第5章ー6
少し予定を変え、国内の戦国大名の消長を3話程、描きます。
なお、3話程の間に実際には5年程、時が流れています。
帝、今上天皇陛下は、皇軍の進言を受け入れられた。
日本国内に対して、私戦停止及び廃城の勅令を出されたのだ。
更に民は武装解除を進めるように、との勅令も下された。
この影響が先に現れたのが、西国、現代で言えば、北九州から中四国方面だった。
「どうする」
「腹立たしいことですが、勅令を受け入れ、尼子と講和するしかありますまい。当面は現状で停戦です。それに今なら、お互いに面子が立つでしょう」
「尼子経久は死に、今こそ好機の筈だが」
「それなら、帝の勅令に叛き、足利幕府と同様の運命をたどりますか」
本来なら、最強硬派の一人である陶隆房が、懸命に大内義隆を軍議の場で諫めていた。
毛利元就は、それを冷めた眼で見ながら、想いを巡らせた。
酷い猿芝居の気がするが、それが賢明だろう。
我々は尼子氏の本城である月山富田城を攻囲し、攻め落とそうとしている所だったが、足利幕府が滅び、天皇親政が成った現状において、月山富田城を攻めるのが良いとは、とても思えん。
朝廷から、私戦停止の勅令が出た以上、月山富田城を攻めるのは、勅令違反に問われるのは必至だ。
そうなった場合。
今、皇軍と野戦をすれば、山崎の戦いの足利幕府軍と、我々は同様の運命をたどるだろう。
籠城すれば勝機がある?
バカを言うな、日向の都於郡城が皇軍の攻撃でどんな運命をたどったか、を考えれば勝算は絶無だ。
自分の本拠である吉田郡山城等、すぐに陥落するだろう。
だからこそ、大内義隆と陶隆房は、猿芝居を演じることになった。
現状が見えていない一部の国人衆らに月山富田城を攻めるのを断念するしかない、と分からせるためだ。
本来、月山富田城を最も攻めたがっていた陶隆房が、停戦講和論を唱え出しては、誰も積極的に月山富田城を攻めようとは言い出しにくくなる。
恐らく陶隆房自身が、一番、無念な筈だ。
本音では月山富田城を攻めたいだろう、だが、今、ここで暴発しては。
「分かった。その方の言う通りだ。陶隆房に尼子氏との講和の使者になることを命じる」
「はっ」
大内義隆は、終に陶隆房に命じ、陶隆房はその命を受けた。
「大内氏から講和の申し入れがあったそうですな」
尼子氏の精鋭を束ねる存在として知られる新宮党の当主、尼子国久は、尼子氏の当主である甥の尼子晴久に事実の確認をしていた。
「ああ、陶隆房自らが使者となってきた。講和を受け入れざるを得まい」
尼子晴久は、半ば不貞腐れているようだった。
「こちらの方が劣勢の現状にある以上、本来は講和を申し出られるのは願っても無いことだが」
尼子晴久は、叔父に対して愚痴をこぼさざるを得なかった。
「現状での講和、停戦となると、石見銀山を大内氏が握ることになるだろう。それが無念でならん」
「確かに」
尼子国久も、甥の気持ちが分かる。
しかし、だからと言って。
「皇軍に逆らっては、月山富田城と言えど、とても籠城でも勝てません。帝からの勅令が出ているのです。それを理由に、味方の国人衆等を宥めて、大内と我々は講和をするしか無いでしょう」
国久は、懸命に晴久を諫めた。
「無念だ。誠に無念だ」
それを聞いた晴久は、何時か涙まで零しながら呟いていた。
だが、石見銀山、いや、石見は最終的に尼子にも大内にも手に入らなかった。
「銀山のある石見は、極めて重要な国である。従って、朝廷、政府の直轄領とし、国司は政府が派遣する」
このような決定が、政府から最終的には下されることになったのだ。
これを受けて、大内、尼子それぞれの内部は騒然となったが、廃城令によって、国内の城がほぼ破却された現状では、抗戦派の声は高まらず、石見は政府の直轄領となった。
そして、石見銀山は、日本政府の財政を大いに潤すことになった。
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