第7章ー9
「わざわざ出て来られなくとも」
「いえ、仕事をしている方が気が紛れますので」
武田晴信少尉は、プリチャのことを士官同士の話で上里松一大尉の現地妻と知っている。
そのために思わず恐縮して、そんな挨拶を交わしてしまった。
「気が紛れるですか」
「ええ、子どもが産まれる際に、お腹の子どもの父が傍にいないのは実は初めてで」
プリチャは、どこか遠くを見ながら武田少尉と更なるやり取りをした。
夫ではなく、お腹の子どもの父か。
武田少尉は、あらためてプリチャの事情を想い起こした。
厳密に言えば、上里大尉とプリチャの関係は不倫関係になる。
プリチャの夫の死は確認されておらず、行方不明のままだからだ。
とはいえ、ビルマ軍の人狩りの際に連れ去られた以上、奴隷としてどこかに送られてプリチャの夫は亡くなっているだろう、と誰もが思う有様だった。
こうした事例で、連れ去られた人間が生きて還った例が皆無ということはないが、それこそ荒れた海で遭難したようなもので、連れ去られた人間の生還は絶望視される。
だから、遺された家族等の周囲は、そういった人間が連れ去られた時点で、死んだ者として考えて扱うのが通例であり、遺された配偶者が再婚するのも特には非難されないし、何とか生きて還った人間も、何で生還するのを待たなかった等の非難をするべきではない、とされている。
だから、プリチャは上里大尉の現地妻になって、2人の子どもを産み、更に3人目を妊娠しているからといって、特に周囲から非難等の声は上がっていない。
しかし、プリチャの内心では複雑なものがあるのだろう。
夫が奴隷として苦役に喘いだ末に亡くなっている可能性が高いのに、子どものためとはいえ、自分は別の男性と事実上の結婚をし、安楽に暮らしているのだ。
かつての夫に申し訳ない等の想いが、時折、湧いて出るのだろう。
ある意味、自分も二度の結婚に失敗した身であることから、惻隠の情を武田少尉は覚えた。
(少し補足説明すると、武田少尉の正室は2人いる。
最初に扇谷上杉朝興の娘を正室に迎えたが、最初のお産が難産で、母子共に死亡している。
だから、三条氏は厳密に言えば、2人目の正室、継室になる)
そんなことを想いつつ、武田少尉は、三条氏への手紙をプリチャに手渡したこともあり。
「確かにお預かりしました。一番、早く出る便でお送りします」
「よろしくお願いします。故あって別れて、妻は僧侶になったのですが、どうにも想いが断ちがたくて」
武田少尉は、思わず自分の事情も合わせて話してしまった。
プリチャは驚いて、思わず武田少尉に尋ねた。
「日本では、女性も僧侶になれるのですか」
「ええ」
「信じられません。日本も仏教の国なのでしょう」
武田少尉とプリチャは、更にやり取りをした。
少し補足説明をする。
シャム王国(タイ)も仏教の国だが、上座部仏教が広まっている。
(現在もだが)当時の上座部仏教は、比丘尼(尼僧)を育てる制度が廃絶しており、仏教の修行者に女性はなることができたが、正式の比丘尼(尼僧)になることはできなかったのだ。
「いえ、日本では仏教と言っても、この国の仏教とは宗派が違い、女性も僧侶になれます」
武田少尉の言葉に、プリチャは思わずこぼした。
「私も日本に産まれれば良かった。そうすれば、夫のことを偲んで、僧侶になったかも」
そこまで言って、口にすべきでないことを口にした、とプリチャは我に返った。
「すみません。聞かなかったことにしてください」
「ええ。私は何も聞いていません」
プリチャの言葉に、武田少尉はそう答えて、半ば慌てて上里屋から辞去した。
武田少尉は、帰り道で想いに耽った。
プリチャは、未だに夫のことを忘れかねているのか。
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