第7章ー6
(皇軍の到来により、仮の改暦が日本では行われ、これまで使われていたいわゆる旧暦の代わりに、グレゴリウス暦が、この世界の日本では導入されています。
何故なら、旧暦と異なり、グレゴリウス暦には閏月がないので、官吏や兵士への給料支払いについて、月給制の導入が容易になるからです。
なお、天文観測により、この世界でもグレゴリウス暦が正しいことが確認され、正式に採用されるのは、もう少し先の話に正確にはなるのですが、既にグレゴリウス暦を導入しているということで書いています)
1548年5月に起きたシャム王国におけるクーデター事件、ウォーラウォンサー将軍が暗殺され、シースダーチャン王太后が廃されて、ヨートファー国王の親政が開始された事件は、シャム王国内に止まらず、近隣諸国にも大きな影響を与えざるを得なかった。
更に軍事力バランスにも、このクーデター事件は大きな影響を与えた。
シャム王国内から、ポルトガルの傭兵部隊が追放され、日本軍が駐屯することになったのだ。
勿論、こういった事件の全てが一度に起きたわけではなく、更にこの事件の情報が、シャム王国内から近隣諸国に広まるのには、それなりの時間が掛かった。
だから、更にこの情報を受けて、ビルマ王国が動き出し、更にその情報がシャム王国、細かく言えばアユタヤにまで届いたのは、約3月も経った1548年8月に入ってからのことになったのだ。
「これまでビルマ軍が、シャム王国との国境を荒らす程度のことは、しゅっちゅうといっても良い程だったが、今回の遠征においては、輜重部隊も含めれば、1万と号する大軍をシャム王国に、ビルマは向かわせるらしい。それだけ、ビルマは本気でシャム王国を征服するつもりらしいな」
畑中健作少佐は、シャム王国の上層部から手に入れた情報を、この場にいる日本陸軍の士官に伝えながら、内心で考えた。
国力の違いからやむを得ないとはいえ、ここ東南アジアでは、1万といえば国力を振り絞った大遠征ということになるだろう。
この情報を自分に伝えたシャム王国の高官が、真っ青になっていたのも無理はない。
何しろ、シャム王国のヨートファー現国王陛下は、ようやく12歳になろうとしているところなのだ。
しかも余儀ない事情とはいえ、シャム王国軍の最高司令官を務めていたウォーラウォンサー将軍を暗殺して、その側近だった軍幹部を粛清したばかりである。
シャム王国軍が、どこまで当てになるだろうか。
もっとも、ここにいる面々でその軍勢の数を聞いて怖れるような者がいるか、というと。
「ふむ、1万と号するということは、実際にはその半分程度、更に輜重部隊を除けば、実戦力は3000程度と見るのが妥当でしょうな」
皇軍士官としての速成教育も受けた戸次鑑連大尉が、その情報を聞いて自らの見解を述べた。
「何だ3000程なら、日本ならそれこそ国人の一揆衆でも、それ以上の数を集めるぞ。本当にこのあたりの国の軍勢は数が少ないのだな」
鬼庭良直大尉が呆れたような声を挙げた。
武田晴信少尉も、二人と似たような想いをした。
応仁の乱の際に、東西両軍併せて数十万の大軍が京の街で激突し、最近でも山崎の戦いにおいて、3万の大軍を足利幕府軍は擁して戦ったというのに。
シャム王国とビルマ王国の両軍の兵の数は、本当に少ないものだ。
他の面々も同様に全く怖れる色を示さなかった。
その様子を見て、畑中少佐は言葉を継いだ。
「我々日本軍は、実戦で戦える兵力としては400程しかいないが、掛け値なしに今の世界では最精鋭であると自負すべきものだ。
その精鋭を活かし、存分に戦おうではないか」
畑中少佐の訓示に、その場にいる面々は、全員が力強く肯いた。
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