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「一般には伝説と言われることも多いが、世界統一後、帝都の研究者によってその辺りの海底に高度な都市文明が存在したことは証明済みだ。ただ、非常な荒波と海底火山の隆起によって、その後数百年レオノイスのあった場所は不明とされている」
シェスの話に九曜が付け加える。
「その伝承はあながち間違いではないね。レオノイス文明の一番の特徴は、高度な科学力と言われる」
「かがくりょく?」
「つまり人の手がなくても自動で働く道具を作ったり、その道具をさらに進化させてより生物に近いものを産み出したり。それが嵩じて島ごと沈むような破目になったと言えるわけだけど……神の領域を侵したという説も、あながち嘘ではないかもね。実際、自分たちを〝選ばれし民〟だと名乗って、独自の神を信仰していたようだし」
年経た妖魔の言葉は、妙な説得力をもって聞こえる。シェスが重々しく頷いた。
「それは〝ティターン〟という邪神のことだな」
「よく知ってるねぇ」
「昔からこの島には興味があって、ほとんどの文献には目を通している。そう数は多くないが……確か[知られざる封印の書]に、その邪神の記述が載っていたはずだ。〝偉大なる王の庇護者にして、島の剣となり盾となりて敵を阻む偉大なる異形のもの〟――悪魔そのものだ」
光明神の誓約を掲げる法術師らしい発言に、ギガースが異を唱える。
「悪と決めつけるのはどうかと思うが」
「島を民ごと海に沈める神が、善きものなわけがあるまい」
シェスは言い切ったが、相手が原罪者であることを思い出したのか、それ以上言及を避けて話を切り替えた。
「だが、確かにレオノイスの文明は、帝都でもいまだ解明しきれない水準と言っていいだろう。それに先程のちに調査を行なったと言ったが、当時の研究者が興味深いことを書き残している――〝その島はまだ生きていた〟と」
ディーンが眉をひそめた。
「生きていた?」
「そうだ。比喩的な意味ではない。島の都市は半球状の魔力ともつかぬ力の障壁に覆われて、沈んだ当時そのままの形で海底に在ったそうだ」
「中はどうなっていたんだ?」
「分からん。その障壁は外部の力を一切跳ね返し、侵入を阻んだという」
まるで、眠りを妨げられるのを拒むように――。
腕組みをして、ディーンが唸った。
「それだけの文明を甦らせることができたら、すごいことになるな」
「それどころではない。世界は大混乱に陥るぞ。下手をすれば統一世界の存続も危うい」
一片の笑顔もなく、シェスが断じる。ディーンも、珍しく冗談を封じて続けた。
「だけど、甦りつつあるとみていいんじゃないか? その〝科学力〟とやらを使えば、失踪事件は簡単に成立する」
「屍人形や妖魅はどう関わっているのだ?」
「ここからは純粋な憶測なんだが――やつらは一種の囮じゃないか?」
紫の瞳が深い光を湛え、闇色に翳る。
「これだけの広い範囲を妖術師一人で網羅できるとは思えない。だから、屍人形や妖魅を使って物理的に標的を追い詰め、強い力の及ぶところまで連れて行く。そして一気に……」
「空間移動か――」
ディーンの言葉をシェスが引き取る。
ギガースが疑問を挟んだ。
「だが空間移動は、いわば妖魔の特権。人間がどうやってそれを行なうんだ?」
「以前人から聞いたことがあるんだが、東西南北と中央の五大神殿、そして帝都の正神殿は、法術によって空間がつながっているんだそうだ」
「飛遠の術だな」
シェスが相づちをうつ。ディーンは首肯して、
「つまり、やり方さえ分かれば、人間にも空間移動は可能なんだ。レオノイスの文明の特徴は、今の帝都ですら及ばない優れた科学力――だとすれば、自在に空間を行き来できる何かを持っているとは考えられないだろうか」
その意見に、束の間の沈黙が応えた。
ややあって、シェスが口を開く。
「少々飛躍しているが……おもしろい考えだ」
「証明するのは難しいだろうけどね」
九曜が同意した。ディーンは反論せずに、別の疑問を並べる。
「それと、前から気になっていたんだけど、やつらはどうやって標的を絞るんだろう? 男か女かは攫う時点でも判別がつくかもしれないが、旅人を選ぶのはどうするんだ?」
「ふむ。動機の点では、力の及ぶ範囲が限定されると仮定すると、その中でより多くの人間を攫うために事件性を帯びにくい旅人を狙うというのは納得できるがな」
「その点は結構簡単じゃないかな」
仔猫が口を挟む。
「僕も旅をして気がついたんだけど、国のどこから入ってもすべてそこの管理局に記録が残るんだよね。もちろん抜け道もあるわけだけど」
「それも管理官に賄賂を握らせるか、闇組織の力に頼るか……組織の裏には警察も一枚噛んでいるという話だな」
旅をして三年になるギガースが続ける。苦く、シェスが舌打ちをした。
「内部の密通者か……。リューン警察が役に立たぬはずだ」
出会って以降ほぐれることのない秀麗な顔立ちが、より厳しさを増す。
「こうなればシュワルゼという出入国管理官も怪しいな。そちらのほうとレオノイスについて、早速当たってみよう」
「ありがたいが、あんたは捜査から外されているんじゃないのか?」
「資料を見ることくらいは可能だ。たとえ職権濫用といわれようと、あの子の命が助かるのなら大したことではない」
「だからって、そんな顔色してちゃ怪しまれるだけだぜ」
ディーンの指摘に、シェスは苦く笑って茶色の髪をかきあげた。
「まいったな。これでもごまかしたつもりだったんだが……」
ディーンが荷物からひとかけらのパンを取り出して、彼に放り投げる。
「食えよ。そして寝るんだ。俺たちの武器は、この身体と頭だ。体力を蓄えておくんだな」
「……ああ」
呟いて、シェスは固いパンを受け取った。
ある程度のまとまりをみせた話に、一同は湯を沸かして腹ごなしをし、それぞれ思い思いの格好でくつろいだ。
縮みきった蝋燭が、燻りをあげてふっと消える。
すべてを覆い隠す闇に包まれ、新たな一日が目覚めの時を刻んでいく。
それがどんな一日となるのか――。
それは、誰にも分からないことだった。
*
闇の中で、何かがかすかに動いた。
九曜は薄目を開けて、一人起き上がって身支度をする、昨日会ったばかりの青年を見た。
「――もう行くの?」
「すまんな。起こしてしまったか」
「べつに。総督府へ戻るには、人目につかないほうがいいからね。こっちもやばいし」
鋭い妖魔の台詞に、青年の顔がややほころんだ。
「やはり気付いていたか」
「だいたいね。上層部がらみなの?」
「いや、私の独断だ。……彼らに話すのか?」
青い瞳が、離れた場所で眠る二人に向かう。仔猫は肩をすくめ、
「それはそっちしだいだね。捜査員を駆り出すの?」
「未定だ。極秘にしておいたとして、彼はこのまま人質の救出に向かうような男か?」
「危険を顧みない大馬鹿野郎であることは確かだけどね」
その答えに、青年はしばし探るような目を仔猫に向けたが、小さく息を吐いた。
「よかろう。終わりよければすべて良し、といくかは分からんが、こちらも手は尽くそう」
「それはどうも」
「昼すぎには欲しい情報が揃うだろう。ここへ来ればいいか?」
「できれば、葡萄酒と食事つきで」
「いいだろう」
シェスは笑顔をみせると、外套を手に戸口へ向かう。曇った硝子窓はおぼろに光り、暁の闇に青く染まっている。
「豪華な昼食を期待していてくれ」
桟の隙間からかすかに差し込む朝の光に、青年の髪が一瞬、まばゆい黄金のきらめきを帯びた。
九曜が眼を瞠る。
――彼は、まさか……。
だが気がついたときにはもう、青年の姿は暁闇の中に消えていた。
*
その日の午前中、ディーンは再び東国曲技団を訪れた。
しかし、やはりソンファに会わせてもらうどころか、話を聞いてもらうことすら拒否されてしまう。ディーンは気落ちしたが、それならまた足を運ぶだけと思い直し、踵を返した。
曲技団の公演は朝の部と昼の部の境のようで、皆テントで休息をとっているのか、人影はまばらだった。
楽屋裏のテントに差しかかったところで、五、六歳の女の子が転んで泣いている。
艶のある黒髪と黒い瞳。琥珀を含んだような肌色からすると、生粋のカルディアロス人のようだ。
「大丈夫か?」
抱き起こしたディーンは、涙で顔をぐしゃぐしゃにする少女に、ふいに郷里に残してきた妹を思い出した。
すりむいた膝小僧はたいした怪我ではなかったが、少女はなかなか泣き止まない。
「ほぅら、痛くない。泣いたらかわいい顔が台無しだ」
ディーンは少女をあやしながら、片手で上着の内側をまさぐった。
「いつまでも泣いてると、こいつに笑われちまうぞ。……ほら」
握りしめる少女の手のひらに、青い紙で折られた一羽の鳥を乗せる。
少女の涙が、ふっと止まった。
「仲良くしてあげるんだよ」
「……うん」
少女はまだ涙の残る顔で恥ずかしそうに頷くと、紙の鳥を両手に抱え、テントの中に駆け走っていった。
「――折り紙ですか」
ふいに、やわらかな女の声音が背後から話しかけた。
振り向いたディーンは、そこに立つ青い着物姿の女性に驚く。
「ソンファ」
「懐かしいものをよくお持ちになってらっしゃるのですね」
「国を出るときに妹がくれたんだ。旅では遊ぶものもないだろうからって」
「まあ」
「実は折り方をひとつしか知らないんだけどな。他の国では珍しがられて、結構重宝したよ」
冗談を交えてそう言い、ディーンは少し真剣な顔に戻った。
「ソンファ。あの夜のことは――」
「その話は中でしましょう」
ソンファはぎこちなく、だが穏やかに遮ると、右手の天幕へ彼を促す。
団員たちの楽屋とは別にぶ厚い壁掛けで区切られた個室のようなそこは、ソンファ個人のもののようだった。
「座長というのはこうした特権もあるのですよ。ここなら誰も入ってきません」
ディーンにも座るように勧め、女座長は天鵞絨の椅子に腰をかけた。
彼女とは向かいの座椅子に座ったディーンが、少しためらってもう一度口を開く。
「ソンファ。メイリンのことは本当にすまなかった。許してくれとは言わないが……」
「いいのです。恨む気持ちには変わりませんが、過ぎてしまったことはどうすることもできません。あなたに護衛を頼んだのは、わたしなのですから」
ソンファは、時間を経てむしろ増したように見える哀しみの色を面上に湛え、それでもきっぱりとした口調でそう言った。
ディーンが安心したように、やや瞳を緩ませる。
「実は、事件について少し手がかりが掴めそうなんだ。まだ憶測の域は出ないが――」
屍人や妖魅が囮となって空間移動をしたのではないかということと、出入国管理官であるシュワルゼが関与している可能性を簡単な言葉で説明した。
「攫われた先とはまだ断言できないが、事件と関連があると思える場所がある。俺たちはこれから、その調査にかかるつもりだ」
はっと、ソンファは少年を見た。
まだ若い彼の顔には、そこに至るまでの葛藤と苦労がありありと浮かんでいる。
ソンファは思わず目を逸らした。
あの夜の事件は、誰の責任でもない。それぞれの危機への認識の甘さが招いた事故であったはずなのに。
妹を攫われた哀しみという感情に逃げ、すべての責任を彼へなすりつけていた自分の卑怯さに、ソンファはようやく気がついた。
どこか異国の雰囲気の漂う少年は、立ち上がり、部屋の片隅に奉られた先代の遺影の前で手を合わせた。遺影には、杯に入った水と芳香を放つ白い花が一輪置かれている。
攫われた少女の代わりに残されたその花を手に取り、ディーンはだいぶ薄らいだ甘い匂いを嗅いだ。
「ちゃんと……褒めてやればよかったな。よく似合ってるって」
かすかに呟く。ソンファは彼を振り向いた。
妹と共に連れ去られた銀髪の剣士を思い出し、ソンファの胸に何かが腑に落ちた。
「レイさんは、女の方だったのですね――」
「あいつには内緒にしておいてくれよ。女扱いされるのを嫌がるから」
冗談めかす彼の瞳が、わずかに光をたたえている。
ソンファは両手で口元を覆った。
苦しんでいないはずはない。手の届くところにいながら、目の前で大切な人を奪われた者がどうして辛くないといえようか。
月下香を手にしてたたずむ彼の姿は、どんなに号泣するよりも哀しく見えた。
ソンファは湧きあがる涙を指でふり払った。
「わたしにもお手伝いをさせてください。事件の現場にいたのですから、なにかお役に立てるはずです」
「ありがとう、ソンファ。その気持ちだけで充分だ」
やわらかく断り、ディーンは懐から取り出した一羽の赤い紙の鳥を、翼を広げて机の上に置いた。
「では……勇気あるご婦人にお守りをどうぞ」
ソンファは微笑んで、紙の鳥を両手に取った。
「折り鶴――願いを込めてこれを千羽折ると、願いが叶うといいますね」
「じゃあ、これはその一羽目だ。メイリンが無事に帰ってくるように……」
「それに、レイさんも」
低く、ソンファが付け加える。
ディーンは、ありがとうと口の中で呟き、静かな微笑みを浮かべた。
月下香が、残り少ない命を紡ぐように、うっすらとした香りを漂わせていた。
*
古めかしい、大きな天蓋つきの寝台に横たわる一組の男女。
豊かな緋色の髪を枕に広げて眠っていた女が、ふと瞼を開けた。
女――アルーザは音もなく身を起こすと、男の寝息を確認して、夜具の間から滑り出た。
見事な裸身だった。
磨きぬかれた象牙のごとく、肌は十代の生娘のように弾力に富み、それでいて完全に成熟しきった放埓さを兼ね備えている。
何歳にも見える彼女の肉体には、老化という現象がまったく欠落しているようだった。
完璧な美――彼女にこそ、その言葉はふさわしい。
同時にそれは、彼女の人間としての一切の温もりを打ち消してしまっていた。
アルーザは、裸身を彩る豊かな赤髪を両手にからめ、背へと振り払う。
まるでそこだけ時間の流れが止まったかのような光景の中、炎の煌めきを宿した髪がふわり、と宙を舞った。皺ひとつない顔に、奇妙な笑みが漂う。
美しい骨格に、ぴったりと貼りついた美しい笑顔。
そこに浮かぶのは、まぎれもなく強烈な自己愛――それだけだった。
「あと少し……あと少しで、わたしは永遠を手に入れる」
髪と同じ緋色の長衣を肩に掛け、アルーザはおのれの欲望を満たす部屋へと向かった。




