第4章ー11
(グレゴリウス暦)1542年(天文11年)2月18日の朝が明けようとしていた。
足利幕府軍の足軽達は、ほぼ全員が覚悟を固めて、円明寺川沿いに築かれた防御陣地に籠っていた。
三好長慶は、円明寺川沿いに築かれた堤防を活用し、現代の戦術用語で言えば反斜面陣地(モドキ)までも築くことで、皇軍の攻撃を迎撃した上で逆襲して勝利を掴むつもりで、準備を整えていたのだ。
この時に世界中を見回してみても、数万人の大軍(実際の足利幕府軍は3万余り)を陣頭指揮し、ここまでの防御態勢を築ける人材は、三好長慶以外は、両手で収まる数しかいなかっただろう。
日本国内だと他にいたかどうか、というレベルになる。
(勿論、数千人単位ならいたかもしれないが、実際に数万人の軍勢を陣頭指揮して、防御態勢を築けるのか、と言われると、そもそもそのようなこと等、考えたことも無い面々が圧倒的に多数だった。
それに対し、三好長慶は、そのような事態を見聞きし、考えながら育ってきたのだ)
それもあって、三好長慶は開戦前に足利幕府軍の必勝を確信していた。
日本古来とまでは言わないが、ここ数百年、防御陣地を築き、そこへの攻撃を半ば誘導し、それによって敵勢を疲弊させ、味方が逆撃を行って勝利を掴むというのは、楠木正成を始めとする日本史の名将が経験により蓄積してきた必勝法だった。
それを駆使し、更に数的優位にある自分達が負ける筈が無かった。
しかし、相手が悪かった。
相手は400年未来から来た軍勢だったのだ。
だが、三好長慶自身は。
「島津家から近衛家に送られた書状によれば、相手は400年未来から来た軍勢とのことだ。
だが、今から400年前と言えば、保元から源平合戦の頃だ。
その頃に我々が戻ったとしても、平清盛公や源義経公は容易に我々と互角に戦えるだろう。
だから、そんな未来から来た軍勢と言えど、怖れるに足らず。
量で我々が多ければ、我々が勝てる筈だ」
と周囲に語っていた、と伝えられる。
実際、確かに三好長慶が手元の軍勢と共に、400年前に戻って、平清盛や源義経と戦った場合には、同様の事態が起こったように思われる。
だが、16世紀の軍勢が12世紀に戻って戦うのと、20世紀の軍勢が16世紀に戻って戦うのは、同じように4世紀過去に戻って戦うという点だけなら同じだが、その兵器や戦術等々は、全く次元が違うモノ同士が戦うことになるのだ。
従って。
「近衛歩兵第3連隊と近衛歩兵第4連隊が共同して、足利家、細川家等の逆賊から成る軍を攻め潰す。この際、弾薬は惜しむな」
近衛師団長の武藤章中将自ら、本来の時代からすれば相応しからぬ陣頭指揮を執っての20世紀流の猛攻に晒される羽目になった足利幕府軍は、緒戦から驚愕するしかない羽目になった。
「初弾から効力射と認めます」
「ヨシ、ドンドン撃て」
近衛砲兵連隊の主力は、円明寺川沿いの足利幕府軍の陣地に対し、天王山に設けられた観測所を活用しての猛射撃を緒戦から浴びせた。
かつていた20世紀であれば、貧火力、弱火力等と散々にバカにされていた日本軍の砲兵ではあるが、この時代にこのような榴弾が撃てる野砲は存在していない。
75ミリ級の野砲でさえ、この時代であれば世界中を探しても超絶した威力を誇るのだ。
だから。
「神様、仏様」
と足利軍の足軽達は、文字通り地べたに這いつくばって、砲撃から身を守ろうとする羽目になった。
また。
「円明寺川沿いの防御陣地が、異形の兵器の攻撃により崩されていく」
半ば呆けたのような表情を浮かべて、三好長慶は呟く羽目になった。
だが、足利幕府軍が受けた衝撃は、まだまだ序の口と言ってよい有様で、この後も相次いで衝撃を受けることになる。
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