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悪役令嬢ですが、バッドエンドを全員生存ルートに改変します  作者: 蜜柑くらげ
第2章 救いは、正しくなくてもいい
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第9話 見えすぎる未来は、時に足を止める

 帰り道、リリアに呼び止められたエルネアは、互いの“嫌だ”という感情について向き合う。予定を優先し感情を無視できると答えながらも、その言葉に確信は持てない。別れた後、黒薔薇のひびは分岐するように変化しており、彼女の選択が揺らぎ始めていることを静かに示していた。

 カイエル・グランフォードは、基本的に外さない。


 観測して、予測して、順序を組み立てる。人がどう動くか、その結果どうなるかを、ほとんど誤差なく辿ることができる。だから彼にとって世界は、ある程度までは“読めるもの”だった。


 読めるから、対処できる。


 対処できるから、間違えない。


 ――そのはずだった。


 朝の教室で、彼はいつも通り座っていた。姿勢は崩れず、視線は一定、ノートは整っている。周囲から見れば、完璧な優等生のそれだ。


 だが、彼の視線は一つの場所に固定されていた。


 エルネア・ヴェルローズ。


 そして、その隣にいるリリア・フローレンス。


 昨日の帰り道の会話を、カイエルは直接見てはいない。だが、その前後の変化は十分すぎるほど観測していた。


 順序が違う。


 反応が違う。


 選択が違う。


 エルネアは、合理性を優先する人間だ。状況を把握し、最適解を選び、余計な行動はしない。そういう“完成された思考”を持っているはずだった。


 だが今は違う。


 彼女は“迷っている”。


 しかも、その迷いを隠しきれていない。


「……」


 カイエルはペンを止めた。


 この違和感をどう扱うか、考える。


 排除するか、受け入れるか。


 だがその前に、確認が必要だった。


 何が変わったのか。


 どこから崩れたのか。


 そして――


 それは、危険な変化なのか。


 授業が終わると同時に、カイエルは立ち上がった。


「エルネア嬢」


 声をかける。


 エルネアはすぐにこちらを見る。その反応速度も、以前と変わらない。だが、その視線の奥にあるものが、少しだけ違う。


「何かしら」

「少し、お時間をいただけますか」

「また雑談?」

「ええ」

「本当に信用できないわね」


 軽く言いながらも、彼女は立ち上がる。


 断らない。


 それもまた、以前とは違う点だった。


 廊下に出る。


 人の少ない場所へ移動し、カイエルは足を止めた。


「単刀直入に聞きます」

 彼は言う。

「あなた、最近“予測どおりに動いていない”」


 エルネアの表情は変わらない。


 だが、ほんのわずかに間があった。


「それがどうしたの」

「どうした、ではありません」

 カイエルは淡々と続ける。

「あなたの行動は、これまで一貫していました。合理的で、無駄がなく、結果に最短で到達する」


 そこで一度、言葉を切る。


「ですが、ここ数日でそれが崩れている」


 静かな指摘だった。


 だが、逃げ場はない。


「具体的には?」

 エルネアが聞く。

「昨日の放課後」

 カイエルは即答する。

「あなたは、リリア嬢が囲まれているのを見て、思考より先に動いた」

「場の安定のためよ」

「それならば、より目立たない方法を選べたはずです」

「……」

「ですがあなたは、最も目立つ方法を選んだ」


 事実だった。


 エルネアは一瞬だけ目を伏せる。


「そしてお茶会でも」

 カイエルは続ける。

「あなたは彼女の手を取った」


 そこまで言われて、エルネアは小さく息を吐いた。


「よく見ているわね」

「観測ですので」


 あまりにも当然のように言う。


「で?」

 エルネアは顔を上げる。

「それを確認して、何がしたいの」

「確認したいだけです」

「何を」

「あなたが、変わったのかどうかを」


 真正面から来た。


 エルネアは、少しだけ黙る。


 否定はできる。


 今まで通り、合理的に説明することもできる。


 だが。


「……変わっているわ」

 彼女は言った。


 あっさりと。


 カイエルは一瞬だけ、言葉を失う。


 予想外だった。


 否定するか、誤魔化すと思っていた。


 だがエルネアは、認めた。


「理由は?」

 カイエルはすぐに問いを重ねる。

「分からない」

 エルネアは答える。

「分からない?」


 その返答は、さらに予想外だった。


「分からないわ」

 彼女は繰り返す。

「予定外だから」


 予定外。


 その言葉に、カイエルは小さく目を細める。


「あなたに“分からない”が出るとは思いませんでした」

「私を何だと思っているの」

「少なくとも、“すべてを整理して動く人間”だと」

「それは買いかぶりよ」


 エルネアは軽く肩をすくめる。


「整理できないものもある」

「例えば?」

「……」


 少しだけ、間が空く。


「感情、とか」


 その言葉に、カイエルは完全に黙った。


 理解できないわけではない。


 だが、それをエルネアが口にするとは思っていなかった。


「あなたがそれを優先するとは」

「優先しているつもりはないわ」

「では?」

「割り込んでくるだけよ」


 淡々とした言い方だった。


 だが、その内容は重い。


 カイエルはしばらく何も言わない。


 考えている。


 観測して、整理して、結論を出す。


 いつも通りの流れ。


 だが――


 そこで、止まった。


「……予測が、できない」


 彼は小さく呟いた。


 エルネアが眉を上げる。


「何が」

「あなたの次の行動です」


 カイエルは正直に言う。


「これまでは読めました」

「そう」

「ですが、今は読めない」


 それは、彼にとって異常だった。


 見えすぎる世界の中で、見えないものが出てきた。


 それは。


 恐怖に近い。


「不安?」

 エルネアが聞く。


 その問いに、カイエルは少しだけ考える。


「……違います」

 彼は答える。

「不安ではない」


 だが。


「ですが、落ち着かない」


 それは本音だった。


 すべてが見えている状態の方が、彼にとっては正常だった。


 予測できない未来は、足場がないのと同じだ。


「そう」

 エルネアは小さく頷く。


 少しだけ、視線を逸らす。


「……それで?」

 彼女は言う。

「どうするの」

「どうする、とは」

「観測できないものが出てきた」

 エルネアは言う。

「それを、どう扱うの」


 カイエルは、ほんの少しだけ黙る。


 排除するか。


 無視するか。


 それとも――


「……観測を続けます」

 彼は言った。

「それしかできませんので」


 エルネアは、その答えを聞いて、少しだけ笑った。


「らしいわね」


 短い言葉だった。


 だが、その中に少しだけ、柔らかさが混じっていた。


 カイエルはそれを見て、また一つ理解できないものが増えたと感じる。


 なぜ、今の言葉で笑うのか。


 どういう意図なのか。


 読めない。


 ――読めない。


 その感覚が、少しだけ広がる。


 エルネアはそのまま、ふと自分のケースに視線を落とした。


 黒薔薇。


 ひびは、確かに進んでいる。


 そして。


 その形が、さらに複雑になっていた。


 一本だった線が、枝分かれし、絡み合うように広がっている。


 まるで。


 進む道が増えているみたいに。


「……ねえ、カイエル」

 エルネアがぽつりと呟く。

「はい」

「未来って、全部見える方がいいと思う?」


 唐突な問いだった。


 カイエルは少しだけ考える。


 これまでは、答えは決まっていた。


 見える方がいい。


 見えれば、間違えない。


 間違えなければ、最適な選択ができる。


 だが。


「……分かりません」


 彼は言った。


 自分でも驚くほど、自然に。


 エルネアが少しだけ目を見開く。


「あなたも?」

「ええ」

 カイエルは頷く。

「分からないものが出てきましたので」


 その言葉に、エルネアは小さく息を吐いた。


 少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 肩の力が抜けた気がした。


 それが何なのかは、まだ分からない。


 だが一つだけ、確かなことがある。


 予測できない未来が、ここにある。


 そしてそれは。


 思っていたより、悪いものではないのかもしれない。


 そんな認識が、ほんのわずかに、芽生え始めていた。


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