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悪役令嬢ですが、バッドエンドを全員生存ルートに改変します  作者: 蜜柑くらげ
第2章 救いは、正しくなくてもいい
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第10話 救いは、正しくなくてもいい

 カイエルはエルネアの行動が予測から外れ始めたことを見抜き、変化を問いただす。彼女は迷いと感情の介入を認め、カイエルもまた未来を読み切れない状況に戸惑う。黒薔薇のひびはさらに複雑に分岐し、選択肢が増えたことを示唆する中、予測できない未来は必ずしも悪ではないと、二人はわずかに認識し始める。

 その日、私は最初から決めていた。今日は何も“決めない”。そう口にするほど明確な意思ではなかったが、朝の時点でいつもと違う引っかかりがあった。組み立てようとした思考が途中で止まり、その先へ進むことを、無意識のうちに拒んでいた。


 いつもなら、起きた瞬間にその日の流れを並べる。授業、接触、回避、観測、必要なら介入。誰とどの距離を保つか、どこで何をするか、すべて順序で整理して無駄を削る。それが習慣であり、思考の前提でもあった。


 けれど今日は、それをやらなかった。正確には、やろうとしてやめた。理由ははっきりしている。ここ数日の経験から、組み立てたところで崩れると分かっていたからだ。なら最初から前提を置かない方がいい。そう判断した。合理的なはずだと、自分に言い聞かせながら。


「エルネア様、おはようございます」


 教室へ入った瞬間、リリアがこちらを見つけた。周囲より半拍早い反応だった。意識しているのか、それともただの癖なのかは分からないが、その動きは確実にこちらを基準にしている。無視できるほど軽くもなく、意識するほど重くもない、妙な距離感だった。


「おはよう」

「今日はちょっと雰囲気違いますね」


 私は一瞬だけ彼女を観察する。言葉の意図、声の温度、視線の揺れ。評価ではなく感覚で拾っているタイプの指摘だとすぐに分かった。だからこそ、余計に厄介だ。


「何が」

「うーん」


 リリアは少しだけ考えた。言葉を探している顔だった。無理に言おうとしていない分、出てくる内容はおそらく本音に近い。


「固くないです」

「普段が固いみたいな言い方ね」

「ちょっとだけ」

「ちょっとで済ませているのは評価するわ」


 軽口を返す。形式としてはいつも通りだ。だが、感触が違う。距離を詰めているわけでも、意識して離しているわけでもない。ただ並んでいる。それだけの状態が、妙に落ち着かなかった。


 授業が始まり、終わる。問題は何も起きない。誰とも衝突せず、イベントもなく、ただ時間だけが進む。それなのに、落ち着かない理由は明確だった。今日は何も決めていない。次に何が起きるか、自分がどこで動くか、それを自分自身が把握していない。


 予測できない状態。カイエルの言葉が頭をよぎる。足場がない感覚は確かに不安定だ。だが同時に、どこにでも進める状態でもある。その両方が同時に存在していることが、今の違和感の正体だった。


 昼休み、私は中庭へ向かった。理由はない。ただ足がそちらへ向いた。自分で選んだというより、流れた。普段ならありえない判断だ。その時点で、すでに“いつもの自分”から外れていることは理解していた。


 噴水のそば。水音が一定のリズムで響く場所に、ルーカスがいた。彼は私を見て軽く笑う。その態度はいつも通りで、状況を深刻にしない種類の軽さを持っている。


「珍しいね。今日は一人?」

「そう見えるならそうでしょう」

「ふーん」


 私は周囲を一度だけ確認する。人の配置、視線、距離。問題はない。そのまま少し離れた位置に座る。距離を測ったわけではない。ただ、そこが空いていた。それだけの理由で選んだ場所だった。


 沈黙が落ちる。数秒。何も起きない。誰かと同じ空間にいて、何も調整していない時間。考えてみれば、初めてかもしれない。会話も、距離も、意味も、何も操作していない状態だった。


「ねえ」

「今日、なんか違うよね」

「何が」

「無理してない感じ」


 私は横目でルーカスを見る。観察ではない。単なる感想だ。だが、その軽さが逆に引っかかる。


「無理しているつもりはないわ」

「じゃあ今までが無理してた?」

「そういう話ではないわね」


 曖昧に流す。ルーカスはそれ以上追わない。代わりに少しだけ目を細める。その反応から、完全に納得していないことは分かる。


「まあいいや」

「今の方が、いいと思うけど」

「軽い評価ね」

「重くする必要ある?」


 評価は重い方がいい。そう思ってきた。軽いものは意味がないと決めていた。だが今は、その基準自体が揺れている。


「……軽くても、いいのかもしれないわね」


 言葉が出た。自分でも驚く。以前なら絶対に選ばなかった言い方だ。評価を受け入れる側の言葉だった。


 ルーカスが一瞬だけ止まり、すぐに笑う。やはり変化は明確に見えているらしい。


「やっぱり変わってる」

「何度も言わないでくれる?」


 その時、背後で足音がした。振り向く前に分かる。リリアだった。少しだけ息が上がっている。探していたのだろう。


「エルネア様に話があって」


 私は一瞬だけ思考を走らせる。断る理由はある。整理、距離、視線。だが今日は“決めない”。その前提が先に来る。


「いいわ」


 リリアは小さく息を吐いた。安心した顔だった。その反応を自然に理解している自分に、少しだけ違和感を覚える。


「予定って」

「全部守らなくてもいいんじゃないかなって」


 言葉の重さを測る。軽い。だが無視できない。理屈ではなく、実感から来ている話し方だ。


「途中で変わっても、それって間違いじゃないですよね」


 間違いの基準は明確だったはずだ。最適解から外れること。それが間違い。だが今は、その線がわずかに曖昧になっている。


「……場合によるわ」


 完全な否定も肯定もしない位置に言葉を置く。それしか選べなかった。


「気持ちを無視できるって言ってましたよね」

「本当にできますか?」


 逃げ場のない問いだった。できる、と言うしかない。だがその確信は、以前より弱い。


「……できるわ」


 言葉は出た。だが重さが違う。リリアはそれに気づいているようだった。


「じゃあ、できない時はどうします?」


 想定していない前提。答えがない。


「……分からないわ」


 口から出た瞬間、自分でも驚いた。分からないと認めた。それを、こんなにも自然に。


「同じだから」


 その言葉を、完全には否定できなかった。


 私はケースに視線を落とす。黒薔薇。ひびはさらに進んでいる。だが形が変わっていた。一本の線ではなく、分岐し、絡み、広がっている。


 まるで選択肢が増えているみたいに。


 予定どおりに進むはずだった未来が、確実に変わっている。それでも、それを完全に否定できない自分がいる。その事実だけが、はっきりとそこにあった。



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