを見計らい、額に手を伸ばして熱を測った。これで熱があれば、文句を言わせず速やかに保健室へと連行してやろうと思う。


 右手を自分の額に、左手を祭の額に当てて熱を比べる。

 

 あれ? と思ったのは手を当ててからほんの数秒の間だけだった。左右の手に感じる体温はほぼ同じであり、風邪ではなかったのか、と柊が判断を下そうとしたその瞬間、


 祭の顔が一気に噴火した。


 顔を真っ赤にさせて茹で上がり、頭からは煙が吹き出ている。祭の額に当てている手のひらがみるみるうちに熱くなった。


「おわっ! お前やっぱすげぇ熱じゃねぇか!」


 祭はなにも答えない。


 反論もしなければ、暴力に訴えかけることもなく、ただ立ち尽くしたまま微動だにしない。


 あの祭が一歩も動けなくなるなんて、相当やばいんだろうと柊は思った。 


 とにかくすぐに保健室に連れて行くしかない。


 迷いはなかった。


 柊は固まって動かなくなった祭の手首を持ち、バンザイをさせる。まさか一日のうちに女子を二人も保健室に背負っていくことになるとは思いもしなかった。そう思いながら祭に背を向けて、二人一組でやる背筋伸ばし体操の要領で背負いあげた。


 身長があるからか、筋肉のせいか、あるいは柊の下半身が軟弱なせいか、雪を背負った時よりも少し大きく感じた付加に柊の膝が少し笑った。それと同時に祭の全身を一手に受けた柊の背中が悲しみに打ちひしがれて泣いた。


 背中に押しつけられているはずの祭のバストの存在があまりにもあやふやで確認できない。祭にべったりと全身をあずけられているにも関わらず、柊の理性は至って平常心を保ち続けた。テニスウェアの布二枚越しに祭が身につけているブラの感触がある。このブラの存在意義と雪のブラの存在意義とを天秤にかけてしまった柊はすぐに後悔した。


 片側に大きく傾き、その勢いで祭のブラの存在意義が空高く投げ飛ばされた。


 自分はなんと軽率で残酷な行為をしてしまったのか。そして、もし神がいるとするならばあまりにも無慈悲ではないかと思った。


 一体自分の幼馴染みがなにをしたというのか。確かにがさつで女の子らしいところなんて見当たらないかもしれないが、祭も女子の一員としてこの世の中を精一杯生きているのだ。それなのにあまりにもひどい仕打ちではないか。


 世の不条理に打ちひしがれる己の背中をなぐさめ、涙をぬぐい柊はどうにか前を向く。


 祭を早く保健室に連れて行ってやらないと。


 冷静に我にかえり、不自然に伸びきった祭の腕を首の前でクロスさせて、ずり落ちないように固定する。もう一度背負いあげ、位置を安定させ、ダッシュでテニスコートを後にした。


 ブラスバンド部の演奏が流れる中庭を抜け、北棟校舎を目指す。渡り廊下でテニスシューズを脱ぎ捨て、人気ひとけのないひんやりとした廊下を進み、『保健室』の表札がかかる部屋の扉を勢いよく開いた。


 薬品のにおいが鼻をつくと共に、冷房の空気に満たされた白の空間が目の前に広がる。学校の喧騒けんそう秩序ちつじょから切り離されたようなその部屋に柊は再び足を踏み込ませ、周囲を見渡した。

 

 身長計と体重計と座高計がある。医薬品が並べられている棚もある。眼科検診用のランドルトかんと白骨の人体模型もひっそりと佇んでいる。だが、養護教諭の中田梨香子の姿がどこにもない。この非常事態に一体どこへ行ったというのか。


 雪を背負って運んできた際に、雪との関係を根掘り葉掘りしつこく聞くような真似をした上に、前傾姿勢で入ってきたことについても、思春期男子に対する配慮はいりょも乙女としての躊躇ちゅうちょも一切見せることなく、大人の余裕を持って生物学的観点から性教育の話を切り出し、それほど面識が多いわけでもない自分のことを散々からかって笑いの種にするくらいにひまを持て余していたはずなのに。


 まったく。と思いはしたが、いないものは仕方ない。


 柊は自分にやれることをやろうと決める。


 とりあえず祭をベッドに寝かせようと思った。


 三つ並んでいるベッドの内、入り口から一番奥にあるものはカーテンで仕切られている。先ほど雪を寝かせたベッドだが、まだ寝ているのだろうか。いや、それよりも今は祭を横にさせてやるのが先決だ。


 柊は真ん中のベッドに歩み寄ると、祭をそっと下ろし、清潔なシーツの上に横たわらせた。祭は額から尋常ではないほどの汗を流し、先ほどよりも顔が真っ赤になっているように思う。


 氷、いや先にきちんと熱を測っておこう。触れた感じではあるが、39度近い熱があるんじゃないかと思う。


 救急医療具が並べられている机から、円状の筒に収納された体温計の一本を取り出す。水銀式ほど古くもなかったが、耳に突っ込むことですぐに測れるような新しいものでもない。脇に挟み込んで測定するデジタル式の一般的なタイプのものである。


 柊はその体温計を片手に再び祭を寝かせたベッドの前に立った。

 

 しばし逡巡する。


 いくら祭の上半身が男の本能を呼び覚ますことのない残念なものであるとはいえ、いくら自分が祭の幼馴染みであるとはいえ、さすがに服を脱がせるのはまずいと思う。自分には雪というかわいい彼女がいるのだ。雪を裏切るようなことはできない。


 ならば当然、服の間から体温計を忍ばせるのがすじだ。そうすれば視界にはなにも映らない。もちろん祭の体には可能な限り触れないように細心の注意を払う。これは列記とした医療行為だ。人口呼吸と同じだ。決して他意はない。雪を裏切るような行為ではない。


 そう自分に言い聞かせて柊は腰を落とし、視線を祭の寝ているベッドの高さに合わせる。体温計のリセットボタンを押し、祭が着ているポロシャツのすそから脇に向かって押し進めることを試みた。


 指先で体温計をつまみ、無防備に横たわる祭のシャツの中へと手を突っ込む。手探り状態の中を、ゆっくりと祭の脇に向かって進んで行く。体温計をつまむ指先が異常に震える。呼吸とともに波打つ祭のお腹に指の先が触れた。まるでそこに電気でも走ったかのように指先が体温計を取り落とす。祭のシャツの中で迷子になっている体温計を探る。祭の肌に触れないように注意しながら、指の先で拾い上げ、再びゆっくりと慎重に進む。祭の脇腹とシャツの隙間をうように進んだ。今度は肌ではないものにぶつかる。これがさっきお前がバカにした存在の大きさだ思い知れ、と言わん勢いでそいつが立ちふさがっていた。初めて生で触れた繊維せんいの感触に、驚いた指先が再度体温計を取り落とす。


 息を吐く。


 荒くなった呼吸を整え、冷静になれと己に言い聞かせる。


 自分は一体なにを慌てているのだ。断じてやましいことをしているわけではないだろう。祭とは今までもこれから先もずっと幼馴染みであり、雪と付き合うことを決めたあの日、この関係は一切変わることはないと己の心に言い聞かせたはずだ。にもかかわらず動揺しているのは、目の前にいる祭を女として意識しているからじゃないのか。そうでないと言うなら、まどろっこしいことなんかしないで、正面から堂々と体温計を突っ込めばいい。踏ん切りをつけれずに、ぐだぐだこそこそとしていることの方こそ、やましい気持ちの表れではないのか。そのことこそが雪を悲しませ、裏切る行為なのではないのか。


 柊は勢いよく立ち上がった。


 こいつは姉のようであり、妹のような位置に存在する幼馴染みなのだ。雪と付き合うことを決めたあの瞬間から、自分にとって祭はそういう位置付けになったのだ。


 家族が病気になれば介抱するのは当前のことだ。


 その言葉を後押しに、柊は祭のポロシャツの胸元のボタンに指をかけた。


 仮に今この場を誰かに見られたとしても、自分は慌てふためいたりしないし、断固たる決意を持って兄のようであり、弟のような位置に存在する幼馴染みとして祭の介抱を続けてみせる。


 一つ目のボタンを外す。


 リストバンドで額にかいた汗を拭う。


 一つ目を外した勢いそのままに、二つ目のボタンに手をかけた。


 保健室の扉が音を立てて開く。コーヒーカップを片手にせんべいをくわえた白衣姿の中田梨香子が少しご機嫌な調子で入ってくる。それと同時に背後でシャっと鋭い音がした。


「ふぁー、よく寝た」


 取り払われたカーテンの向こう側で、大きく伸びをして、ひとしずくの涙をこぼれ落とした眠気まなこをこすりあげる雪の姿があった。ふわりと髪の毛が揺れ、天使のような二つの瞳がゆっくりとこちらを見る。


 同じくこちらを凝視している梨香子の咥えていたせんべいが、パキッと音を立てて割れた。


 仮に今この場を誰かに見られたとしても、自分は慌てふためいたりしないし、断固たる決意を持って兄のようであり、弟のような位置に存在する幼馴染みとして祭の介抱を

  

 慌てふためいた。


 介抱など続けられるはずがなかった。


 昨日までの雪ならこの状況を見られて、泣かせてしまっていたかもしれない。


 だが、今日の雪にはこちらが泣かされることになるかもしれない。


 柊はポロシャツのボタンから慌てて手を離そうとして、そでぐちに指を引っ掛けてしまい、ベッドの上に無防備に横たわる祭の肩がはだけ、なまめかしい鎖骨とブラの紐が一瞬顔を見せた。

 

 雪の表情がくもる。


 梨香子が冷静に状況を見守る。


「ち、違うんだ、小松原! 祭が顔真っ赤にして動かなくなって、そ、それで運んできて。先生いなかったし、熱測ろうと思って、それで、ほら体温計もここに」

 

 体温計がない。体温計は祭のポロシャツの中で迷子になっている。 


「シューーーーウゥゥーーーーゥ」


 鬼の形相を浮かべ、髪を逆立てながら雪が唸るような低い声をあげる。


「わぁ、修羅場しゅらばだ」  


 まさに他人ごとのように言い放ち、梨香子はバリバリと音を立ててせんべいをむさぼった。こいつ内心では絶対にワクワクしているだろ、と柊は思う。


「言い訳は終わり? 覚悟はいいわよね?」


 さっき俺のこと名前で呼ばなかった? などと口走ろうものなら、きっと八つきにされたと思う。


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