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悪役令嬢ですが、バッドエンドを全員生存ルートに改変します  作者: 蜜柑くらげ
第2章 救いは、正しくなくてもいい
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第8話 観測は、壊れる瞬間を見逃さない

 放課後、ルーカスとの会話でエルネアは“正しさ”と“納得”を軸に生きてきた自分の在り方を揺さぶられる。終わりを前提に感情を切り捨ててきた価値観に疑問が差し込み、思考はわずかに停滞する。そして黒薔薇のひびは、まるで何かに引かれるように不自然に進み、彼女の内面の変化を映すかのようだった。

 その日の帰り道、私は妙に静かだった。


 何も起きていないわけではない。むしろ起きすぎている。ルーカスとの会話、価値観への疑問、黒薔薇のひびの進行。考えるべきことは山ほどあるのに、頭の中は不思議と騒がしくなかった。


 代わりに、どこか一箇所だけが、はっきりと引っかかっている。


 ――途中で“嫌だ”と思っても、止まれない。


 ルーカスの言葉が、思った以上に残っていた。


 私は首を振る。余計なことを考えても仕方がない。今やるべきは整理だ。現状を確認して、次の手を決める。それだけでいい。


 そう思っていたのに。


「エルネア様」


 声に呼ばれて、私は足を止めた。


 振り向くと、リリアが立っていた。校門の少し手前、夕方の光がちょうど差し込む位置で、彼女は少しだけ息を切らしている。


「……どうしたの」

「少し、お時間いいですか」


 断る理由はいくつも浮かぶ。


 疲れている。頭を整理したい。これ以上予定外を増やしたくない。


 けれど、それらを並べる前に、私は答えていた。


「……少しだけよ」


 リリアはほっとしたように笑った。その顔を見ると、ほんのわずかに胸の奥が軽くなる。理由は分からない。分かりたくもない。


「こっち、いいですか」

 彼女が指したのは、校門の外にある小さな並木道だった。人通りは少ないが、完全に人目がないわけではない。話をするには、ちょうどいい距離だ。


 私は頷き、並んで歩き出す。


 しばらく、会話はなかった。


 足音だけが続く。


 先に口を開いたのは、リリアだった。


「今日、ルーカス様と話してましたよね」

「見ていたの」

「途中からですけど」


 やはり見られていたか。


 私は特に隠す気もなく答える。


「少しね」

「何の話だったんですか?」

「雑談よ」

「それにしては、ちょっと真面目な顔してました」


 よく見ている。


 この子は、本当に細かいところを拾う。カイエルほど理屈で追ってくるわけではないが、感覚で違和感を掴む。


 それもまた、面倒だ。


「あなたには関係ないわ」

 私は軽く言う。

「関係あります」

 リリアは即答した。

「エルネア様の顔、ちょっとだけ変わってたので」


 足が、ほんの少しだけ止まりそうになる。


 変わっていた?


「どう変わっていたの」

 私はできるだけ平静に聞く。

「うーん」


 リリアは少しだけ考えた。


「迷ってる感じ」

「……」

「あと、ちょっとだけ」

 彼女は言葉を選ぶように続ける。

「“嫌だな”って思ってる顔でした」


 完全に、当たっていた。


 私は何も言えない。


 言い返す言葉を探すより先に、その指摘が正確すぎることに思考が止まる。


「違いますか?」

 リリアがこちらを見る。


 赤い瞳が、まっすぐに。


 逃げ場がない。


「……違わないわ」

 私は小さく答えた。


 言ってしまってから、ほんの一瞬だけ後悔する。こんなふうに認める必要はなかった。誤魔化すことだってできたはずだ。


 なのに、できなかった。


「やっぱり」

 リリアは少しだけ安心したように笑う。


 その反応が、さらに理解できない。


「どうして安心するの」

「だって、同じだから」


 同じ。


 その言葉に、私は眉をひそめる。


「何が」

「嫌だなって思うの」


 彼女はあっさりと言った。


「私も、思ってます」


 風が少しだけ強く吹いた。並木道の葉が揺れて、影が揺れる。


 私は足を止める。


 リリアも、合わせて止まった。


「……何が嫌なの」

 私は聞く。


 聞くつもりはなかったのに、気づけば口に出していた。


 リリアは少しだけ視線を落とした。


「花です」

 彼女は言う。

「ひび、増えてるじゃないですか」


 分かっている。


 昨日も、今日も、見た。


「これがどこまで行くのか、分からないのが嫌です」

 リリアは続ける。

「止められるのかも分からないし、どうしたらいいかも分からないし」


 声は落ち着いている。


 けれど、その中にある不安は隠しきれていない。


「それで」

 彼女は少しだけ顔を上げた。

「エルネア様は、どうなんですか?」


 まただ。


 また、こちらへ向けられる。


「黒薔薇」

 リリアは言う。

「最初からひび入ってましたよね」


 逃げ場がない。


 私は自分のケースを取り出す。


 黒い薔薇。


 そのガラスに走る、細いひび。


 確かに、そこにある。


「嫌じゃないんですか?」

 リリアが聞く。


 私はすぐには答えない。


 答えられない。


 今までなら、迷わず答えていたはずだ。


 嫌ではない。

 これは必要な進行だ。

 正しく終わるための過程だ。


 そう、言えていたはずなのに。


「……嫌ではないわ」

 私は言う。


 言ったあと、ほんのわずかに間が空く。


「……ただ」

 言葉が、続く。


 続いてしまう。


「予定より、早いとは思っている」


 自分でも驚いた。


 “嫌ではない”で終わらせるつもりだったのに、その先を口にしてしまった。


 リリアはそれを聞いて、小さく頷く。


「やっぱり、予定あるんですね」

「あるわ」

「ちゃんとしてる」

「ちゃんとしているのが普通よ」

「そうかな」


 彼女は少しだけ首を傾げた。


「でも、予定って」

 リリアは言う。

「崩れることもありますよね」


 その言葉に、私は一瞬だけ視線を逸らす。


 崩れている。


 すでに、いくつも。


「……崩れた場合は、修正すればいいだけよ」

「全部?」

「全部」

「無理なものもありますよ」


 即答だった。


 軽い言い方なのに、妙に重い。


「例えば?」

 私は聞く。

「例えば」


 リリアは少しだけ考える。


「気持ちとか」


 ――それを言うのか。


 私は息を止める。


「予定どおりにしようとしても」

 彼女は続ける。

「途中で“嫌だな”って思ったら、そっちの方が強くなること、あります」


 ルーカスの言葉と、重なる。


 違う角度から、同じことを言われている。


「それでも、無視できます?」

 リリアが聞く。


 無視できる。


 そう言いたい。


 それが正しい。


 それが、今までの自分だ。


 でも。


 私は少しだけ、考える。


 昨日のこと。

 今日のこと。


 リリアの手を取った時。

 囲まれているのを見た時。

 そして、さっき。


 ルーカスの言葉を聞いて、“嫌だ”と思った時。


 それを全部、無視できるかと言われたら。


「……できるわ」

 私は言う。


 言った。


 けれど。


 その言葉は、自分でも少しだけ軽く感じた。


 リリアはその違和感に気づいたのか、少しだけ目を細める。


「そっか」

 彼女は言う。


 それ以上は追及しない。


 代わりに、小さく笑った。


「でも」

 リリアは続ける。

「できない時も、あると思います」


 断定ではない。


 否定でもない。


 ただ、可能性として置いてくる。


 それが、妙に残る。


 私は何も返さない。


 返せなかった。


 並木道を抜けると、校門が見えてくる。


 ここで別れるのが自然だ。


「今日はありがとう」

 リリアが言う。

「話せてよかったです」

「……そう」

「また、話してもいいですか?」

「内容によるわ」

「じゃあ、また考えてきます」


 そう言って、彼女は軽く手を振った。


 そのまま、反対方向へ歩いていく。


 私はその背中を少しだけ見送る。


 そして、ゆっくりと自分のケースを開いた。


 黒薔薇。


 ひびは、確かに進んでいる。


 けれど。


 その形が、少しだけ変わっていた。


 ただ一直線に伸びていたものが、途中でわずかに分岐している。


 まるで。


 進む方向を、迷っているみたいに。


 私はそのひびから目を離せない。


 予定どおりに進むはずだったものが、ほんの少しだけ逸れている。


 その事実が、はっきりとそこにあった。


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