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冷たい銀色の壁に四方を囲まれた一室。
部屋の中央に虚無のごとく昏い穴が開き、二抱えほどの巨大な柱が天へそびえている。
奇妙な造りのその部屋に、一人の男がいた。
男――ギデオン・メリアデスは、目を細めて柱を仰ぎ、髭のある口元をほころばせた。
「素晴らしい。これこそ至上の美だ」
呟く声が、ひっそりと暗黒の穴に吸い込まれていく。
柱には、金属のようでいて生物を思わせる大小様々な太さの管が這い、複雑に絡み合っている。重い唸りを立て、部屋がさざめいた。
目覚めはじめているのだ。
幾万の人の呻きにも聞こえるその響きは、ギデオンにとって待ちに待った産声であった。
復活を示すように柱を這う管に光が灯り、脈を刻んでいく。命の灯は、柱だけでなく取り巻く銀色の壁までも広がって、部屋全体を包む巨大な拍動となった。
ギデオンは、奈落のごとく昏い地の底に、確かな生命の存在を見た。
壮絶な微笑。
「すべてはわたしのものだ……」
あの女にも、もう用はない。
声にならない言葉を唇が紡ぐ。
ギデオンは勝利を確信した微笑を湛え、最後の仕上げに取りかかった。
*
突如地の底から、唸りに似た重い音が響き渡った。
それはびりびりと暗い室内を震わせ、明らかな振動となって辺りを揺さぶる。
「うわ……なんだっ!」
「また地震だ。今度は大きいぞ!」
魔方陣の施かれた部屋から新たな囚人を連れてきた男たちは、口々に叫び、地下牢の前の壁に寄りすがった。
異国の衣装を着た囚人の女も、よろめいて鉄格子に手をつく。
頻発する地震の恐怖に、牢の中から何十何百という女の悲鳴がざわめいた。
男たちが棍棒で鉄格子を叩いて鎮める。
だが、いつもより長く激しく続く大地の揺れに、彼らも動揺を隠せなかった。
背の低いほうが、額の脂汗をぬぐって呟く。
「まったく、一体何が起こってやがるんだ?」
「あの色男のすることだ。またとんでもないことを考えているんだろうよ」
「ああ。なんにしろ、ここにいれば安全だ。地上よりはましだろうさ。アルーザ様も何を思ってあんな男を――」
「叱っ! 下手な口をたたくと、すぐにばれて消されるぞ」
松明を手にした長身の男が、たしなめた。新たな囚人を振り向き、薄く笑う。
「にしても、勿体ないこった。こんな別嬪を何にもせずに殺しちまうなんてな」
「まあ、これが最後の一人だ。―――立ちな。あんたもここにお仲間入りだ」
しゃがみこんだまま、女が震え声で尋ねた。
「わたし、なにをされるのですか……?」
背の低い男が、腰につけた鍵の束で牢の錠前を開けながら教える。
「何もされやしねえよ。ここから出られるは、あの世に行く時だけさ」
「ここの全員が……?」
「そうさ。すでに八割がたいなくなったがね。まあ、涼しくていいだろうさ。死期を早めたくなかったら、おとなしくしてるんだな」
「一体何のために、わたしたちが殺されなくてはならないというのです?」
男の青白い顔に、荒んだ笑みが浮かんだ。
「――アルーザ様の新しい御命のためさ」
背の高い男が後ろから怒鳴る。
「おい、勝手にべらべら喋るんじゃない! さっさと片付けて行くぞ」
「ああ」
頷いて、短躯の男は女を牢へ押し込んだ。やや名残惜しそうな顔をする彼に、女が嫣然と流し目をくれる。
「もうひとつだけ教えて。ここの見張りは、あなたたち二人だけ?」
「ああ……?」
訝しげに答えた男は、化粧をした女の白い顔に、凄い笑みが刻まれるのを目にした。
よく響く男の声が告げる。
「それさえ聞けば――充分だ」
男が蒼ざめた瞬間、鉄格子の隙間から女の腕が伸び、彼の両腕をとった。
骨の折れる鈍い音――。
「ぎゃあっ!」
うずくまった男の顔面に女の肘がめり込み、首筋が強打される。
「貴様!」
松明を投げ捨て、もう一人の男が、牢を出た女に棍棒を振り下ろした。
その腕を捕らえ、素早く相手の懐に入った女は、鳩尾、下腹部、腎臓と連打した。
「ぐふおっ!」
最後に下から顎への一撃が決まって、二人目が昏倒する。
女は息をひとつついて、乱れた黒髪を背へ払った。
床に落ちた松明が、ぼんやりと性別不明の顔立ちを照らす。
女は、気を失った男たちを廊下へ引きずり出すと、当人の腰帯を使って縛りあげた。背の低い男の腰から鍵の束を取り、まだ燃え残る松明を掲げて、一番手前の牢の扉を開ける。
声もなく一固まりになって震える女たちへ鍵を放り投げると、
「他の牢も開けてやれ。今から戦闘が始まる。巻き込まれないように、なるべく皆で固まってじっとしていろ。すぐに助けが来る」
若い男の低声で言った。
その声を聞きつけ、女たちの間から小柄な影が走り出る。
「ディーン?!」
「……メイリンか?」
松明をかざした男は、似たような衣装をまとった娘の姿を見て驚いた。
美しく結い上げていた髪はくずれ、服は汚れてところどころ破れている。化粧のはげた顔が青白く、三日間の監禁の辛さを物語った。
「なんてこった……メイリン。つらい目に合わせて本当にすまない」
「ううん。助けに来てくれるって信じてたわ」
涙ぐんだメイリンは彼を見上げ、改めて、助けに来た相手の格好に気がついた。
「ディーン、これは一体どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、助けに来るにはこれしかなかったんだよ」
ディーンが化粧した顔をしかめて苦笑する。つられてメイリンもくす、と笑いを洩らした。
笑うなんてどれほど久しぶりのことだろう。
「随分凝ったのね。よく似合うわよ」
「こんな格好を褒められたんじゃ泣けてくるよ。――レイは一緒か?」
その問いに、メイリンははっと顔を強ばらせてうつむいた。
ディーンの顔から笑いが消える。
「どうした。あいつに……レイに何があった?!」
「ごめんなさい。レイは……レイはわたしを庇って……っ!」
叫ぶように言い、メイリンは両手で顔を覆った。
牢番に逆らい、連れ出されそうになったメイリンを庇い、レイは自分が代わりになることを申し出たのだという。
それが今日の夕刻のことだと聞き、ディーンは蒼白となった。
――レイファス……!
ぎり、と唇を噛む。
ディーンは、まだ泣きやまないメイリンに松明を預けると、長い鬘を脱いだ。しゃん…と軽い響きをたて、髪飾りが鳴った。
いくつも重ねた装身具を外し、持ってきた手巾で手早く化粧を拭う。
女から男への鮮やかな変身を、囚われの少女たちが息を呑んで見つめた。
重い紫紺の外衣を脱ぎ捨てる。
その下からは、腰まで切れ込みの入った丈の長い白の上着にズボンという簡素な装いが現われた。
革手袋をはめ、隠していた大刀を帯びる。
紫の双眸が、凄絶な光を放った。
「後は頼む」
言い残し、まだ大地の震動が止まぬ中、白い闘士は闇に消えた。
*
深めのグラスに透明な火酒をなみなみと注ぎ、女は少女を見た。
「いかが?」
極上の笑顔で尋ねる。
その行為だけを見れば、女主人が客をもてなす普通の光景だが、今の状況でそれは如何ともしがたい違和感を伴った。
黒のイブニングドレスを着た女がいるのは石の壁に四方を囲まれた狭い個室で、冷たい石卓の上に燭台と酒瓶、硝子杯二つ。室内にはほとんど物が置かれていないのに、どことなく異様な臭気が漂う。
客人である男装の少女もそれなりの格好をしていたのだろうが、やつれ、さらに両手を鉄の輪に繋がれ、壁に磔にされていた。
杯を差し出された少女は答えず、冴えた蒼の瞳で女を睨み返す。
「あら、残念ね」
アルーザと名乗った女は、本心ともつかぬ口調で、手にした火酒を一口飲んだ。
怒りか恐怖か、固く結ばれた少女の唇から、虚勢ともとれぬ皮肉が洩れる。
「いつまでもこんなところに繋いでいないで、殺すならさっさと殺したらどうだ」
「焦らないで。まだ劇の幕は開いたばかりだわ」
濡れた赤い舌で桜唇を舐め、女が蠱惑に微笑した。
「それにわたし、美しいものが好きなのよ。あなたみたいな、ね」
呑まれそうな笑顔。
漆黒の衣服をまとってたたずむ姿は、完璧なまでに美しく、恐ろしかった。
むき出しにされた肩から喉元にかけての肌が、人の血を感じさせないほど異様に白い。
アルーザはグラスを台に戻すと、その脚元に立てかけていた一振りの剱を手に取った。
レイが身じろいだ。
重い金属音をたて、両手首を固定する輪から伸びる鎖が張って動きを制限する。
「だめよ。その鎖はあなたには切れないわ。もちろん、法力を使おうとしても無駄よ。そこに張った結界は特別製なんだから……あなた用のね」
アルーザは振り向きもせずに、柔らかな声音でレイをいなした。神剣・輝破矢を両手にとり、鞘を払う。
白々とした光が、部屋に満ちた。
その清冽な輝きに眉をひそめ、アルーザは鞘を床に投げると、切っ先をレイに向けた。
「どう? 魔を絶つ神剣であなた自身が刺されるというのは」
「笑えん冗談だな」
刺々しく返すレイを鮮やかな緑の瞳が覗き込んだ。つ、と刃先が頬を滑る。
見る間に赤い血が珠となって溢れ、流れ落ちた。
「上手い腕前だ。頚動脈はその下だぞ。狙うなら正しく狙うんだな」
「分からず屋ね。あなたの命はわたしのものなのよ? 惜しいとは思わないの?」
アルーザは艶然と微笑み、
「それとも――あの娘たちと一緒になりたいのかしら?」
おもむろに片手を伸ばすと、レイの頭の傍の壁の突起に触れた。
鈍い音がして、左の壁面が横の壁へと吸い込まれる。
鼻をつく厭な臭い。
レイは傍らに広がる光景を見て、その正体を知った。
血だ。
噴火口のごとくぽっかりと開いた大地の洞に、煮えたぎる深紅の池。
その穴の向こうには、体内の血液を一滴残らず搾り尽くされた少女たちの遺骸が、無造作に山となって積み上げられていた。
その光景の凄まじさに、レイは一瞬気が遠くなるのを感じた。
「こうなりたくなかったら、わたしの言うことを聞くことね。……答えなさい。あなたは何者なの?」
「……知らんな」
「そう? 輝破矢が聖母の持ち物であることは知っているわ。その輝破矢を持ち、なおかつこの法力の強さ――常人は気がつかないでしょうけれどね」
白い刃の先が、レイの顎をうっすらと辿る。
「普通の人間ではないわ。あなたは何者?」
「私が知っているのは、自分が銀の兇児ということだけだ」
その返答に、アルーザは高らかな笑い声をたてた。
「馬鹿を言わないでちょうだい。あの伝説が、帝都の保身のためのでっちあげだということは知られた話よ。ごまかさないで」
内心驚いたレイに、アルーザはさらに顔を寄せ、重ねて尋ねる。
「あなたは誰なの? [大災厄]で聖母は法力の半分を失ったというけれど、それと関係があるのかしら?」
「残念だが買い被りすぎだ。私の法力は半年前に目覚めたばかりだし、その神剣もある任務の褒賞として頂いたものにすぎん」
「半年前?」
問い返し、女魔術師は少々困惑した様子で考え込んだ。しばらくして、心得たように笑う。
「――そう。聖宝奪回はあなたの仕業だったのね」
「!」
思わず息を呑んだレイに、アルーザは頷きつつ独り言ちた。
「ユダごときに聖宝が扱えるとは思ってはいなかったけれど、あなたが相手だったのね。そう……そこで法力が目覚めたというわけ」
無言の答えに、恐るべき女は明らかな肯定の意志を読み取った。微笑して、
「ますますおもしろいわ」
「私は全くおもしろいとは思わんがな」
「あら。あなた、聖母が何のために聖宝奪回をあなたに命じたか分からないの?」
「なに?」
「試されたのよ。聖母は、あなたの法力に見抜いて、それを発現させる機会を窺っていたのよ。そして……選ばれた」
「なにを馬鹿な」
一蹴するレイを、アルーザはくすくす笑いながら見やった。
「純真なのね、あなた。帝都が清廉潔白な正義の味方だとでも思っているの? 統一世界民のほとんどの人間が知っているわ。帝都は卑劣で悪質な詐欺師だってね」
「黙れ!」
「あらあら。わたしは親切で教えてあげているのよ。帝都の本当の姿をね……」
甘い声が耳元で誘う。
「この世は厳しいものよ。強い者が常に勝者となる――。あなたにも勝者になる機会を与えてあげましょうか?」
吸いつく柔らかさをもつ肢体がしなだれかかった。
「わたしと、手を組むの。あんな間抜けな男より、あなたのほうが何倍も役に立つわ。それに第一、美しいもの」
豊かな緋色の髪が降りかかり、レイの体に絡む。動きの限られる中で、レイが屹と顔を背けた。アルーザは構わずに、
「わたしと一緒にレオノイスを復活させ……この世を掌握するのよ」
少女の顎を片手に掴むと、強引に唇を重ねる。
もぎ取るようにそれを離したアルーザは、噛み切られた唇の端をちろりと舐めた。
「反抗するのも今のうちよ。もう少しで、わたしは完璧な力を手に入れるわ。聖母よりもね」
「――そのために何人殺した?」
「え……?」
「何人の少女を犠牲にしたのだ?」
押し殺したレイの問いかけに、アルーザは無邪気に小首をかしげた。
「考えたこともないわ。生け贄には良いものだけを選んだから」
つまりここに積み重ねられた遺体のほかに、さらにまだ犠牲者があるということだ。
「そうね。千人くらいかしら」
簡単に口にされた答えに、レイは全身の血が引いていくのを感じた。
代わりに、何かが熱く熱を帯びてゆく。
「そうか……ならば、貴様を殺すのに何の良心の呵責も感じなくて済むというわけだ」
「あら恐い。随分と豪気だこと」
鼻で笑ったアルーザは、次の瞬間、真っ白な光を浴びて吹き飛んだ。
神剣が手を離れ、反対側の壁に激突して、束の間気を失う。
石壁が抉れ瓦礫となって、倒れた身体に崩れ落ちた。
「……馬鹿な。わたしの結界を……破ったというの……?!」
「穢れきった貴様の魔力など、神の意志の前では無力同然だ」
静かに告げ、鉄輪を外した少女は、まばゆい光に包まれたまま一歩踏み出した。
その時。
鈍い衝撃がその場を叩きつけた。
体勢を崩し、レイがよろめく。
激しさを増していく振動の中で、アルーザが猛々しく笑った。
「時が訪れたわ……!!」




