(3)
翌日の朝食の席ではまた旦那様から厄介なことを提案されてしまった。
「冒険者協会へ一緒に行かないか」
はあっ!?
何をおっしゃる!今日はわたしもその会合に参加することになっているから、座長である旦那様に気づかれないように入念に変装して行こうと思っているのに!
「ええ…っと…お仕事の邪魔になってしまいますから、わたくしはいつものように図書室でお留守番していますわ」
「いや、一度協会の様子も見ておいてもらいたいんだ。私の代理で出てもらうことも今後あるかもしれないからね」
穏やかな声でにこやかに語っているものの、何故か拒否できない圧がある。
ここはおとなしく頷くしかないようだと諦めて渋々了承したのだった。
馬車で旦那様と肩を並べて座るのは、婚約中にこの領地を案内してくれたデートの時以来だ。
あの時は甘く微笑みながら膝にブランケットを掛けてくれる旦那様の気遣いに胸をときめかせていたというのに、今はなんとも居心地が悪い。
あれは全てわたしを騙すための演技で、それにまんまと引っかかるだなんてロイさんといい旦那様といい、どうしてわたしの周りには嘘つきの男が寄ってくるんだろうか。
「ヴィクトリア、孤児院の慰問のことなんだが」
「ほぇっ!」
窓の外に見える大樹を眺めながらそんなことを考えていたら急に旦那様が話しかけてくるものだから、思わず間抜けな声を出してしまった。
「は、はい、何でしょう」
取り繕ってすました声を出してももう遅い。
旦那様は肩を震わせてククッと笑っている。
「可愛いね」
もうそんな言葉には騙されないわよ!
「孤児院がどうかしましたか?」
十日ほど前に領地内の孤児院へ慰問に行った。
孤児院への慰問は実家の領地でもしていたため慣れたものだ。だからそつなくこなしたつもりだったのだけれど、子供たちと一緒に泥んこになって遊んだのがマズかっただろうか。
たしかにあの日、帰宅したときにメイドたちがわたしの泥だらけのカーゴパンツに一瞥をくれて嫌そうな顔をしていたから、それを「侯爵夫人らしからぬ行為」として報告を受けたのだとしてもおかしくはない。
叱られる覚悟で身を固くしたわたしに旦那様は笑顔のまま、子供たちからの評判がとても良かったのだと教えてくれた。
「次はいつ来てくれるんだってシスターが子供たちにせがまれているらしい。どうやって子供の心を掴んだんだ?」
よかったとホッと脱力しながら、あの時の子供たちのはしゃぐ姿を思い出す。
「同じ目線で一緒に遊んだだけです」
ピカピカの泥だんごをたくさん作って転がして遊んだり、土で本物そっくりの形をした食べ物をたくさん作り、それでおままごとをしたり、簡単な土魔法で子供たちが喜びそうな物を作って一緒に遊んだだけだ。
ただしそれが魔法であることは秘密だ。
子供たちに魔法で作り出しているのだとバレたら、もっと見せろ、どんなことができるのか、と要求がエスカレートしてしまうに違いない。
「あまり頻繁だと子供たちも飽きてしまうでしょうから、月に一度ぐらいの訪問がいいかもしれませんね」
「そうするようにハンスに伝えておく。ヴィクトリアが子供好きで嬉しいよ」
孤児院の子供たちの無邪気な笑顔を思い出してほんわか温かい気持ちになっていたのに、旦那様のそのひと言で心の中に冷たい風が吹き抜けた。
さてはこの人、愛人との子供をわたしに育てさせるつもりね?
冗談じゃないわ、白い結婚のまま二年経ったら離婚してやるんだから!
外の景色を確認すると、もう間もなく冒険者協会に到着するところまで来ていた。
冒険者協会の会長である旦那様に事務長を始め職員たちを紹介され、挨拶を交わす度にヒヤヒヤした。
わたしのダークブラウンの髪やモスグリーンの瞳はこの国ではとてもポピュラーで、地味中の地味、最も特徴がなく見分けがつきにくいため、冒険者スタイルのときにも変装はせず髪をひとつに結んでいるだけだ。
リアルの素性を隠したい冒険者の中にはしっかり顔を隠している人もいるが、わたしはこれまでリアルの知り合いとニアミスしたこともなければ、バレたところで何ら影響がないと思っていたのだけれど、まさか協会長の妻になり、顔見知りに対して初対面の体で挨拶を交わすことになろうとは…。
大丈夫よ。
今日は清楚なワンピースだし髪も下ろしているし、大きな口を開けて「わははっ」って笑ったりもしていないからバレないはずだわ!
受付窓口係のアナベルさんと挨拶したときは、彼女が一瞬首を傾げるような仕草を見せたため肝が冷えたけれど、特に何も言われず当たり障りのない挨拶を交わすだけで終わった。
冒険者協会の職員は、冒険者の個人情報をたくさん取り扱っているため守秘義務がある。
もしかするとアナベルさんはそれを遵守してくれたのかもしれない。
「この後、会合が一時間ほどあるんだが、どうする?」
会長室のソファで紅茶をいただいているうちに時間がきてしまった。
「わたくしはここで待っておりますので、どうぞ行ってきてください」
「わかった。じゃあ、また後で」
部屋を出て旦那様の足音が聞こえなくなるのを待ってから、わたしは大慌てで会長室の観葉植物の鉢植えに飛び込んだのだった。




