第7章ー7
「もっとも、ビルマ軍がここに来襲するのは、早くて11月になるだろう」
その高揚した雰囲気に少し水を差すかのように、畑中健作少佐は言葉を継いだ。
その言葉に、その場にいる士官の面々は顔を見合わせた。
「ビルマ軍がシャム王国に侵攻しようとしているという情報が、我々の下にまで入っている有様なのに、何でそんなに遅くなるのです」
戸次鑑連大尉が、疑問を呈した。
「大遠征を行おうとなると、色々と準備が必要になるのが第一、更に、季節の問題だ。今の時期は雨が多く降るからな」
畑中少佐の言葉に、その場にいた皆が今度は肯いた。
武田晴信少尉は想った。
確かに、ここの雨は日本とは違う。
本当に土砂降りの雨が、ここしばらくの間、連日のように勢いよく降ってくる。
勿論、ずっと降る訳ではなく、数時間、雨が降ったら止んでくれるが、こんな豪雨の中では、見通しがきかないし、銃の射撃も不可能と言ってよい。
ビルマ軍に銃が無いのなら、そう気にしないかもしれないが、相手にも銃がある以上、こんな雨が降る時期に侵攻作戦を発動するのは困難だろう。
それに。
シャム王国とビルマ王国が犬猿の仲であるために、両国間の道路は整備が為されていないらしい。
それこそ人は通れるが、大軍が通るのには、まるで向かない道路ばかりと聞いている。
しかも地形も悪い。
シャム王国とビルマ王国の間には、かなりの高さの山が連なり、それなりの幅の河川にも事欠かない。
ビルマ軍が、シャム王国に侵攻作戦を展開するとなると、道路整備をそれなりにする必要があるだろう。
そんなことを武田少尉が考えていると、畑中少佐の説明が続いていた。
「シャム王国の高官と話し、更に上里屋とも話をしたのだが、我々の暦で言えば、この雨が多く降る時期は10月一杯まで続くそうだ。雨が止み、更にビルマ軍の準備が整う時期を考えれば、11月にビルマ軍は侵攻作戦を発動するだろう。皆はどう考える」
「妥当な判断だと考えます」
戸次大尉が言い、鬼庭大尉が肯くのが、武田少尉に見えた。
「それでだ」
畑中少佐は、少し悪い目をしながら、続けて行った。
「言葉が分からない中、色々と大変だと思うが。斥候、偵察任務ということで、対ビルマ方面のシャム王国内の巡視を、我々は予め行っておこうと思うが、どう考える」
「それはやらないといけない任務ではありますが」
鬼庭大尉は、気乗りがしないような言葉だった。
武田少尉も、少しげんなりとした思いをせざるを得なかった。
こんな雨が連日のように降る中、斥候、偵察任務に行かされるのか。
いや、必要なのは重々分かるのだ。
我々は、この辺りの地形や気候に完全に不慣れだ。
更に言葉もまともに通じない。
だから、予め斥候、偵察任務を行っておかねばならないのは分かる。
分かるが。
実は、シャム王国に駐留している日本の将兵の間では、不満が募っている。
何しろ、日本とは全然、気候が違う中にいるのだ。
そして、食事、特に米の問題である。
鬼庭大尉でさえ、この問題には愚痴を言う羽目になっている。
「日本の米を食べたいものだ」
いや、鬼庭大尉にしても、武田少尉自身も、シャムの米を食べられない訳ではない。
しかし、そもそも、シャムの米を食べるとなると、ご飯を炊くというより、ご飯を煮るようなやり方をするのには、どうにも馴染めないのだ。
更に食感もかなり違ってくる。
更に食あたりを避けるために、生魚を食べるのは厳禁となっている。
武田少尉はそうでもないが、海辺出身の兵の中には、刺身が夢に出てくるとこぼす者までいる。
こうした不満が漂う中で、偵察、斥候のために、こんな時に巡視任務に行くと言うのは。
勘弁して欲しい、というのが、武田少尉の偽らざる本音だった。
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