第3章ー9
「お前は、島津家当主なのだろう。君側の奸である足利幕府打倒について、各地の大名に書状を出して、お前の名で訴えるのだ。従うならば官軍、従わないならば逆賊として滅ぼすまでだ」
更に、牟田口廉也中将は、平然と島津貴久に半ば命じてきたが。
その言葉を聞いた貴久は、背中が冷たくなるどころでは無かった。
最早、自分の命は完全に尽きた、としか思えなかった。
何しろ足利幕府を倒そうというのだ。
幾ら異形の軍勢が目の前には数多いるとはいえ、とても勝てるとは思えない。
かと言って、目の前の人物(牟田口中将)に、自分が従わなければ、自分や家臣、それにその家族の命もすぐに亡くなるだろう。
遅かれ早かれ、もうすぐ自分は死ぬのだな、とあの世の淵を覗いたような気さえ、貴久はしたが。
そんな想いをしたことが、目の前の人物には、すぐに分かったようで。
目の前の人物は笑って言った。
「安心しろ。お前の子孫、島津久光は幕府打倒に成功したぞ。先祖のお前も成功できる」
その言葉を聞いた貴久は、その子孫を(内心で)罵倒した。
「何と馬鹿なことをした。そのせいで、先祖の自分が苦しむことになるとは。勘当だ。わしの全ての子は勘当すると脅して、そんな馬鹿なことをしないように言い聞かせないと」
そんな調子で、貴久は顔を青くしたり、赤くしたりした末、第18師団司令部から逃れることができた。
清水城に戻ろうとする貴久の足は重いどころではなかった。
仏典でいうところの屠所の羊に、完全に貴久は化していた。
そして、清水城に戻った貴久は、あらためて一門、重臣を集めて、鳩首協議をする羽目になった。
「如何にすべきか。天皇のご謀反をそそのかす、皇軍と称する異形の輩に味方すべきか、敵対するか」
この貴久の問いかけに、伊集院忠朗が、黙考の末に提案した。
「面従腹背といきましょう。異形の輩、皇軍に味方する振りをして、各地の勢力に書状を送り、口頭では、皇軍を討つことを指嗾するのです」
「それしかあるまいな」
伊集院忠朗の提案を聞いた貴久も、暫く苦悶の末に、その提案に乗るしかあるまい、と腹を括った。
貴久の父、島津忠良もこれに同意する意見を吐いた。
「実際問題として、天皇のご謀反を皇軍と称する異形の輩は唱えている。このようなことは断じて許されることではない」
この忠良の言葉も、島津家中の意見統一の後押しとなった。
だが、このことは、後々で皇軍の虎の尾を踏み、逆鱗に触れることになった。
この辺り、中世の日本の感覚と、皇軍の将兵、昭和前期の日本の感覚の差としか言いようが無いが。
昭和前期の日本人である皇軍の将兵にしてみれば、天皇機関説でさえ、天皇をないがしろにする許されない考えであるという空気、雰囲気の中にいたのが、このある意味中世日本に来たのだ。
だから、天皇に従うのが当然であり、天皇に逆らうのが謀反である、と当然考える。
従って、天皇のご謀反という言葉自体が許されない考え、逆賊の発想ということになる。
しかし、中世の日本では、承久の乱や元弘の変等、天皇のご謀反という考えがあったのだ。
つまり、当時の社会体制を武力で打倒するということは、天皇と言えど許されない、つまり、天皇のご謀反になるという考えである。
だから、島津家中としては、当然の前提で考え、更に各地の勢力に書状を送り、口頭で弁明したのだが。
皇軍上層部にしてみれば、天皇のご謀反、という言葉自体が逆賊、日本人として断じて許されない考えということになる。
そして、天皇のご謀反という言葉に同意して、皇軍に攻撃を仕掛けてきた、ということから、各地の勢力達と皇軍は戦闘を行うことになり、敗れた面々はしばらく苦難の歴史を送ることになるのだ。
ご感想等をお待ちしています。