矛盾
生ぬるい風に当たり、服が波打つ。
雨に濡れない様に目を細めながら帰る。
職場から徒歩15分くらいの平凡なアパート。
そこの502号室には野田と書かれた白い板が掛けられている。
元々その男は帰り道が好きではなかった。
小さい頃から嫌いだった。
あまり友好関係が広くなかった事からいっしょに帰る人がいないのは確かだが、それは大きな原因では無い。
ただ、退屈で早く帰ってのんびりしたいという気持ちが強いだけだった。
そのためその男は帰る時には息を止める様にしている。
そうすれば苦しくなって歩く速度が無意識に高くなるからだ。
もっとも、苦しくていつの間にか普通に息をしてしまうのだが。
今日も職場から5分地点でそうなった。
5分も息を止められるのは一般人ならかなりの記録だが、本人は何とも思っていない。
突然、殺気と呼ばれるものが男の首筋を刺激した。
赤い液体が後頭部から流れ出る。
その液体を血だと理解するのにはそれほど時間はかからなかった。
目の前にいる性別も分からない――黒とここでは呼ぶことにしよう。
黒は自分の命を消したいと思っていることも。
黒が胸ポケットから、麻縄が出された。
男の首にかけ、そこを支点に強烈な力が加わる。
黒は死ね、しね、シネ、と男の心臓に働きかける。
その瞬間、男の脳裏によぎったのは懐かしい両親の顔でも、初恋の人の顔でもなかった。
自分と同じ鉄紺色の瞳を持っている、少女との何気ない会話。
『私、時々考えるんです』
『何をですか?』
『人は人を殺す瞬間、どんな事考えるのかなって』
――僕と同じ瞳なら、いつか嫌でも解る。今はそんな事を考えている場合じゃない――
そう薄っぺらに呟いて。
我に返る。
突如目を見開いた男に驚いた黒。
その一瞬の隙を男は見逃さなかった。
首と縄に出来た隙間に手を伸ばす。
満身の力を込めたら、案の定縄は使い物にはならなくなった。
相手の手の中で粉々になった凶器を見つめた黒はようやく自分はどんな男を襲ったか理解したように大きく震える。
足元にあったもう一つの凶器のビール瓶を持って駆けだした。
ようやく死への階段から脱出した男はあたりに誰もいない事を確認し、仰向けになって地面に手をつく。
目をつむった後、一瞬見えた黒の髪が鉄紺色をしていた事を思い出し、納得する。
あれも僕も同じなのだ、と。
誰よりも命の尊さを訴えるその口調、反対に血を見て感じる優越感。
きっとその相反した態度自体が狂気に侵された印なのだろうけど、 眉をひそめながら、けれども口元が笑みで歪むのを抑えきれない僕もきっと狂ってる。
生ぬるい風に当たり服が波打つ。
雨に濡れない様に目を細めながら家路に急いだ。
いつもと、何も、変わらない。
回数が増えるたびに中二病度がUPしている気が(汗
鉄紺色というのは背景と同じ色です。