第5章ー7
西国で最大の紛争を引き起こしていた大内氏と尼子氏が講和した一方、九州では、大友氏が豊後の国司になっていた。
また、他に島津氏が薩摩と大隅の2国の国司になっていた。
それ以外の6国(豊前、筑前、筑後、肥前、肥後、日向)は、朝廷、政府の直轄領となった。
これは幾つかの理由あってのことだった。
「面従腹背がバレた以上、仕方あるまいな」
「しかし、琉球交易の権利まで取り上げとは、きつい仕置になりました」
島津忠良、貴久父子はお互いにため息を吐いて、愚痴をこぼす羽目になっていた。
確かに、薩摩、大隅を確保できた以上、九州最大の勢力とは言える。
しかし、琉球交易の独占権を、島津氏は失うことになった。
皇軍に対する島津氏の面従腹背が、それこそ相良氏等から暴露され、そのことで皇軍最上層部の不興を買った以上、2国の国司になれただけでも島津氏は有難く思うべきだ、と周囲に言われても仕方ないのは、理屈では分かる。
しかし、日向も併せた3国守護回復は、島津氏の長年にわたる悲願だったのだ。
だが、最早、それは望むべくもないだろう。
いや、そもそも足利幕府消滅により、守護自体が消滅し、国司が復活することになっている。
そして、島津氏の薩摩、大隅の2国の国司の地位も、いつまで安泰だろうか。
「そういえば、毛利元就という者が、大内と尼子の間を上手く立ち回ったらしいな」
島津忠良は、どこまで本当なのだろうか、と疑問を覚えつつ、貴久に話しかけた。
「ええ、どこまで本当なのか、怪しい話ですが」
貴久にしても信じかねる話ではあった。
大内氏は、今回の仕置において、周防、長門の2国の国司にまで追い込まれた。
また、尼子氏も、出雲、伯耆の2国の国司にしか成れなかった。
朝廷からの私戦停止令に従い、速やかに停戦したのに苛酷すぎる仕置だった。
そうなった原因だが、毛利元就の密告のためにそうなったという。
「確かに、そういった理由でも無ければ、納得できない話ではありますが」
貴久自身、首を捻らざるを得なかった。
「大内氏の博多の利権、また、石見銀山の利権、何れも莫大な利益を生むものだ。朝廷としては、何としても難癖を付けて、奪い取りたくなるのは分からないでもないがな」
忠良も、そう言った。
「大内氏としては、あくまでも自国領内の仕置の一環という理屈をつけての行動のようですが。勝手に国人衆の討伐を行いましたからな。財政難の朝廷としては、それこそ絶好の理由として、周防、長門しか国司の地位を認めないということにしたようです」
「尼子氏にしても、月山富田城を形式的には破却したが、堀を巡らせたままにする等のことをしたらしいからな。これでは、廃城令に反すると朝廷に難癖を付けられて当然だな」
父子は、更に額を寄せ合って話し合った。
「ともかく、中国地方の大勢力は、消滅したと言っても過言では無い。毛利元就は恩賞として、安芸の国司代になったらしいが、尼子と大内から恨まれたので、国内統治に四苦八苦しているらしいがな」
「国司代ですか。それはかなりの恩賞ですな」
父子は更に話し合いながら考えこんだ。
「国司は、朝廷からの指示で、在京することになったからな。国司代は、そう言った点で、その国内で、かなりの力を振るえるようになるのは間違いない。しかし」
忠良は、更に思慮を巡らせた。
「国司代は、朝廷がいつでも解任できる、ということにもなっている。地元出身の国司が、不正を行わない限り、国司を続けられるのとは大きな違いだ」
「基本的には一代限りですがね」
父子は、更に額を寄せ合った。
「ともかく、変わった体制が敷かれることになるぞ。島津は、それに乗らねばならん」
「頭が痛いですな」
父子は頭を抱えた。
島津忠良、貴久が語り手に事実上なっているので、説明を端折っていますが。
大内、尼子の仕置については、半ばバレバレですが、言うまでもなく、毛利元就が暗躍した結果です。
(というか、この当時に毛利元就を凌ぐ謀略家が日本国内にはいた気が、私にはしません)
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