第6章ー10
「今後とも、上里屋が傭兵を取り扱うことはしないよ。あの人は、シャム王国への日本政府の使者として来られた方だ。だが、余り大っぴらに接触する訳にはいかない、とあの人は考えられた。だから、あんな態度を示し、上里屋を訪ねてきた訳だ。私を介して、シャム王国と接触を図る気だ」
上里松一は、プリチャに少し丁寧に説明をした。
プリチャは、その言葉に目を見開いて沈黙した。
上里松一は、諄々と事情を説明することにした。
「私が、本来は琉球の人間だ、というのは知っているよね。でも、細かく言うと違う。どちらかというと日本人なんだ。両親は共に日本人で、琉球で生まれ育った身だ」
上里松一は、そこで言葉を切って、自身も想いを巡らせた。
幾ら半ば夫婦同然の間柄とは言え、どうにも明かせない話がある。
例えば、自分が実は400年未来から来た存在だということを、そう軽々しく明かせるものではない。
張敬修や張娃にも、自分からは話していない。
もっとも真徳殿を説得する際に二人は傍にいたから、当然に把握している筈のことだが。
(それを自分の内心の理由にして、自分も積極的な説明を二人を相手にせずに済ませても来たが)
プリチャに対して、自分は琉球の人間だ、だが、張敬修に気に入られ、華僑の仲間になれ、自分の娘婿として迎えたい、と言われて、張松一と名乗るようになり、ここアユタヤに来た、と初対面の時に説明した。
張敬修も、その通りだ、と自分のカバーをプリチャに対して肯定した。
そして、アユタヤにおいて、自分はそのカバーを押し通してきた。
そのカバーの一部を、自分は破ろうとしている。
「今、シャム王国はビルマ王国の攻勢に苦しんでいる。逆に苦しくなる可能性が高い、と分かっていても、それこそ少しでも国力を高めようと、クメール方面に手を出さざるを得ないような有様だ」
プリチャに、上里松一は丁寧に語り掛けた。
プリチャは無言で肯いた。
「更に言えば、シャム王国にも、ビルマ王国にも背後にはポルトガルがいる。このポルトガルと言うのが、日本にしてみれば厄介な存在でね。シャムやルソン、ジョホール王国と協調して、ポルトガルを日本は排除したいのだ。あの人、辻政信はそのために日本から使者として来られた方だ。だが、大っぴらに使者としてシャム王宮に向かっては、却ってポルトガルの警戒心を高めてしまい、この協調政策は妨害されるだろう。だから、辻政信は私を介して、半隠密裏にシャムの王宮と接触したい訳だ」
上里松一は、そう説明しながらも、内心で想いを巡らせた。
ついでと言っては何だが、シャム王宮の大掃除もさせられる羽目に、日本がなるかもしれないな。
実はシャム王国の内部は、今、少なからず混乱している。
チャイヤラーチャーティラート前国王が、昨年、急死した。
表向きは病死だが、いわゆる事情通の間では、前王妃(現、王太后)のシースダーチャンが、王の元小姓で将軍にまで上ったウォーラウォンサーと密通した上に手を組んで、国王を毒殺したという噂が、半公然と流れている有様だ。
そして、ヨートファー国王は、父の仇である実母のシースダーチャンと間男のウォーラウォンサーを、内心では処断したいと逸っているらしいが、ウォーラウォンサーが将軍として、軍を握っているために処断できない状況にあるらしい。
辻政信大佐に、このことを耳打ちすれば、喜んでヨートファー国王に味方して動くだろう。
日本から送られる兵200名は、ウォーラウォンサーの命令に従う存在ではない。
ヨートファー国王にしてみれば、手足の如く使える兵力という訳だ。
日本国内への言い訳も、十二分に立つ理由だ。
上里松一は、辻大佐に染まった黒い考えをしていた。
今回の話に出てくるシャム王室の醜聞ですが。
嘘を吐くな、都合が良すぎる、アリエナイ話だ、等々と叩かれそうな話ながら、史実に準じた話です。
(だから、この際に取り上げたのも事実ですが)
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